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帰省という概念のない人生ですがそれなりに生きてます。

正月、GW、お盆休み……
長期休暇などでは、公共交通機関が帰省ラッシュとなったり、こぞって職場の休み希望が殺到したりしている。
みなさん実家に帰ると思うのだが、そもそも実家ってなんだろう。

実家ってなんだ

じっ‐か【実家】 の解説
1 自分の生まれた家。生家。また、父母の家。

2 旧民法で、婚姻または養子縁組によって他家にはいった者の、元の家。→実方 (じつかた) 1

goo辞書: https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%AE%9F%E5%AE%B6/

うーーん。
確かにかつて、私はそれなりに立派な一戸建てに住んでいたのだが、そもそもバブル期にバチクソ無茶なローンで建てられたものであり
パチンカスの父と、その父と離婚して、職場の人と結婚すると言い出した母による
なかなかクレイジーな離婚再婚騒動のため家を飛び出し音信不通であった20代前半あたりに、気が付いたら競売にかけられていて、気が付いたら他所の人のお家になっていたのである。
のちのち知ってマジでびっくりした。

父母がいる家?


そんなこんなで生家という意味での実家は消失してしまったわけだが
じゃあ父母の家、といえば、これまた謎である。
父は前述の通りパチンカス。職業柄、借家を転々とするような状態であったし、1度私にお金を借りにバイト先へやってきた際、激詰して泣かしてからは関わりがなく、どこで何をしてるのかすらも不明だ。
母に至っては、前述のハッピー家族計画を言い出して、ガチで再婚を果たし、さらには母の現夫が前妻と住んでいた家に住んでいる(なんかもう複雑過ぎて何言ってるか分からんくなってきた)ので
私の実家というか、母の現夫の前妻との子の実家(?)であって(マジで何言ってんだ)、私は1度も住んだことはないので、これまた実家と呼ぶにはあまりに忍びない。

根無し草?による不都合

そういうわけで、私には実家と呼べる所が20歳で生家を出てから消失してしまった。
忍たま乱太郎のきり丸のように、長期休みの度に滞在させてくれる土井先生のような人物はいなかったので(きり丸は戦争孤児で帰る家が無いため、忍術学園の長期休みで生徒たちが実家に帰るなか、土井先生の家に帰っているのです。そういう設定になぜか凝ってるところが忍たま乱太郎の好きなところ)
若い頃は多少、家庭環境のよい友人たちの話に、おセンチになる場面もあった
それなりに大人になり、そんなことは人生の小さな一片でしかない状態になった今は、気に止めるほどの事でもなかった。
しかしながら、実家とはなんぞやと調べているうちに
「実家がないとはどういう状況ですか?理解できません。」
みたいな人が結構いるらしいと分かって衝撃を受けたのだ。

確かに「ご実家はどちらですか?」という問いかけに答えるのが難しい。
その後も深い関わりがない時には適当に言って流すのだが
厄介だったのは出産時だった。
埋まらない問診票の家族の項目、もちろん問うてくる助産師……
説明が面倒なので「両親共に疎遠で交流ありません」と伝えるのだが
「産後サポートのない要注意人物」としてマークされたぞ、というのを感じてかなり気まずかった記憶がある。
医療人として非常に心強い姿勢であるが、内心ノーリアクションでスルーしてくれよ!と願っていた。  
あとは実家がない=交流のある親類がいない
によって発生する「各種イベント事の盛大さがない」というデメリットに関しても
友人が(多くは無いが割と)いるので、参加してくれたりすることもあり、めちゃくちゃ侘しいことにもならない。
なんなら私の子どもたちの中で、何かしらの親族だと思われてる友人もいるくらいである。

実家があって羨ましいこと

というわけで、「実家がなくて困ること」が特にないと思って生きてきた。
しかし最近「これは実家がないとできないし、うらやましい」というものを見つけた。
それは

「実家からの仕送り」である。

休日ゴロゴロしていると、宅配便がチャイムを鳴らす。
出てみると大きなダンボール箱。
差出人には母の名前。
またかよ〜〜多すぎだよ〜〜〜
などと言いながら開封すると、日持ちのするインスタント食品やレトルトカレー
時には野菜やお菓子なんかも入っていて
こんなに食べれねぇよ〜〜〜
などと言いながらも、添えられた
「ちゃんと食べなさい。体に気をつけて」
などというメモに目をやりながら、テレビの音だけが小さく響く部屋でじんわりと親のありがたみを噛み締めるのだ……

めちゃくちゃいい〜〜〜

これだけは本当に羨ましい。
ダンボール箱いっぱいに詰められた親からの心配と愛情。
好物を分かりきったラインナップ。
憧れでしかない。(ここまでの一連の流れは全て私の妄想だが)
義実家が地方のため、夫に向けて送られてくる荷物がこんな感じなので、今更ながら羨望と少しの寂しさを感じる今日この頃である。
「親のお節介」みたいなものからしか得られない栄養がある。
実家の消失によって、困る実害は少なくても、こうしたちょっとしたノスタルジーの消滅みたいなものが1番の損失なのかもしれない。

今後、子どもたちが無事に巣立って行ったあかつきには、丁度いいお節介の仕送りを送っていきたい。「仕送り受け取ったよありがとう〜!でも毎回多すぎるよ〜!」などと電話が来るようなラインナップの研鑽と共に、一家空中分解が発生しない老後にしていきたいと思う。

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