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20歳を過ぎて自我が芽生えた話

質問箱にこのようなメッセージをくれたうら若き乙女がいらっしゃいました。



少し主旨からズレてしまうけど
回答させてもらいます。
長文になるので暇な時に読んでね。


私自身学生時代、ちらほらと趣味はあったものの
とにかく摘んでかじってを繰り返すミーハーで
何かの専門分野で深く語れる程の知識はなかったし
周りの子達のように
物事についてしっかり考えるような性格でもありませんでした。

ブスでケバくて貧乏で頭が悪くて
プリンパフェまじウマイ!とか
バイトだりー巻き髪とれたー
整形してー死にてーとか毎日がそんな感じで。

ボヤけた価値観のままヌルく生きてきて
自分の空っぽさに気づいたのは
そこから数年後の23歳の頃でした。


まず大人と会話の構築ができない。

「こういう事があってぇ」
「こういう話があってぇ」
「こういう人がいてぇ」
みたいな表面的な話題だけで
物事ひとつにしても
自分はこう思うとか
なんでそれが好きなのかとか
理由や見解を説明できなかった。

できなかったせいで
自分の中でそれを改めて考える作業もせず
ただただ味気のない言葉が
流しそうめんのようにサララーと流れて
誰の箸に引っかかるわけでもなく
受け皿にボチャンと落ちる。

みんな自分の意思で選択して、得て、捨てて、進んでを繰り返しながら経験値を積んでいるのに
私は未だ「ヤバい」とか「ヤバくない」くらいの感覚でペラッペラに生きてて
自分はなんてつまらない人間なんだろうと
悲観し恥ずかしくなりました。

シンプルに言うと自我がなくて本質も知らなかったって感じです。



そんなこんなでこのままじゃまずいかもと
ひとつひとつの事に意味を考えるようになり
(側から見たらめちゃくちゃ面倒くさい人間だったと思います)

私はなんでこの絵が好きなんだ?
あ、アーティストの思想や背景が色濃く出ていて油彩の絵肌がハッキリしている抽象画だからかーとか

元気がない時なんでこういう曲聴きたくなるのかなー、あ、ウィスパーボイスでBPMが60くらいだから落ち着くのかーとか

この映画はこの監督だから好きでこういうカメラワークで感情をライティングや色味で表現するから好きなんだ、という事は私は脚本よりも視覚を重視して映画を観てるのかーとか

全てを理論的に意味づけする事を始めて
そうすると徐々に自分はどういう人間なのか
うっすら形が見えてきました。


自分の形がわかると
自然と自分がどういう場所に身を置けばいいのか
どういう人と関わるのが心地良いのかわかってきます。

そこからまた自分の意見を他人に話したり聞いたりして
やっと自我が芽生えてきたような感覚がありました。

もともと交友関係は狭いし
それは今も変わらないけど
少ない人数の中でもディスカッションする事は
大事だなと思います。

他人を知ると自分を知れるってやつです。

あとそういうのって意外とすぐ忘れるので
文字に起こすのも大事です。

ただこの時点では理屈臭いだけの頑固なブスだったので25あたりからは自分の趣味趣向以外の事にも目を向けるようにしました。


センスは知識量というので
とにかくいろんな本を読んだし
音楽を聴いたし建築を見たり
展覧会に足を運んだりしました。
スピ系や自己啓発や宇宙とは、哲学とはみたいな
講演会も行ったりしました。

苦手なものを苦手!で遮断せず
それを好む人の心理を読み解くと
意外と受け入れられたりするものです。

生理的に無理だったとしても
なぜ無理なのか自問自答すると

好きなものがより明確になったりしました。


それを繰り返して今の自分がある気がします。

持論ですが「センスが良い人」って
何をチョイスするかより
自分の好きな物に対してこだわりがあったり自分の言葉で表現できたりする人なんじゃないかなと思います。


あと
視野が広くコミュ力を駆使しいろんな経験を経て成長するタイプ

探究心に長けていて没頭しながら一つの場所を掘り下げまくって成長するタイプ

2種あるので自分はどっちかなって考えてみるのも良いかもしれません。

ちなみに私は後者でした。根暗なので。


変な話
上を目指すと壮大な宇宙があって
下を掘ると本質のコアがあるように
どちらを選んでも面白味はありますよね。

他の人と比べるとまだまだ浅はかで無知だなぁと虚無ったりする時も多々ありますが

いろんな人の知識や価値観をちょいちょい拝借して
自分の物差しでふるいにかけて
誰でもない自分の価値観を創造する作業は
きっと死ぬまで続けていくだろうし
人生を豊かにするひとつの手段のようにも感じます。



思い返してみると私は色々気づくのが遅くて
くすぶっている期間も長かったけど

「好き」という感情を大切に育てれば
「好き」で形成された自分が形作られていくし
自分磨きに最適な環境や物や人を
自分の意志で選択できるようになると思います。




余談

ここ最近は一周回って
こうでこうだからこうなんだ!!
って得意の頑なな固定観念を少し抑え気味にして
「なんとなく」を大事にしようと心がけてます。

言葉は無限だけど
自分の知りうる言葉の数で表現できる物は
限られているので
全部を全部、言葉で固めようとせずに
「なんとなく」を漂わせていると
たまになんかのタイミングで点と点が線になり
思いがけず深層心理が見えたりする機会もあったりします。
楽しいよ。

おまけに私がTwitterで随時更新している
「死ぬまでに生で観たい絵画」のリンクを
貼っておきます。
ここから引用リツイートでオススメ絵画が
ズラズラと見れます。

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