動物園動物の「献体」について

はじめに

今からおよそ2ヶ月ほど前。王子動物園で飼育されていたキリン「ひまわり」が、岩手サファリへ引っ越す途中で亡くなってしまいました。
数日前、ひまわりの病理解剖の結果とともに、彼女の遺体が国立科学博物館に献体されたことが公式に発表されたので、彼女に関わった人間として、思いの丈を綴ることにしました。
なお、私は動物園の関係者ではなく、一研究者です。飼育や輸送のプロではなく、知識も微々たるものです。それゆえ、この記事の中では、本件で大きく批判されている「輸送方法の適切さ」については触れません。ご了承ください。

わたしとひまわり

私は普段、動物園の動物を対象に、解剖学の研究を行っています。
何らかの事情で亡くなってしまった動物たちの遺体を「献体」(注1)していただき、筋肉や骨格の仕組みなどを調べています。特に、幼少期から大好きな「キリン」をメインに研究を行っています。
(注1:ひまわりに限らず、動物園の動物は、死後、大学や博物館に「献体」という形で寄贈されることがあります。これについては、後半で詳細を書きます)

これまで、45頭のキリンを献体していただき、解剖してきました。研究内容については、書籍にまとめて出版したり、メディアで紹介していただいたりしていますが、ここにリンクを貼るのは何か違う気がするので、興味がある方は各々調べていただければと思います。
(なお、私は獣医師や医師ではありません。あくまで生物学の研究として、解剖を行っています。)

私がひまわりの訃報を受けたのは、4/12 21:00ごろでした。解剖に立ち会ってもらえないかという相談と、博物館への献体を検討しているというご連絡でした。
国立科学博物館の担当者・遺体の輸送をお願いしている業者さんに連絡し、業者さんに仕事の調整を行っていただき、明朝6時ごろには献体を受け入れる体制を整えることができました。数日分の予定をキャンセルする連絡を各方面に入れ、解剖の準備をし、8時ごろには動物園に向かう新幹線の中でした。
(余談ですが、3月の地震の影響で東北新幹線が一部不通で、現地に向かうのに意外と苦労しました。)

これまで数多くのキリンの献体をお引き受けしてきましたが、輸送中に死亡してしまったという例は初めてでした。
私は輸送や飼育に関しては素人なので、多くの方々と同じく、「なぜこんなことが起きてしまったのか」「防ぐことはできなかったのか」と強く思いましたし、とても悲しく、大きなショックを受けました。今でも「どうして?」と思いますし、他のキリンの引っ越しを見るたびに、とても心配な気持ちになります。
「キリンの解剖をしているならば、キリンが亡くなったら嬉しいんでしょう」や「張り切って解剖に向かうんでしょう」などと言われることが稀にあるんですが、平均寿命(注2)よりも短く亡くなってしまった場合は、たとえ自然死であっても悲しいです。ましてや今回のようなケースであれば、言うまでもなく辛かったです。
いつになく凹みました。ただ、私は私にできることをやらなければならないので、訃報が届いた時には、「頑張らなくては」とは思っています。
(注2: 国内で飼育されているキリンの平均寿命は、オスでは10歳、メスでは17歳くらいです。野生と比較すると、オスはやや短命、メスは同程度です。体重1トン近くなる大型動物にしては、寿命は短い方だと思います。)

動物園で死亡してしまった動物は、まず、動物園の獣医師によって死因解剖が行われます。場合によっては、外部の機関に依頼して病理検査(組織や細胞を観察し、どのような病気かを診断する検査)を行うこともあります。今回の場合は、外部の研究者に依頼しています。
なお、前述したとおり、私は獣医師ではないため、基本的には診断は下しません。死因解剖時に、組織採取のお手伝いをしたり、骨折や脱臼の痕跡がないことを確認したりしました。

動物園の「献体」システム

死因解剖を終えたあと、ひまわりの遺体は、4/14に国立科学博物館に運び込まれました。そして、そこでさらに詳細な解剖を行いました。
公式の発表には記載されていませんでしたが、今後は骨格標本として保管されます。剥製にはなりません。彼女が生きた記録、悲しい死亡の記録とともに、大切に大事に保管します。この先何十年、何百年にもわたって。
動物園から博物館に遺体が献体されることは、珍しいことではありません。国内では、このような献体システムが非常に発達していて、全国各地の動物園が献体という選択肢をとってくださっています。
有名なところで言うと、井の頭自然文化園で飼育されていたアジアゾウ「はな子」が、国立科学博物館に献体されています。ひまわりが生まれ育った王子動物園でも、過去に飼育されていたキリンの「夏子」「シンペイ」「シゲジロウ」「ミライ」の少なくとも4個体が、死後、東京大学総合研究博物館に献体されています。
キリンやゾウなどの大型動物の場合は、遺体を埋葬・火葬することが極めて困難であるため、献体という仕組みを活用していただくことが多いです。
キリンの場合、現在全国で約200頭ほどが飼育され、年間で10頭前後が亡くなっています。正確な数値は把握していませんが、そのうち約半数ほどが、どこかしらの研究機関に献体されている印象です。(広大な土地をもっている園の場合は、自前の土地に埋葬することもあります。)
そして、献体された大型動物は、基本的に骨格標本として保管されます。上に挙げた「はな子」「夏子」「シンペイ」「シゲジロウ」「ミライ」も、すべて骨格標本として保管されています。
(なお、亡くなる原因は様々です。寿命と思われる個体もいれば、難産の結果死亡してしまうこともあります。残念ながら、事故で亡くなってしまう個体もいます。)

剥製と骨格標本

さて、今回この記事を書いたのは、「博物館に献体された」という情報を見て、「ひまわりを剥製にするの?」「剥製なんて見たくない」というコメントをいくつか見かけたからです。
今回、ひまわりを剥製にする予定は、動物園にも博物館にも全くありませんでした。はじめから、剥製ではなく、骨格標本として保管するというお話になっていました。
実は、上述したアジアゾウ「はな子」の時にも、剥製にする予定は全くなかったにもかかわらず、「剥製になるらしい」といううわさ話が広まりました。
下記は、その噂をうけて、寄贈先の国立科学博物館の川田さんが書いたメッセージです。
(引用元:https://www.kahaku.go.jp/userguide/mailmagazine/backnumber/?id=0001470293978284

ゾウの剥製 動物研究部 川田伸一郎

アジアゾウのはな子についての反響が大きいようです。報道にある通り、このゾウの死体は国立科学博物館へ寄贈され標本として利用されることになりました。この報道を受けて、はな子が剥製になるような話が広まっているようです。はな子を飼育していた動物園も博物館側も、剥製を作る計画はありませんでした。「博物館に行くのだから剥製にして展示するのだろう」とどこかで解釈されて、そのような記事が出たことが始まりなのでしょう。博物館は展示用の剥製だけを収集する施設ではなく、研究用の仮剥製、骨格標本、液浸標本といったさまざまな標本を収集しています。話題になった高齢のゾウだけでなく、交通事故で死亡したタヌキ、ネズミやモグラの捕獲個体などもすべて同じように大切な標本として収集・保管しているのです。

そもそも動物園で死亡したゾウを剥製にするのは限りなく困難です。剥製にするためには、死亡してできるだけ早く毛皮をはがして処理しなくてはなりません。この作業を無事に完了させるためには、それなりの設備、人手およびお金も必要となります。つまり事前にこのゾウが死亡した時のために準備しておかなければならないのです。いろいろな考えがあるでしょうけど、僕はいかがなものかと思います。

すでに全身骨格がほぼ完成しました。全身骨格といっても展示用に組み上げたものではなく、ばらばらの骨です。研究用の骨格標本としては、このほうが観察や計測には都合がよく、こうして保管されることがほとんどです。現在、展示の予定はありませんが、いずれお目にかけることもあるでしょう。

科博メールマガジン第692号 2016/8/4 発行


私も、「大型動物を剥製にするには、死亡前に様々な事前準備が必要。それはいかがなものかと思う」という意見に賛同します。残念ながら亡くなってしまった個体に対して、なるべく多くの物を残してあげたいとは思っていますが、亡くなる前から「死後の準備」(特に剥製にするのにかかるお金の準備)を着々と進めていくのは何かが違うと思うからです。
ひまわりは、多くの方に愛された子でした。そして、たくさんの方が辛く悲しい思いをしました。それゆえ、今回の「献体」について批判的に捉える方もいるかと思います。
全ての方に理解していただけるとは思いません。でも、「献体」や「骨格標本として保管する」ことを悪いことだとも思っていません。
岩手サファリは広大な土地をもっているため、そこに遺体を埋めてしまうこともできました。それでも今回、献体という選択肢をとってくださり、骨格標本として保管することになりました。標本として適切に保管されていれば、いつか何かの検証を行う際に、参照することも可能です。「残すこと」「適切に保管すること」は、未来につなげることだと、私は思います。

さいごに

ひまわりについて、様々な思いをもつ方がいらっしゃると思います。この記事を読み、さらに辛い思いをする方もいるかもしれません。批判的なコメントもくるかもしれません。別にこんな記事を書かなくても、黙っていてもよかったのかもしれません。
それでも、ひまわりの最後に関わった人間として、「第二の生涯」に送り出し、ともに歩んでいく立場として、何か言葉を残そうと思った次第です。

最後になりましたが、ひまわりのご冥福をお祈りいたします。この先二度と、こんな悲しい死が起こらないことを、心から願っています。

2022年6月12日 郡司芽久


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