見出し画像

私の大切なうさぎのこと

2024年6月21日の16時半ごろ、9年半をわたしと一緒に生きてくれたうさぎ(ちょび)がこの世を去りました。


享年9さい6ヶ月(かわいい)

命あるものはいつかこの世を去る。それは分かっていたことだけど、なぜだかちょびに限っては違うんじゃないかと思ってました、そんな事はありませんでしたが。


今日でちょびがいなくなってから、初七日を迎えます。
まだまだあの、フワフワチョロチョロしていて、人間にあまり媚びない、賢いうさぎがいない生活に慣れません。

私はありとあらゆる辛い出来事について、紙でも絵でもブログでも、とにかく書き記すことで発散させていく人間です。
なので、私がすごく大切に思っていた、宝もののようなうさぎについて書きたいことを書いていきます。

-

連れ帰ったその日にケージから脱走したあげく、充電コードや壁のヘリを元気いっぱいガリガリやっていた時点で察していましたが、ちょびはかなり賢い子でした。

トイレもそこまで失敗することはなかったし、入っちゃダメと言われたところには入らないし、猫用の知育玩具を理解して遊ぶような子。

猫用のおもちゃを使っておやつを食べるうさぎ(すごい)


そんな賢くてかわいい子に対して、学生だった私はすごく未熟でした。

お金がなくて、安いごはんしか食べさせてあげられなかったこと。

私の部屋の冷房を消したがる親から守ってあげられず、なんどか出かけてる間に冷房を消され、暑い思いをさせてしまったこと。(実家暮らしでした)

大学生活が楽しくて、帰りが遅い日が連日続いたこと。

爪を上手に切ってあげられなかったこと。


たくさんの後悔が残ります。
ちょびが4歳を迎えるまで、元気に生きてくれたことは完全にちょびのおかげです。


-

ちょびが4歳のころ就活をし晴れて社会人となった私は、コロナの流行で、入社早々在宅勤務をしていました。

私が仕事をしていると、ちょびがよく足元に横たわって寝ていました。

かわいいアニマルセラピスト(あぶない)

ちょび~危ないよ、そんなところにいたらイスでひいちゃうよ。とお尻あたりをポンポン叩くとどこかへ行くのですが、知らないうちにまたイスのそばでだらっとしてるのが常でした。

朝起きたら布団から顔を出しておはようを言いにきてくれたり、
ちょびの姿が見えなくて探し回ったら押し入れに隠れてたり、
洗濯ボックスの中から出られなくなってたり(布をかけて置いてたので、乗れると思ったらしい)、
部屋のドアを開けるたびに脱走に挑戦してみたり、

そういえば、映画もよく一緒に見ていたな。

イカゲームを見るちょび(かわいい)


-

こんなに穏やかで幸せなちょびとの日々を終わらせたのは私です。
韓国への移住を決意して、ちょびも連れていきました。

この判断はちょびにとって、どうだったのか今でもよく分からないです。

(うさぎと一緒に韓国移住を考えてる私のような人がいるかもしれないので、手続きなどの情報を共有しますね)


なんどか「うさぎって飼ってると気持ちが分かるようになるの?」と聞かれましたが(この質問イヤでした)、自分以外のすべての生き物について気持ちが分かるなんてことはないな、というのが私がちょびと9年半暮らして出た結論です。

私とちょびは全然ちがう生きもの。

全然ちがくて、めっちゃかわいい

だから、私はちょびがどういう気持ちなのか、寂しくないか、暑くないか、寒くないか、おなかが空いていないか、どこか痛いところはないか、を毎日の暮らしを通して観察させてもらう気持ちでずっとお世話をしていました。

それでもやっぱり分からないから、最後病気にさせてしまって、死なせてしまうのですが。


9歳半というと大往生のようにも思えますが、私以外の人間が飼っていればもっと長生きできたのではないかと、そんなことを思ってしまいます。

-

韓国に来てからも、私が帰宅すればちょびはいつもただかわいく、そこにいて、息をして、寝たり、チモシーを食べたりしていました。

私がりんごを手に近寄ると、タッタッと走ってきてりんごを奪い、安全なところでムシャムシャと食べるちょび。

色とりどりのチモシーの中から、穂の部分だけを選んで食べるちょび。

キャベツや小松菜のような野菜より、パクチーやシソのようなクセのある野菜が好きなちょび。


ちょびはいい子だ~と頭を撫でてあげると、目を細めてぐにょ~んと伸びるちょび。

その瞬間私とちょびは確かに同じ感覚を共有していて、

ちょびが私を見て、私もちょびを見て、そんな風に全然ちがう生きもの同士が一緒に過ごした時間が9年半もあって、気持ちが分からなくても私はちょびのことが大好きでした。

撫でられにやってくるカワイイ(うさぎ)

-

ちょびが体調を崩したのは、2024年6月19日のことです。
飛行機に乗って韓国にやってきてから、2年目のことでした。

白内障、足腰の神経症状に加え、慢性腎不全を患っていたちょびは、毎日皮下捕液といって脱水症状を補うための点滴を受けていました。

病院に毎日通うのは高齢のちょびには負担が大きいので、自宅で私が直接、ちょびに点滴をします。

点滴直前の光景(かわいい)

ちょびは割とおとなしく点滴を受けてくれていました。

体の足りない水分が補われると少し楽になるのか、それとも針を刺された怒りのためか、注射を受けた直後はいつも勢いよくご褒美のリンゴやらパクチーやらをムシャムシャと食べていました。

これだけよく食べるなら安心だと、楽観視していたのがいけなかったのかもしれません。


うさぎの胃腸は常に動いている必要があります。
食べものを食べて、胃腸がうごいて、出す。
その循環がとても大切で、1日でも止まるとすぐに生死に関わる生きものです。

ちょびはよく食べていましたが、出るべきものが一切出なくなりました。
腸からはキュルキュルと音がして、ガスが腸に溜まっていることが分かります。
ふつう、うさぎからそんな音が聞こえることはあまりありません。

病院でもらった胃腸促進剤を飲ませ、皮下補液の回数を増やし、夜中は1時間おきに起きて様子を見ました。


ぐったりしながら私になでられているときのちょびの様子は、苦しそうにも、いつもと変わらないようにも見えました。

この状態のちょびをなでていました


金曜日の朝、その日もいつものように点滴から1日が始まりました。

針を刺すときに、ちょびが少し嫌がったので、誤って私の手を刺してしまい、ぷつっと血があふれて中々止まりませんでした。

人の血がちょびに入ってはいけないので、念のため針を取り替え、いつも通り30mlの輸液をちょびに入れます。刺さったのが私の手でよかったと思いながら。

水分補給をしたことで少し気分がマシになったのか、その後自らチモシー入れまで這っていき、チモシーを数本食べ、大好きなセロリも食べ始めたところで、今日一日は大丈夫そうだと判断し急いで仕事に出かけました。

それが、私が生きているちょびを見た最後でした。

力強くセロリを食べるちょび
(手前に落ちてるのはペースト状にしたペレット
この後完食)

ちょびの最期はペットカメラを越しに見ていました。

突然けいれんしだしたので、電話で同居している婚約者に連絡をし(彼は夜勤があるので、ちょびを気にしつつ寝ていたのです)様子を見るようお願いした後、急いで席に戻ります。

再びカメラを点けると、ちょびはまだ苦しそうにけいれんを繰り返す最中でした。


カメラの隅から、婚約者の大きな手がぬっと現れて、ちょびをなで始めました。ずっとずっと、なんどもちょびの小さなおでこから背中にかけて、優しくなでていました。


これまでありがとう。もう頑張らないで。

そう思いながら見守っていると、少しずつちょびの動きがゆっくりとなり、やがて完全に止まって、上にぴこんと、通知が出ました。

「ちょび、死んだみたい」

-

ちょびの薄れゆく意識の中で、最期まで残っていたものが、誰かの大きな手でやさしくなでてもらった感覚であれば良いと心から思います。

自宅に帰り、その死を確認したあと、回復に一縷の望みをかけて最後まで食べさせなかったバナナをまず箱の中に入れてあげました。

バナナがすぐそばにあるのに、ぴくりとも反応しないちょび。私の知らないちょびの姿です。

その空間にはまだ、ちょびが生きていた痕跡があまりにも生々しく残っていました。
私たちには食べられない沢山のチモシーや、使い終わりを待つ輸液、掃除用のちりとりなど、うさぎを飼うための設備はすべて整っているのに、うさぎだけがいませんでした。

-

この世の中から1匹のうさぎがいなくなったことを誰も気に留めなくても、私だけは気に留めます。

20代のほとんどをちょびと一緒に過ごしました。
大学に入学して、初めてのバイトで怒られて、就活をして、社会人になって、韓国に移住して、婚約者ができたこの期間、ずっと私のそばには一匹のうさぎが居ました。

頭のどこかで、結婚式を挙げるまでこのカワイイうさぎは私のそばにいてくれるだろうと思っていました。
だから新婚旅行の話が出ても、ちょびがいる間はいけないと断っていたし、婚約者も私の意志を尊重してくれました。

うさぎ(かわいい)


本来、太陽が沈み、水を沸かせば沸騰し、風が吹けば木の葉が揺れるのと同じくらい、生きものが死ぬというのは避けられない出来事ですが、私はその避けられない出来事を避けられなかったという当たり前の事実に、ついつい何か特別な意味を見出そうとしてしまうようです。

例えばこんなことです。
ちょびがこの世を去ったのは金曜日。

日曜には、婚約者との両家顔合わせが予定されていました。

もともと、日曜にちょびを置いて家を空けることについて私は強い不安を感じていたので、ちょびがわざわざ金曜日を選んで急いでいってしまったことに、どうしても何か意味のようなものを見つけようとしてしまいます。


私たちは金曜日の夜に葬儀を済ませて、土曜日に思いっきり泣き、日曜日には予定通り、顔合わせに出席しました。

顔合わせでは新婚旅行の話が出ました。
私は、ちょびがいるから行かない、といいかけてもうその必要がなくなったことに気が付きました。

ちょびがいなくなったことを知らない両親は、楽しそうに話しています。私は一人、ちょびが生きててくれるなら旅行なんて行かなくていいと思っていました。

本当にそうです。
なんでもするから、またちょびに会いたい。

泣かないように我慢していた涙が、両親と別れ戻りの列車に乗ったとたんあふれだしました。

涙をぬぐい、ふと手をみると、最期の日の点滴で誤って刺してしまった傷口が、ほとんど治りかけていました。


太陽が沈み、水が沸騰して、木の葉が揺れるのと同じように、時間が進んでいくのは避けられません。

私の手の傷は治っていきますが、心に空いた穴は埋まってほしくなく、これはこのままで抱えていこうと思います。

たくさんのかわいいと幸せをありがとう。

-

最初に言った通り、今日で初七日を迎えます。

今日から少しずつ日常に戻る準備を始めようと思います。


長文でちょびへの想いをしたためられる場所があってよかったです。

ここまで読んでくださった方にお礼申し上げます。

ありがとうございました。


いつもみたいに朝日を浴びるちょび





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?