見出し画像

いつでも第3の選択肢がある

あーなんだです。

あーなんだもそうですが、人は選択肢を2つに絞って提示されると、安易にどちらかを選びたくなります。

多すぎる選択肢だと迷って選べなくなりがちですが、2択くらいなら、それらしい理由をつけて自分で考えて選んだ!みたいな顔もできます。

でも、2択を提示されたとしても、どちらかを選ばなければならない、と言うものではありません。


ここでは2択の一例として、地球は球形か?平面か?というのをあげてみたいと思います。

実のところ、あーなんだは、地球が丸いというのがどうしても信じられないません。
かと言って、地球は平面ですと言われても、はいそうですかとも受け入れられない。

いろいろ調べてみても、地球が球形であるという主張、平面であるという主張、それぞれに論拠・情報が錯綜していてよく分からんというのが(個人的)実情です。
※あんまり難しいことを書かれても理解できない

X(Twitter)でも地球球形説と平面説の陣営に分かれて、日夜一生懸命争っていますが、結局結論は出ていません。
※通説は球形説なので、平面説が球形説を覆すということにはなっていないということです

よって、あーなんだは、地球は球形である、地球は平面である、に続く第3の選択肢「判断保留」を採用する次第です。

一つの矛盾もなく、分かりやすく説明できる理論が提示されたら球形説・平面説のどちらかを支持しようとは思います。

しかし、現時点では、平面説の方が理にかなっている点が多々あるような気がしていますが気がしているだけ。。。

あーなんだは、通説が地球球形説であると知っているものの、地球が丸いか平らか分からない、決められないと思っているわけなので、

「地球が丸いか平らか分かりません。判断を保留します。」

でいいじゃないですか、と。


この選択・態度について、

「常識で考えれば地球は丸いでしょ!小学校からやり直したら?」

とか

「代々伝わる教えによれば地球は平らだ!不心得者め!」

と言われても困るのです。

2択の状況でも結論を決めない自由、2択を離れて第3の選択肢を作る自由があーなんだにはあるのです。


大きなテーマについて2択に持ち込まれる流れが、世の争いの火種になってきました。
2択のどちらかに決めないのはおかしいというのなら、その前提もまた同様に疑わないといけません。

当たり前のように2択の形で提示されてくるテーマにはご注意ください。
それは誰かの都合のいいように、意図的に設定された2択の可能性がありますので。
どちらを選んでも誰かの土俵で踊る羽目になる可能性大です。

実際には第3の選択肢、なんなら第4・第5の選択肢があるし作れるんだということを念頭に置いておきたいところです。

安易な2択のどちらかを選んで済まそうとすると、今の世の中どこに誘導されて行くか分かったものではありません。


余談:
あーなんだは、太陽が1億5,000万kmもの彼方にあるとか、地球が時速1,700kmくらいで自転しているのに目が回らないとか人が吹っ飛ばないとか、月がいつも同じ面を地球に向けているのは月と地球の回転のタイミングが合っているからだ、ということをどうしても信じることができません。
それらしい説明がされていますが、どうにも。。。
果たしてどうなんでしょう?真実は。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?