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元カレとの思い出が美化されない内に。



彼氏と別れた。

もうすぐ2年というタイミングだった。



2019.8.5、私の誕生日に横浜デートで告白してくれて付き合った日の出来事は今でも鮮明に覚えている。

出会って3ヶ月も経たない内に私たちは同棲を始めた。

初めて異性とこんな長い時間一緒にいた。

本来嫌いだった電話も彼となら何時間でも話せたし、一緒にいない時は早くLINEの返事が来ないかなって何度もスマホを開いた。


彼は私を笑わせてくれて、一緒にいてとても楽しかった。バイクや釣りもお互い好きで(私はただの初心者だったが)、家にいても、どこかへ遊びに行っても何をしても2人なら楽しかった。

彼が作るご飯はとても美味しかったし、魚を捌く彼が楽しそうな姿を見て私も嬉しくなった。

シングルの布団が余るくらい2人でくっついて寝た。



私は自分で自覚してる以上に彼のことが大好きだった。






それでも別れた。

別れた理由はたくさんあったが、楽しい思い出が多いせいで、すぐに忘れてしまいそうだから書き留めていく。


別れた理由、1つ目


最初に彼のことを、ん?と思ったのはいつだったかな。

多分、私の父親が死んだ時だったと思う。


私は福岡から上京して、彼と出会った。

それからまもなく、私の父が脳梗塞で救急車で運ばれたと警察から連絡があった。

母と父はずっと昔に離婚していて15年以上会っていなかったが、私だけが父と連絡は取り合っていた。そのスマホの連絡先から私にたどり着いたらしい。


私はすぐに福岡の父の病院へ行った。

病院へは私ひとりで行った。15年以上ぶりに会う父は72歳のおじいちゃんになっていた。

意識は戻ったが、言葉が上手く話せないらしい。とりあえず、成人後見人にはなれないが出来るサポートはすると病院に話して、東京へ戻った。


その後、病院から連絡が来て父が大腸癌だと知らされた。ステージ4、末期らしい。手術の同意書を書いた気がする。父は嫌がって手術日はなかなか決まらなかった。


何度か見舞いに行ったが、最後に話した時、父は泣いた。後で病院から聞いた話だが、勤めていた会社の人も父が仕事復帰が無理だと分かると見舞いには来なくなったらしい。最後まで見舞いに来たのは私だけだったようだ。15年以上会ってなかった娘が東京からわざわざ何度も見舞いに来てくれたという事実が父を泣かせたみたいだ。

父が泣きながらありがとうと何度も言う姿を私は真正面から見られなくて、記憶の中の映像は父の手を合わせた両手だけしか残っていない。

父は母と離婚した後、養育費の支払いもしなかったし特に世話をされた記憶もなかったけど、私は自分の父親が独りで死んでいくのはなんだか嫌でわざわざ飛行機に乗って見舞いに行くようにした。


そして、やっと決まった大腸癌の手術の予定日の朝、病院から電話があった。

私は東京にいた。


「容態が急変しました。手術ができない状態です。」


その頃、私はすでに同棲していたから、寝ていた彼氏を起こして、今から福岡へ行くと伝えた。

「お父さんが急変した。もうダメかもしれない。」

私がそう言うと、彼は寝ぼけて「大丈夫だよ」と言った。


何も大丈夫ではない。

私にはその大丈夫と言う言葉が、心のしこりになった。何も知らない呑気な考えから出た「大丈夫」、私が電話一本で福岡に直行する状況に対して空気が読めてない彼。


そこは飛び起きて心配して欲しかった。

彼女の父親の大変な状況を一緒に心配して欲しかった。私を支えて欲しかった。


普段から父のことを深刻に伝えてなかったせいかもしれないと今は思う。

それでもあの時は分かって欲しかったなって思う。


彼の反応に少し悲しみを感じつつ、福岡の父の元へ飛んだ。


到着した時、父は意識がない状態だった。

病院側も出来る事はなく、ただただその時を待つだけという状態。

私はひとり、父の手を握った。

15年以上離れていた父の最期に何と声を掛ければ良いのだろう。

何も浮かばない。

ありがとうも違うし、怒る気持ちもないし、死なないでとも言えない。

ただ握った手から私がいる事を伝えるしかなくて、父の手を強く握ったり撫でたりするしか出来なかった。


到着から約40分後、父は死んだ。


病院の人は、私が来るのを待っていたんだねと言ってくれたが、私にはそうは思えなかった。父は、最期の時にやっと見舞いに来た人間が私だけだと知ってがっかりして死んだように感じた。


その日は父の近くにいたくて、病院の側に宿を取った。

なんだか涙が止まらなくて夜中までずっと泣いていた。午前3時頃やっと泣き止んできた時に彼から電話があった。


心配させたくなくて、明るい声で電話に出たら彼は酒に酔っていた。

そもそも心配して電話をかけた訳ではなく、飲み会が終わって気分が良くなって夜中の3時に電話をかけてきただけだった。

その日のLINEの履歴を今見ると何も残っていなかった。私も状況を連絡していなかったし、彼からも心配のLINEを送ってこなかった。


これは付き合って3ヶ月目の出来事。

初めての"ん?"だった。


このしこりはずっと消えないだろう。




2つ目



次の"ん?"は、仕事で帰りが遅くなる日の連絡についてだ。

彼の仕事は宅配専門の飲食業で夜、普通に仕事を終えても夜の23時ごろになる。

店締めが長引いて1時を過ぎる事もある。

遅くなる事は仕方ない。ただ、遅くなるのなら連絡をして欲しい。私は何度も彼に言った。

終電で帰るのか、タクシーで帰るのか、はたまたホテルに泊まるのか…

状況が分からないままで、待つのはしんどい。心配だし、連絡がないまま何時間も待つのは辛い。夜中の3時にスマホを見ながら待つ時間…結局帰らない時はただの無駄になる。


待たずに寝れば良いと言う人もいる。

でも私は、好きな人の帰りを心配して待つ人間でありたい。無事に帰ってきたのを確認して寝たい。

何かあれば飛んでいける状態でいたい。

これまでそうやって好きな人たちを大事にしてきた。



心配するから連絡してと何度も伝えた。

それでも彼は連絡しなかった。


彼曰く、

店締めの後、スタッフ達と話しているのが楽しくて私のことを忘れるから連絡をしないらしい。連絡しなきゃと思っている内に私のことを忘れるそうだ。


何度目かの話し合いで彼はそう言った。

じゃあどうしようもないじゃん。



私は楽しい時、私だけが楽しいんじゃないのか?とすぐに彼のことを思い出す。

自分が楽しくなった時に、離れたところにいる彼もちゃんと今楽しいかな?って考えるのは普通だと思う。ちょっと気にかけて連絡しちゃうとか当たり前だと思っていた。

よく、「今何してるの?」って恋人同士で連絡するのはそう言うことだと思ってた。


でも彼は違うようだ。

では、私は自分の考えを変えて寝て待つべきだったのか?自分の大切にしたい生き方を捨てるべきだったのか?

一緒に暮らす人間を私はやっぱり待ちたい。そう思う。


たった一言、連絡を望むのはわがままだとは思えない。好きな人が嫌がることを続ける神経が分からない。

でも彼は私を忘れる。連絡がないことに対するストレスは一生無くならない。

私は連絡がないことを我慢できない。


別れるしかないのだと悟った。


他にも色々思うことはあったけど、一つずつ変えてもらおうと、連絡のことしか彼には言わなかった。

でもたった一つの事すら彼は変わらなかった。私はその程度の彼女なのだと思い知らされた。



3つ目


3つ目は私の声が届かないことだ。

伝えた事を覚えていない事がけっこうあったし、そもそも私がした返事が聞こえてないことが多かった。

話しかけてきた割に、私の返事を聞いていない。また、私が掛けた言葉に返事がない。

それもストレスだった。

大きな音で音楽を聴きながら話しかけてきて、私の返事はもともと聞く気がないのかな。

私はあなたの吸音機ですか⁇


言葉の届かない相手といても自尊心が削られるだけだ。

また、話を聞いてたとしても、理解できていない時があると気づいて、諦めの気持ちで細目で空を眺めたくなった。(遠い目)



私は彼と付き合って20キロ以上太ったが、その事を彼に言われたくなかった。

そもそも太っていても人間としての価値は変わらないと信じたかったし、実際友達の対応も変わらなかった。

でも彼は私の太った体について何度も言及してきた。

もともとセックスの回数も少なかったし別にいいじゃないか、と私は思っていた。

何か迷惑かけたかよって。

だが、「太っても好きだよ」って言葉はプラス5キロまでが対象だったようだ。


やめて欲しいと長文で説明した後も、太ったことに突っ込んできたから、話の意味が理解できていないのだと分かった。

彼にとって私の言葉はとっても軽いのだ。




極め付けは、半年前から同棲解消のために新しく家を探すって伝えていたのに、家が見つかったって言った後に急に引き止める様な行動を始めたとき。

私の言葉を本気にしてなかったのかな?

どうせ口だけで、結局は自分から離れないって自信があったのかな。

何も話を聞いてないよな。



私はそれがとても辛かった。

彼にとって蔑ろにしていい人なんだ。私は。


そう何度も思わされた。




4つ目


人の気持ちを想像できない所もあった。


父親が死んだ時もそうだけど、なんて配慮のない人間なんだと思う。

何で彼女が父親の急変で福岡に帰った日の夜に酔って電話をかけて来られるのだろう。

私の気持ちとか考えたことないのだろうか。

自分が父親に愛情がないから、私も同じだと思ったのかな。家族構成も似ていたし。



他にも、私が交通事故に遭った時、病院まで迎えに来てくれたけど、その後もともとあった約束の人と釣りへ行った時もビックリした。

事故に遭った日の夜くらい一緒に過ごしてよって思った。

ただのかすり傷だったけど、精神的には参ってた。


でも彼は職業柄、交通事故には慣れてるからなのかな。それとも約束の相手に強く誘われたから断れなかったのかな。

私を家に届けてそのまま釣りへ行ってしまった。


私は迎えに来てくれた彼に一緒にいて欲しいとは言えなかった。1人で眠りにつく時、シングルの布団がとても広く感じた。



私は彼と出会ってから、精神的に辛い時いつも1人だった。

どうせ1人なら、最初から1人の方がずっと楽だった。普段2人でいるから余計に1人が辛く感じた。


彼はきっとこれからも私がしんどい時に一緒にいてくれない。寄り添ってくれない。

そう思うようになって、一人の時に泣く事が増えた。

彼に依存するのはやめよう。いつ一人になっても大丈夫なように準備しておこう。


そう心に決めてまた泣いた。


とりあえず4つでやめておく。


正直、まだまだある。お金にルーズな所やポテチを食べて汚れた指先をTシャツで拭くところ。すぐ舌打ちするところや、ちょっとしたことですぐキレるところ。頑固過ぎて親切な提案をすぐ拒否するところや、人に優しくない所。目の前のことしか考えられないし、自分だけが大事なところ。 

まだまだある。私は彼が好きなテレビを一緒に楽しむ事はできたが、私が好きなテレビを彼と一緒に見る事はあまりなかった。つけてみたこともあったけど、横でつまらなそうにしてる彼を見てすぐに消した。彼の好きな音楽を一緒に聞いたけど、私の好きな音楽をかけることもなかった。




でも全然好きだった。

別れてまだ1日しか経ってないのにもう嫌だった事は忘れ始めている。

このnoteはこの先何のためになるのか分からないけど、とりあえず書いておいて間違いはないと思う。


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