これからの時代の不敬なひとたち

名古屋アナキズム研究会はナンバー1と会員番号2000がそれぞれ天皇主義者であるという「アナキズムとは」な情況であるので(真ん中の方がどのような工合かまでは実は把握されていないという説もある)、最近読んだ『大失敗』の煽り文を受けて赤井の宮台真司批評について触れておくことにする。但し残念なことに、先の批評を読みこのnoteを書いている天皇主義者はアナ研の中でも特に放言部門と揶揄されている会員であるので、積極的な批判的投稿についてはナンバー1の投稿を待つ必要があるだろう。

宮台が天皇主義ファシストに転向したことについては特に異論はない。というよりも歓迎すべき事項である。どこまで意識共有がなされているか怪しい名古屋アナ研において、ナンバー1と会員番号2000の間で一致していると思われることの一に「すべてのものが貨幣で交換可能な時代において、唯一交換不可能な天皇の血統を根拠に革命をする」と言い換え可能なものがある筈なので、この点においては宮台は同志といえるかもしれないくらいである。5月3日に行われた「令和残侠伝」において『大失敗』のメンバー及び周りにいた人たちとのやりとりにおいて、この辺りが決定的に決裂しているという印象を持ったが、赤井の論評を読めばその辺りが確信となる。

結論を言うならば、赤井のいうアジには全くのることができないという一点につきる。乗れない理由は簡単で、生理的に無理だからである。放言部門からすればこれ以外に表しようがない。生理的に無理というからには理窟ではないので自己紹介をしてどうして無理なのかを解説する以外にない。しょうもない略歴を書き連ねることになってしまうがご容赦願いたい。

このnoteを書いている天皇主義者は小さい頃から「天皇陛下万歳」と叫んでいたどこにでもいる少年だった時期を持つ。中学校に進めば「マルクス主義」を習うので当然その正しさを理解し「マルクス主義者」に転向する。しかし結局「天皇陛下万歳」を捨てることができずにここまで来てしまった人であるので、正しく「天皇制」を廃すことを目指すことができずに、「天皇の血統」で革命を目指すことしかできなかったとも言える。

話は少し変わるがこのような下地があり、どうして「反共」を言えるかについても補足しておく。赤井は「技術による社会変革」によりもたらされる「美化されたエサ」は下層階級には届かないとしているが、このnoteを書いている天皇主義者はそこでいうところの「廃墟とエサ」という「剥き出しの現実」が享楽として機能し、なんとなく幸せに生きてしまえるだろうと予測している。そしてそれこそが赤化が完了してしまった社会であり、そういう社会に対する生理的拒否反応としてのみ「反共」を宣言できるのである(更に補足すると、Amazonといった企業を赤色企業とレッテル張りして不買運動を勝手にしているのもこの辺りの拒否反応に依る)。

反天皇制の話に戻る。宮台は左翼が退潮する理由は「正しいけど、つまらない」からだと言い、赤井はそれに対して「正しいし、楽しい」という理論を提示する。憲法改正による天皇制の廃止、フランス革命の如くギロチンで殺すといったよくある2つの方法に加え、乱交させることで血を汚すという3つ目の方法を上げている。赤井によるとこの3つ目の発想は平岡正明がすでに提起していたことであるが、旧左翼󠄂のハードコアを新左翼のやり方でリミックスすることが自分の手の内であると明かしている。これを以てこのnoteを書いている天皇主義者は「新不敬」的だとさしあたり評したわけである。

これをやられたらたまったものでない。革命をするのに「天皇の血統」を持ち出してきたのに乱交させられてこれが混乱してしまえば、子が万世一系の天皇家の手形を発行することができなくなってしまう。そうなれば使い物にならないことは火を見るより明らかである。更に厄介なことに、中学生の時に転向してしまったがためにこれが「正しいし、楽しい」ことが客観的に見れば理解されてしまう。ならばその路線に合流すればいいではないかと思えるかもしれないが、それは不可能である。そこが生理的に無理というところのつらいところである。

まずこのnoteを書いている天皇主義者にはデフォルトでは公共心がない。天皇という権威がなければ即座にスターリンやポルポトを志向する奴であるので、単純に危険であるということ。更にもう1点、どちらかというとこちらのほうが急所なのだが、セックスを肯定できないことである。つまりセックスというものが可視化され意識せざるを得ない方針に耐えることができない。これは弱点でもあるのだが、無理なものは仕方がない。そして、こちらは無理だが向こうはできる、というところにはある種の脅威を感じてしまう。天皇主義者にすっ転んだリベラルや、未だに反天皇制運動に凝り固まっている旧来の左翼勢力に対しては全く脅威を感じないで済むのに対し、この差は非常にくるものがある。

誰しも革命を目指すにあたり選び取れる方針には限りがある。うちは天皇主義者で革命をやるべきだと決定した。我々と『大失敗』の界隈で矛を交えることがあれば不穏な風が巻きおこるであろうから、それはそれでよいことである。

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