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前々からやってみたいと思いつつ・・・でもまた今度でいっかと構想だけで進めてこなかった生配信。セミナーや臨店というのは「直接お会いしてやるものだ」そんな風に考えて今までやってきたから

そりゃそんな考え方では新しい取り組みは出来んですよね。で今の時期ですよ・・・。外に出れないんだからね。あっちこっち飛び回っていつもみたく仕事したいけど、どうあっても無理でしょ。

自分がどうのこうのより、自分の大切な人たちのこと考えたら動かざること岩の如しですよ。でもね岩だって何もせずそこにいるわけじゃないから我々考えた。そして、やってみようという結論に至った。

賛否両論まではいかないと思うけど、それでも自粛ムード漂う中で発信に力を入れて良いものか?今すべき内容なのか?はとても悩みましたよ。ただ良くも悪くもジッとしていられないので、仮にダメだったとしてもそん時はそん時

やらないで後悔するより、やって反省だなと

たかがインスタライブですけど、その裏には妙な?正しい?それなりの葛藤が僕にもあったのでした。まあ・・・とはいえそれほど観てはもらえないだろうし大丈夫だろうと、普段の自信過剰な僕からは想像できないほど自身の繊細な一面も発見

だがしかし!予想を大きく裏切るほどの反響があって、とてもありがたかったです。やる前に相当悩んだだけに、やった後の達成感たるや・・・

もっと早くやれば良かったと前向きな反省をするほどでした。色んな時代があって、その時代時代で関わり方は変化しているわけで。僕は「声」の時代から入ったけど、その前は「文字」全盛期ですよね。

「文字」から「声」に伝え方が変わった時、人々はどのような感覚を得たのでしょうか。文字・・・文章は後から何度も振り返ることが出来るし、字の感じで急いで書いた、丁寧に書いた、あるいはその人となりまでわかる(想像させる)

書くのに使うのも鉛筆、筆、万年筆、ボールペン、色付き、書かれる紙質もそうだし、それを入れる物も様々、何なら閉じ方だって様々でしょう。それが「声」に変わった。

すぐに用件を伝えることが出来るわけだ。文字のように届くのを待つ必要がない。ダイヤル回したらすぐだ。その速さはとても魅力的だったに違いないなと思うし、多くの物事を変化させただろう。だがその反面、声を見返すことは出来ない。

あの時の一言一句を思い出すことは声では出来ない。感情はよりストレートに伝わるかもしれないが、その時の感情が乗ってしまうぶんその時の本当の感情は伝わらないのかもしれないなと思う。喜怒哀楽は表現できても、そこに文字であったやりとを乗せることはできない。良し悪しある

文字も声も扱えるようになったら今度は画面だ。範囲内であればその人の外側の全てを伝えることが出来る。時代は進化し続けてるなと感じる。きっと画面から飛びててきて触れるようになる日もそう遠くないのだろう。

だけどこんな時代になっても一番使われるのは「文字」なのである。これが本当に面白い。きっと電話が出来た時、文字には「残す」という機能以外期待されなくなり廃れて・・・いや定位置が決まってしまったのではないだろうか。

これからは「声」の時代だと。しかし、実際は「文字」が生き残っている。むしろ「声」は減りつつある。これは「声」が廃れたのではなく「文字」に「声」が含まれるようになったからだと思う。

文字のデメリットはスピード感の無さ。対して声のメリットはスピード感。つまり文字にスピード感があるなら、そりゃそうなるよねって話。今では「送信中」の待ち時間などなくラグなしで文字で「会話」が出来るから。

昨日の初LIVEセミナーは「画面」に僕らが映り、「声」を出し、観覧者からは「文字」で質問が届き、それに対して「声」と「画面」で伝える。何なら画面内でも黒板を使って「文字」を書きながらも伝えましたからね。

これはもう今ある人類の叡智の結晶だな、とやりながら思いましたもの笑

とはいえ基本は変わらない、スタートは変わらないんだと。いくら新しいことをしたって始まり方のベースは変わらないんですよね。先に先に、新しさ、他にない斬新さ新鮮さ・・・なんて言ったってね。

初めてのインスタライブは初心を思い出させてくれる良い時間となりましたとさ。

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