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母の願いは

60日目(6月2日)

今日は私の誕生日。
数日前から母が私に誕生日プレゼントを渡したいと言い出した。
母から誕生日プレゼントをもらうなんて何十年ぶりのことだろう。

子供の頃、クリスマスプレゼントも小学校を卒業するころには終了、誕生日もプレゼントは中学生くらいまでだった気がする。

それは、母が決して私の誕生日を祝っていないわけではなく、ケーキを作ったりして祝ってくれた。ただ、母はそういったイベントを頑張るタイプではなかったのだろう。

その母が言い出したのだから、素直に嬉しいのと同時に、何となくこそばゆさがある。

そう言い出した母の気持ちに想いをはせる。

昨年の夏に、私たち家族は、私の実家の隣のマンションに引っ越してきて、その時の母の喜びようは、見ている私もとても嬉しくなるぐらいだった。

しかし、私は仕事であちらこちらに飛び回り、家にいる日がほとんどなく、母は少し残念だったようだ。
時々、実家に顔を出すと、「ずいぶん久しぶりね」と言うのが、いつものパターンになりつつあった。

それが、ここにきての外出自粛。
私も意識がすっかり変わり、敢えて外にでて、仕事をする、そういう感覚がなくなって、家での時間をゆったりと過ごすようになった。

母の気分転換に散歩につい出したのがきっかけで、毎日話すようになった。
日常の買い物のサポート(母はスーパーにも行かないので)や退屈にならないように、通販で珍しいものを取り寄せて、プレゼントしたり、料理のレシピを教えあったり。とにかくとても仲の良いお隣さん関係になっていた。

母は、本当にこのことが嬉しかったのだろう。毎日のようにありがたいありがたい、と口にしていた。それで、今回の誕生日プレゼントということにつながったのだろう。

母をこんなに、身近に感じたのは、初めてのことだ。

母と私は、ここまでかなり異なる人生を歩んできたように思う。
お互いに分かり合えないくらいに。

母は信州に生まれ、私は東京に生まれた。
母は長女で、私も長女だが兄がいる。
母は大学に行きたかったが、家がお金を出すことができず、弟に道を譲った。
数年鉄道会社に勤めたが、結婚と同時に専業主婦になり、父の両親と同居、
私と兄を含む6人家族の面倒をみながら、父の事業も支えた。
私は二つの大学に行き、就職、結婚して子供を産み、ワーキングマザー
として、つい最近までずっと会社勤めをつづけてきた。

母は、高校時代まで優秀だったらしい。ずっと、大学にいけなかったこと、専業主婦でいることを悔しがっていた。
女性も男性と同じように大学に行って働いて欲しい。
それが、娘に対しての母の願い。

そして、私は、母が実現したくてできなかったことを私が実現した。
母は喜ばしさと、少しの羨ましさと、自分の知らない世界へ行った娘の心のわからなさを抱えていたように思う。

子供はいつも、親の世代を超えて行くようにできていて、親のわからない世界へと行くことは仕方のないこと。ただ、その世界の分からなさゆえに、私と衝突することもあった。

私の息子が小学校の低学年だったとき、毎日残業で、息子が寝た後に家にもどることもしばしばだった。その様子をみていた母が、「XXちゃんが可哀想。。。。」と、涙を浮かべながら言うのだった。
私はその母の様子と言葉に、反応する。

「会社で働くってそんな生易しいものじゃない!」
「あなたが、男性と同じようになるように育てたんじゃないの。今更何言ってるの?」

母は、それでも「そうは言ってもね、、、」悲しそうにしている。
そんな姿を見るのが嫌でたまらなかった。

お互いへのわからなさが最高潮だった時期。

それから、

だんだんと距離が近づいていったのは、なんだったのだろう。

それから、
子供が成長し、子離れの葛藤をしたり、夫との関係に悩んだり、自分の生き方を考え直したり、私の葛藤を母に話すことが増えてきた。

私自身、コーチングや様々な学びを通して、相手の感情を反応することなく受け取ることができるようになったことで、母の気持ちもそのまま受け取れるようになってきた。

私が会社を辞める時、「私が一つ山の頂上まで来た気がして、次どこに行くのだろうか、次の山をみたいと思ったんだ」という話をしたときに、
母が初めて(本当に生まれて初めてだと思う)
「その気持ちわかるわ。。。」と言った。

そのころから、距離が近づいていった。
母がこれまで、どんなことに悩み、喜び、今、何が楽しく、何が不安なのか。母のギフト(純粋さ、楽観的、好奇心、頭の良さ、粘り強さ、美しいものへの探求、疑わない人のよさ、可愛らしさ 等々)にも沢山気づくようになった。

人生の先輩としての尊敬から、母から学ぼうという気持ちが強くなっていった。

親のわからないところへ行った娘は、知らない世界を旅して、一巡して還ってきた。旅のお土産を沢山もって。

母が、今日、私の姿をしみじみと見ながら、こう言った。
「娘が白髪が出てくるころまで、生きちゃったんだねぇ、私」

ほんと、そんなところまで生きてきたね。
長い旅をしていると、想像もしなかった景色ををみることができるね。

母からは抱えきれないほどの花束をプレゼントしてもらうことにした。

形が残るものよりも、今この瞬間を最高に喜びたいと思った

今、同じ景色を一緒に見れる喜びを感じつつ。

人生はつづく。

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