【転倒肋骨事件記念日のこと】

●2019年7/26投稿から●
以下引用

【走ってはいけません 1.事故発生編】
「救急車呼びましょうね」
😰
今朝私は、昨日からの文京区にある取引先の研修で、8:15最寄り駅必着で急いでた。うん。急いでた。7時前。

仕事帰りに実家の母姉叔母と合流するため泊まりの荷物をリュックに入れ、両手は空いていた。
昨日の靴擦れのため
パンプス履けず、
旅行にもいいのでお気に入りのスニーカーを履いてた。

身軽!😃

府中駅の改札に向かう階段で時間ギリギリとは分かってたけど。

走れば間に合う!
いつも間に合うもの。
今日だっていつものように間に合う。筈だ。

両手が空いて靴も軽やか。
ダーッシュ。

が!

スタバの前で。
激しいおでこの痛みと視界の回転、胸の圧迫と痛み。音の変化。
床にガッツリ転んだ。

スニーカーのつま先が点字ブロックに引っかかったのか
ゴム部分がブレーキになったのか😓

行かなくちゃ。

ヨロヨロしてハプハプ息して
改札くぐり。
転んだのにストッキング破れてない。意外に大丈夫なのかい?

エスカレーター上がると。
左のおでこはジンジンして、
自分フラフラする。
乗るはずの電車のベルの鳴る中、ホームで恐る恐る触ってみたら

たんこぶはもう「うずら卵」くらい膨らんでる。

胸も苦しい。右手指も変な色。唇も切れて腫れてきた。

少し迷って改札に戻って。
湿布でももらおうかと
階段降りて改札の駅員さんに
「すいません、あのー。転んじゃったんですけど、あのー助けてください〜〜あのーなんか、、」
と助けを乞う。

おとなしそうな駅員さん。
私の顔見てびっくりして。
こちら来れますかと中に入れてベッドに座らせてくれた。

既に他人から見てもう尋常じゃないレベルになってた。

痛みと苦しさで仕事は午後になるかと早く言わなきゃと、研修エージェントのAさんに要点をラインする。
夫にも電話する。

府中駅の駅員さんテキパキ救急車手配する。人生で初めて自分が搬送される。

家族に連絡し、Aさんに連絡し。。

いつも言われてる
「とにかく1分でも早くガンガン冷やせ」の教えのもと、
駅員さんに氷をお願いしてみる。
氷ないけどこれならと包んだ保冷剤貸していただく。

救急車の音がする。止まる。
やがて3人の隊員さんが順番に入ってきて。事務的な問答始まる。
想像を遥かに超えた事務的確認事項ファースト。

この段階で私の頭には
「仕事どうしよう」
「駅員さんごめんなさい」
「救急隊さんごめんなさい」
「Aさんごめんなさい」
「家族ごめんなさい」
「旅行キャンセルだなごめんなさい」

とにかく申し訳ないしかなく。

でもね。
恥ずかしいより、
ああ今私搬送される資格があるわというほどの痛みとビジュアルと身体の不快感だった。

事務的な問答の間に
血圧、体温、簡単な確認、状況確認、夫と娘の携帯番号、既往歴聞かれ。身体痛いとこどこ、手グーパー簡単な検査。いろいろ聞かれる。

京王府中駅の駅員さん達は代わる代わる声かけてくれて。優しい。頼もしい。

脳神経外科と整形のある救急受け入れ探しながら行くとのことで、
頭打ってるからストレッチャーに乗ってくれと言う。
この時点では
自分もう痛すぎて歩く選択肢なし。

流れの中で私は「多摩総に運んでーイオリくんママがいるから〜」と念じてたけど、
「中河原の恵仁会へ」と決まった。
あーそこにはレナちゃんのママがいるなどぼうっとした頭で考える。

3人の優しく誠実な救急隊さんにエスコートされ、
エレベーター使い、元ツタヤの前に停めた救急車に乗せられる。

夫がそこで間に合って合流するが、保育園のシフト代われない。
そこで
市内に勤務する娘が私の搬送先決まったら そこで合流と決まり。
ゴー。付き添いは誰もいない。
夫は今日の保育園児のために行かないといけないね。1人で搬送される。張り切る。ちゃんとしなきゃ。

救急車内。
初めて入ったよ。
後ろ向きに頭をあげて寝かされてるからやはり少し気持ち悪い。
必死に路面のボコボコだの揺れだのに耐える。
ぶつけたから嘔吐感なのでなく
明らかに車酔い系。
ピーポーピーポーーと、
前あけてくださいとかマイクで言ってる

ごめんなさいみなさん
ごめんなさいみなさん
もうそれしかない
私に出動してもらっちゃってごめんなさい
本当に😭😭罪悪感ハンパない。

そして、病院の救急窓口に着いた。

【走ってはいけません 2.病院救急外来編】
意識のある私は受け答えもできるので
救急車ストレッチャーから病院ストレッチャーに乗り換える。

本人確認でこの時点で既に生年月日名前何回めだってくらい言う。

若い男性の看護師さんが丁寧にいろいろ関わってくれる。この人とてもナイス!
酸素飽和度計、体温計、血圧計、2キロ痩せておいてよかった。低い。

これからCT、レントゲンと行くので、
今日は私金具のある一切の服がないのでラッキー。
上着脱ぎ、ネックレス外し、時計と、ヘアクリップ外して渡す。

奥からドクターがやってきてパソコンにオーダー入れてる。
この時引き継ぎで「血腫鶏卵大」と言ってた。ウズラからニワトリになってたよ。

オーダー入ったので検査ゴー。
そこまででドクターにサインもらって救急隊さんの人帰る。
「救急隊さん、ありがとうございました」と言えた。
マスク越しに彼はニコッとしてプロらしく去っていった。

さて。病院に着いてから安心したのか、時が経ったせいか痛みが強くなり、右腕肩にまで。左おでこはもう痛いしかない。
看護師さんは交通事故もそうだけどこれからどんどん痛くなりますからと。

私が息苦しいと言ったので看護師さんが順番に押して確認。
上と横はなんともないけど、肋骨の1番下の両側が飛び上がるほど痛い。

連続アドレナリンが出なくなったのかこの辺りから痛みが増し、痛くなってきた箇所が増えて来た。

そしてCT検査へ。MRIじゃなくてよかった。この時も自力でストレッチャーから移る。
男性看護師さんが私のスカートの裾を都度都度絶妙にカバーする。

CT検査はすぐ終わり、
続けてレントゲン。
レントゲン室はガラスのテーブルだった。この辺りから胸の痛み酷くなり、ようやくにじり移動して、いろいろ撮る。
あろうことか!
うつ伏せにと言われ、それはもう無理と思いきやゆっくりでいいとのことでゆっくりする。
ストレッチャーにようやく移り、診察ブースに戻る。
トイレに行かせてもらう。歩いて行ける。

やがてドクター登場。画面にはもう画像が来ているらしく。はやっ

そしてその頃タクシーで駆け付けた娘が入って来た。
ストレッチャーでヘロヘロで鶏卵大のコブを付けている母親を見るのはさすがにショックだろう。

ドクターから診断の結果を聞く。
頭蓋内出血なし。
頭蓋骨骨折なし。
肋骨骨折なし。
その他右手も骨折なし。
要するに打撲です、と。

ただし、頭を打っているので
今は何でもなくても
出血すれば6時間以内に意識消失の可能性もある。1人にならないでくださいと😰そしたらすぐに来てって。

この瞬間に、今日の仕事はもうできないと悟る。今夜からの旅行もキャンセル。と判断。
取引先で倒れるわけにはいかないもの😞

ドクターから薬はどうするかと聞かれたので痛み止めを出してくださいと依頼。痛みには弱いから当然。消炎剤でもあるしね。

9時になるの待ち、支払い。
売店でクーリッシュを買いおでこ冷やす。
診断は下ったけどケアは自力のようだ。
廊下でさっきの看護師さんに遭遇。名前覚えたから「○○さん、ありがとうございました😊」とお礼を言う。言えた。ホッとした。

会計のスタッフから、通勤途中なら労災が優先されるからと説明受けるが、
そうだった。
自分いわゆる労働関係の括りでは個人事業主の一人親方なのだった。適用外。
前に怪我した時調べたんだった。
あとで自分で入ってる損保の怪我カバー保険だなこれ。

病院の玄関にあるタクシー直通電話でタクシー呼び、帰る。

あゝ、娘が私の病院に駆けつけて引き取るフェイズに入ったよ、人生。
この子を救急外来に慌てて連れて行った日があったな。遠い目。
ムスメが私の怪我のために勤めを休んだよ。そんなフェイズ。
福祉職だから職場も理解があって良かったよ。うん。
なんか後ろで音楽なる感じ。

ドクターの打撲だけ、を聞き入れた瞬間、全ての心配モードは切り替わる。 

【走ってはいけません 3.今日は大事な日だった編】
※とうとう穴をあけてしまった。
大事2つ。
今日は、研修の2日目だった。休めない仕事だ。都心で全国の支店から集まるタイプのね。9時~5時までのフルバージョン。
 昨日帰りに受講者の人が「久しぶりにいい研修でうれしい」とわざわざ言ってくれたし。打ち合わせのときは本社まで行って(、、あ、今気づいた。この前それの打ち合わせに時間間違えて遅れたんだった。。。そのころから歯車おかしかったんだろか。。。)

 今日の研修は、B研修会社の営業のAさんが顧客C社に営業して私のカリキュラムが認められて講師指名で発注してくださったもの。B社と私は業務提携関係ね。
 もし内容がアンガーマネジメントだったら、研修講師業をしている仲間の誰かに声をかけて代わってもらえる可能性もあるけど。
 このカリキュラムはコーチ型マネジメントとほかのコンテンツをオリジナルで作ったものだから、徒弟制でもない自事務所にはほかにできる人がいない。
 
 7時に受傷して、すぐ連絡し、だけど開始まで2時間弱。駅員さんに助けを求めた時点では湿布か冷えピタもらって休んで出直そうかと思ってた。。けどもっと深刻だったから救急搬送となった。

 そこから検査等で1時間。8時すぎに診断が出てからAさんには行けないと連絡電話してみたら、結局代わりの講師手配が付かずと。
そんなこんなで「自らも他の研修には登壇している営業のAさん」が私の代わりに担当してくれることとなった。
 Aさんとは常に相方のように組んで研修現場に行っているので実は最も安心できるリリーフだと気づき、灯台下暗し。この決定を聞いてすっかり安心した。
 
 しかしながら、約束したものをその通りに納品できなかったわけだから、ここにはB社とC社間で協議の上、私とB社にペナルティが発生するということもちゃんと聞けて、救われた。責任取らせてもらえてよかった。と今は思う。

 ふつう研修講師は、感染症以外には登壇必至。ビジネス芸人と思ってる自分のこと。
 だからこれまで骨折しても登壇したし、親の死に目にも会えなかった。子どもの重要行事にも場合によっては出られず(避けられれば避けるから)、そんなふうになんとか15年やってきたけど。考えてみたらそれが奇跡だったのかもしれない。
 5年前の父の危篤のとき、本当に危なかった日があって、そのときは研修エージェントX社のZ社案件。営業Yさんは直前にご自身のお父様を亡くしていて、私を出講の要なしと前日に判断してくれたこともあった。

 約束やぶるポンコツな講師であってはならないとがんばってきたけど、そこがなんともプレッシャーだけど、仕方ない。こんな自分の命レベルになるとそれとこれは違うと分かる。
 今日は、医師に6時間以内に意識消失する事例もあると言われたときに、明確に研修会場で私が倒れたときの顛末が明確に想像できたので迷うヒマも理由もないことと判断したよ。

 というわけで、病院からタクシーで帰宅する前にAさんと病院の敷地から電話で代行打ち合わせをした。昼休みにも午後の分を打ち合わせた。Aさんは今日は別件の大事な会議があったはず。。。もう何年もAさんとはタッグを組んでやっているので、不幸中の幸いとはこのことだった。。。感謝。

 それともう1つ。今日は仕事が終わったらその足で旅行だった。
 父没後、母を慰め姉を慰労しようと叔母が旅行を企画してくれて、やっと私が行ける週末をチョイスしてくれたわけ。私だけ後から合流での二泊旅行だった。前からずっとずっと楽しみにしてたし昨日もグループラインしてたとこ。。
 なので、行けなくなったことを病院からラインしたとき、姉はてっきり私が脳疾患で搬送されたと勘違いして(ほとんど一族脳卒中トラウマ)今から行くというトンチンカンなリアクションですっかりびっくりさせてしまった。
 
 でも夜になって私抜きで旅行は楽しくやっていると写真が来て。私もお返しに腫れ切った顔の自撮り写真を送って今頃話のタネになっていると思う。
 母が泊まりで旅行に行ける日が来るまでに8年かかった。今度は私が連れだそう。
 あ・ネットから新幹線の往復をキャンセルした。忘れそうだった。

さて。今日、不思議なことがあった。救急車の中と、救急外来の部屋の中と、検査室。全て。ずうっとお線香の匂いがしてたのよ。娘に聞いたらそんな匂いしないよという。
何だと思う?わかんない。
 でも鼻腔の奥にあった。それ。
今日は父の写真にお酒を備えておく。
・・・・・・・・
以上。1年経過してここからまた走らないことを誓いました!

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