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常に赤ちゃんを搭載している。

ふと、私の心や意思って赤ちゃんみたいだなと思った。

外部刺激に対して思ったり感じたり色々な反応をして、泣いたりじっと見たり欲しそうにしたりと反応はするんだけど、それに対して実行してもらえなかったり「そーじゃないんだよなー」というものを与えられたりする。外気に触れたいのにおむつ替えられたり抱っこしてあやされたり、それで泣いてみたりもすれば「ちがうんだけどなー」って思いながら寝ちゃったりうやむやにされたり興味が移ったりしている。

赤ちゃんなら、色々ままならないのも何だか分からんのもしょうがないか。突然よく分からないところでウケてみたりギャン泣きしたりするのもやむなし。と1人で勝手に納得する。

赤ちゃんなら、上手くいかないなりに世話してやらなければならんのだろうと思ったりする。意を汲むように努め、時に働きかけ、あやし、まだ眠くないと怒っていてもなだめて寝かせ、清潔を保ち、適度な食事をとらせたり、新しいものに触れさせたり、楽しませたりする必要があるんだろう。

私は眠い時やイラついた時など「心の中の赤ちゃんが暴れておるな」「心の中の2歳児が納得いかねぇって怒ってるな」と思うことが多いのだけれど、何のことはない、私は常に赤ちゃんを搭載した大型ロボみたいな存在なのではないか?

みたいなことを考えてみたりする。暇なんだな。もうじき洗濯機が止まる。秋はくしゃみが出て部屋干し派なので電気料金の安い夜に洗濯機を回すのだ。ぼーっとしながら干して寝るのだ。おやすみなさい。

コーヒーを飲みに行ったり本や苗を買ったりすると思います。