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貧乏育ちの贅沢あるある

幼少期、我が家は貧乏で
しかもタチの悪い貧乏で
親が見栄で購入したそこそこの一軒家に住んでいて
ぱっと見は生活に困ってるように見えなかった。

が、実情は家計は火の車であり
最低限度の文化的な生活がギリ回っているかいないかという微妙な生活をしていた。

そんなわたしが大人になってそこそこの生活が出来るようになり
「あ、贅沢してるゥ!」と思うことを集めてみた。


1.水を買う

水は水道から出るもんである。
であるからして、ペットボトルに入った水は金持ちの飲み物であるという認識で育った。
我々貧乏がペットボトルで飲み物を買う時は即ち
1ml当りのカロリーによるお得感こそが購入の基準になるからである。

派生系では、レストランなどの飲食店で頑なにドリンクメニューを頼まないというのもあり、徹底した教育により幼少期にメニュー表のドリンクの欄には目をやった記憶はない。

初めてサークルの飲み会で泥酔して、コンビニで水を購入したときの謎の罪悪感は忘れられない。

ちなみに今も水を購入することはちょっと抵抗があり、なんとなく炭酸水やお茶を選びがちであるし
ガブガブ水道水を飲んで、ウォーターサーバーのお兄さんが配ってるポケットティッシュを使って生活している。

2.夜更かし

普通に育った皆さんは、「夜更かしなんて金かからねぇじゃん」と思ったでしょうが
夜更かし=電気代や暖房費の無駄、ひいては余暇のために金を使う時間なのです。
中学生の頃でさえ基本21時就寝。それが普通と思っていたが、あいのりの話についていけずに普通では無いことに気が付いたくらいだった。

大人になった今は夜更かし大好き人間になった。
自宅でダラダラと映画を見ながら酒とツマミを貪る時間も大好きだし、外で飲み歩くのも大好きである。
夜になるとワクワクが止まらない。
だが未だに自宅の電気を遅くまで煌々と付けておくのが落ち着かなく、夜は最低限の白熱灯だけ付けて生活している。
大変薄暗いため、家族からは不評である。

3.コンビニで買い物

コンビニは人を惑わす魔の巣窟というイメージが強い。
というか、なんでも割高であるから買い物することは悪である。みたいな教育をされていた。
実際、大人になって仕事をはじめてコンビニ利用が増えて分かったことは
これが親が貧乏たる所以に気付いた気がした。

時間や移動費をかけて、安いスーパーへ行くことが実際はコンビニで割高な料金を払うよりも高くつく。
一人暮らしならスーパーの多量に入って安いものよりも、少量小分けになっているものの方が使い勝手が良かったりする。
しかし、これはコンビニに踏み入れる経済的余裕を手に入れられたからこそ気付けた事であり
私の中でこれを貧乏のジレンマと呼んでいる。

コンビニスイーツは定期的に新発売され、しかもウマすぎたり、憧れのホットスナックがレジ横にあるのも
普通に無駄遣いをしてしまう要因なので、やっぱりコンビニは人を惑わす魔の巣窟なのかもしれない。

4.野菜と果物

貧乏人の主食は炭水化物である。
片親パンというパワーワードを先日見つけて、まさに実家の朝ごはんの定番であった菓子パンの写真があり白目を剥いた。
ちなみに食パンにマヨネーズ塗ったやつとかも多かった。

健康的な食事には金がかかるということに、大人になってから気が付いた。
野菜はとても高い。が、祖父母が農家だったので、実家の食卓にはよく並んでいた。
しかし、果物は段違いに高い。
貧乏人の果物といえば、それは十中八九バナナである。果物≒バナナと言っても過言では無い。
あとは稀に特売のリンゴが並ぶ程度だった。

なので大人になり、オシャレな品目の多いサラダを専門店で購入したときは、背筋がゾクゾクするほど贅沢を感じたし、大好物の梨を旬に青果店で購入したときも梨を持つ手が震えた。

5.洋服を質で選ぶ

これに関しては、幼少期もみすぼらしい服装をしていた訳ではなかった。
これは母のおかげ(せい?)であって、前述の通り見栄で一軒家を購入してしまう人なので
どれだけ安く見えない服を、安く買えるか。
という事にウエイトが置かれていた。
(今になって思えばインスタ女子とか港区女子のはしりのような思考だったのかもしれない。)

そのため、服の機能性や耐久性は、やはり値段相応の物が多く、結局は何着も必要になる。
まさにお手本のような「安物買いの銭失い」である。

この思想はなかなか厄介で、20歳頃まで私を支配していたが、当時の友人が
シンプルなノースリーブを購入しようとしていた時、何気なく私が「ちょっと高くない?」と言ったのに対し

「このデザインなら色んな服装に合うし、こういう生地だと長く使える。つまり、1回着用あたりの金額で考えると安いまである。」

という友人の言葉に、雷に撃たれたような衝撃を喰らい以降は彼女の、この価値観に塗り替えられていくこととなった。めちゃくちゃ感謝している。

ざっと挙げただけで、これだけ思いつくほど枚挙に遑がない。他にも我が家では

  • 土用の丑の日はウナギごと存在を隠蔽されていた

  • クリスマスのプレゼントが据え置き型ゲーム機のコントローラーのみだった

など、貧乏エピソードとして昇華するにはパンチが少なく、他人が聞かされてもイジっていいのか微妙なラインの事例が多数発生していた。

貧乏育ちはなかなか抜けない。幼少期に叩き込まれた貧乏マインドは、大人になってからの生活に大きく影響する。
たしかにお金をかけない生活にメンタルもフィジカルも慣れているので、便利なこともあったが
トータルでみるとめちゃくちゃ損することになる。あとシンプルに恥ずかしい思いをする。

石油王と結婚できなくても、生き別れた大富豪の本当の親が名乗り出てくれなくてもいい。
この手に入れた、現在の中流一般家庭を末永く続け、貧乏の呪縛から子どもたちを解放することが、目下私の人生の使命である。

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