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惑いのススメ

 かつて人気を博した昭和のアイドルは「WAKUWAKUさせてよ」と歌い人々の喝采を浴びた。それよりはるか昔に孔子は自分の人生を顧みて「四十不WAKU」と言った(正しくは四十不惑)。彼曰く、40歳にもなれば生き方に迷わないのだという。
 5年前、既に不惑の年齢に達していた私だったが、大いなる惑いの中にいた。その年、無意識にも形成されてきた死生観をグラグラに揺さぶる重大で不条理な出来事があって、ひどく悲しくメランコリックな気持ちになっていた。大げさではなく本当に毎日泣いて過ごしていて、柄にもなく人生とは?幸せとは?なんて考えていた。そして導き出した答えは、ただぼんやり生きていてはダメだ!という至極当たり前で、もっと早くに気付いていなければならないものだった。人によっては突然のパターンもある死がいつか自分にも訪れるのならば、本当にやりたいことをやって人生に悔いを残してはいけないと思ったのだ。それからの行動は早く、その8カ月後には脱サラをして、かねてからの夢だった店を開いた。それが北東北初(自分調べ)のブックバー「AND BOOKS」だ。お酒を楽しみながら店内の本を自由に読むことができる夜の店だ(もちろん接待は伴わない)。
 歴史小説が好きな父と、推理小説が好きな兄のいる環境で育ったから、自然と読書をする習慣がついていた。母はいつも笑っていた。小学生の頃は「ぼくらの七日間戦争」で有名な宗田理のぼくらシリーズを夢中で読んだ。八戸駅前の川村書店が行きつけだった。中学に入ると筋肉少女帯の大槻ケンヂを知った。彼の著作から中島らも、江戸川乱歩、安部公房らへと私の読書世界は成長期とともにどんどん広がっていった。
 日本酒が好きな父とビールが好きな兄のいる環境で育ったから、自然と晩酌をする習慣がついていた。母はなおも笑っていた。いつのことだったか誰かの本でウイスキーの奥深さを知った。中でもスモーキーなスコッチウイスキーの虜になってしまった。
 お酒と本。ただ自分の好きなものを集めた店なのだ。コネもツテも、ましてや経験もなかったが、常連にも恵まれて今日まで続けてこられている。
 何が起こるか分からない時代だからこそ、若い人もそうじゃない人も、人生に惑ってやりたいことに挑戦してほしい。大丈夫、けっこうなんとかなりますから。

デーリー東北新聞社提供
2022年5月4日紙面「ふみづくえ」掲載

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