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読書感想文:おいしいごはんが食べられますように

こんばんわ、あんこです(*‘ω‘ *)

好きな人が読む本が大体面白くて参るのですが、
今回も「サクっと読めるけど、読んだ後胸焼けするよ^^」と言われながらも面白そうで読んだら胸焼けした一部始終をお送りします(*‘ω‘ *)
未読の方がいらっしゃれば、読後に読むことをオススメします。

★おいしいごはんが食べられますようにについて

頭が少し痛いだけで大事な仕事があっても早退するが、周りから守られている料理上手な女性社員、芦川。それを快く思っていないのに、“こんな時代だから”と直接注意することができない、仕事ができてがんばり屋の押尾と職場でそこそこうまくやっている二谷。
ままならない人間関係を、食べものを通して描く傑作。

著者プロフィール
 (タカセ ジュンコ) (著/文)
1988年愛媛県生まれ。立命館大学部文学部卒業。2019年「犬のかたちをしているもの」で第43回すばる文学賞を受賞し、デビュー。著書に『犬のかたちをしているもの』『水たまりで息をする』(ともに集英社)がある。

★構成

読んでて特徴的だったのは、主要人物の芦川、押尾、二谷の視点が何の断りもなく変わっていくこと。
登場人物が少なく、全員のウエイトに偏りが見られない場合は、それぞれに突出した話がある場合も多いですが、本作は、押尾と二谷の視点を行ったり来たりします。芦川目線は基本的になく、恐らく主人公は二谷だなと。最初から最後まで壇上にいるからですが。
押尾と二谷のスタンスが近い話を主に展開しているので、直前まで二谷のクソみたいな心情をを眺めていると思ったら、気づけば押尾さんの語りになっていたりと、少し頭がぐるぐるするかな、という程度です。

★感じたこと

感想文だから感じたことしかないのはそうなのですが、、、。
まぁ確かにこの内容を一言で言うなら「胸焼けする本」なんだろうな、と。笑
自身がHSP気質なのもあり、この類の((あれ?))っていう気持ちはよく感じるのですが、これはそういう「スルーしようと思えばできるけど、今ここに確実に感じている何か」と向き合う話ですね。
それに慣れていこうとする人もいるし、無かったことにする人もいるけど、押尾さんは「ある」とはっきりさせるし、二谷は思っていることはあれど表面には出さない、でも忘れることもできずに時折表面化する人です。
これを「解決させる」でもなく「消化パターンを展開する」でもなく。いや、押尾や二谷の存在がパターンなのかもしれないけど、登場人物が変化するわけではないんですよね。
生焼け肉をしっかり焼くようになる人が出てくるわけでも、生焼けでもうまいぞっていう方法が提案されるわけでもなく。
根本のアクセスではなく、「不味いものを不味いと言うのはダメなんか?」という自分の在り方を模索している時間が長い。
押尾と二谷、もしくは芦川のどちらに共感できるか、というベースで話すことはできるけれど、恐らくこの本とミスマッチする人はかなりの数になると思う。そういう人たちは恐らくこの本に「共感できるところが一つもない」という状況になる。二谷にイライラするのはみんなそうだと思うが、共感できないどころか「理解不能」の域になってるんだろうなぁと他者の感想を見て思った(笑)
ご飯をおいしく食べられ、それが素敵なことだと思っていて、きっとみんなそうだろうの三拍子が揃う、一般的な幸せに浸っている人にこの本を進められるかというと中々難しいかなと(;^ω^)
この本は、社会との摩擦に対して感じたものと自分の本音を比較し、自分の「おいしい」は何だろうと考えるのが面白かったので、感想会をすることでいくらか成仏する気持ちもあるだろうと思い、世のレビューに対して私の感じたことをいくらか書こうと思う。

★感想焼肉会

配慮される人とされない人がいる。
我慢する人とできる人で回っていく世界。
この話では「体に良い食事」がよしとされ、
疲れ切った人にとっては、
「体に良い食事」が逆に攻撃になることが妙に共感できた。

Aさん

体調不良を理由に仕事を頻繁に休んだり早退し、周りがその状況を受け入れていてお咎めなしの芦川さん。
その芦川さんが残した仕事を「できてしまうから」「残しても明日がつらくなるだけだから」片づける押尾さんと二谷。
翌日芦川さんが手作りのお菓子を会社に配り、「仕事の借りは仕事で返して」と思う押尾さん。
帰りが遅くなり、カップ麺を胃に流し込むのが習慣の二谷に「ちゃんとしたご飯」を食べることを提案する芦川さん。

まぁイラつきますよね(笑)
ブラックとは言わないけど、少なくともブラックの現場では確実にあります。誰も悪くないとすればするほど、立場の差が摩擦を生みますね。
実は私も仕事をよく休みます。メンタルから始まり体調も壊します。
自分でわかっているので入社の際に会社にも伝えているし、比較的代わりのいる仕事を選びました。
ただ、私だけでなく、職場全体の勤怠が乱れ始めたとき、会社から周知通達が出ました。
以下要約した内容ですが、
・栄養のあるものを食べてね
・十分に寝てね
・適度にリラックスをしてね、、、ということでした。
こいつらなぁんにもわかっちゃいねぇと思って笑ってしまいましたね。
疲れると食事から粗末になっていくし、
精神が不安定になっていくと睡眠の質が下がります。
会社が悪いと言ってるわけでも、休んでるほうがどうにかしろとも思いません。
シンプルに的外れすぎるんですよね、できたらやってるし、やってねとは言うものの、個人的に状況確認をすることもない。
何の効果もないのにひたすら全体周知で呼びかけても意味ないのにね。
会社としてやることはやりました、っていうエビデンスづくりにしか見えないんですよね。
「提示」と「押し付け」の区別の難しさです。

「おいしい」の要件は人それぞれでいいと思う。
二谷は何で思ってること言わないのかな。

mさん

再三言っていますが、「その人の自由」という言葉は、「相手を思いやっているように見えて、効率的に相手を孤独にする言葉」ということを私はこの本を紹介してくれた好きな人から教わっております(*‘ω‘ *)
「何が好きかは個人によって違って良いか」という話はするまでもなく、事実として十人十色になります。それがいいことでも悪いことでも「多様性」が生存戦略的に存在するので最早違ったほうがいいまであります。
この本で話しているのは「好きなものが違う人達と同じ場所にいるとき何を選ぶのか」とか「そもそも極力同席を避けるべきか」あたりかと思います。
二谷が思っていることを口にしないのは「そのほうが楽だから」でしょうね。食事を「必要なこと」で「やりたくないこと」と認識していて、余暇を「必要はない」が「やりたいこと」だと思っている二谷が「余暇の時間を確保するために食事にかけるコストを可能な限り小さく」した結果がカップ麺の流し込みなので、現実的で合理的な人ですよね。
発言したところで明らかに摩擦を生むリスクを冒してまで、自分の感覚を大事にはしない・できないという描写が途中で垣間見られます。
多少何かが胸で燻っても、それでいいんじゃないの、と本気で思っている人もいるんですよね、沢山。

二谷を見てて辛かった。
押尾さんのように本音を伝えたらいいのにと思う自分は傲慢なのだろうか。
本音で生きられない現代社会の辛さを感じた。

sさん

私は始終、二谷を軽蔑しながら読んでいたので、二谷を心配する人が一定数いて、何だと!?と思いつつ、距離感が違うんだろうなと。。
「表に出せていない気持ちを言葉にすべき」と考える人は、どういう前提で言ってるんでしょうかね。
「言えば周りが受け入れてくれる」という前提の話なのだろうか。
社会には「できる人」と「できない人」がいて、「感じる人」と「感じない人」がいる。「やる」か「やらない」かの問題とは別に。
思っているだけなら自由だが、言ったことには責任が発生する。
言葉にするということは誰かの心を優しくノックする時もあれば、そのまま銃弾になって傷つけることもある。
既に芦川さんが体現し、その影響でめんどくさくなっている環境で、不和を示す発言をするのはあまりにも成功率が低く感じられる。
会話というのは発信者と受信者が最低でも同程度の意欲がないと、聞かされる側が受け止めきれずに、発信者側の勇気の告白も爆弾発言になりかねない。
私の意見も、「言え」でも「言うな」でもない。
自分の身の振り方にもこんなにも悩ましいのに、「発言したほうがよりよい」という意見は何を根拠に出てくるのかが気になる。
芦川さんの好きにするとその他の人に皺寄せがいくように、二谷の為だけのベターを実行しても、受け止め役の人がいないと共倒れからの責任の追求が始まるだけなんですよね。

二谷は心が疲れやすいと思う。
食を楽しめるのは幸せだ。

Aさん

ある程度馬鹿で鈍感なほうがいいと言いますね。
繊細認定されている自分だからこそ、そう思うし、
人より疲れることを覚悟してでも繊細でよかったとも思います。
「甘いだけのものを、ずっとおいしいって思えることは才能」というセリフを思い出します。
大人になると、お菓子にコーヒーを合わせたくなりますけど、
ケーキの砂糖をオレンジジュースでお口直しできることも、
それもまた、子供っぽく見えるけど素敵なことなんですよね。

二谷が芦川さんと付き合うのは、自傷的に食事を取るのと似ているのかな。
嫌いを確認して、その変わらなさに安心するというか。

Tさん

これはわたしもめちゃくちゃ思いました。
この角度から書き起こしてくる作者えぐいなって読んでました()
二谷は、学生時代の学部選択を後悔している描写が印象的で、「やりたいことよりうまくいきそうな方を選んだ」「やりたいことを好きだけで選べなかった」と自白しています。
そして、「好きだけでやりたいことを選んだ奴がうまくいってないといいとも思う」と続ける。
二谷はもともと、安全派なんですよね。
結果的に実を結ぶと思ってした我慢が、蓋を開けたらどちらでも良かった、という経験をしています。
その時の衝撃を自分の中で消化しきれず、外部に当たっている。
他者の不幸を見て自分を安心させたいという感覚はなんとなく理解できました。何かを嫌い続けるのは大変な気力の要ることなので、そういうイライラを芦川さんから摂取するために近くに置いておく辺り、一般的な設定ではないですね(笑)
私はこういう歪み設定大好きなのでニコニコして読んじゃいました。

食事を効率化しようとしてる友達に全然共感できず、
普通の体にいい食事しなよ、という気持ちで居たけど
こういうバイブスなのかなって想像できた。

Tさん

私も一生ウィダーインゼリーで生きていけたら最高だなって思うのでその友達と握手できると思う。
サプリがいいって人もいるけど私はウィダー派。別に味噌汁でもいい。
寿司を趣味で食べる感じで。

このコメントは体にいい食事が「普通」の人もいる証明ですね。私は違いますが。
何故「個人の自由」といいながら「恐らく正しい」程度のアドバイスをされるんでしょうかね。この本はそういう話ですね。
Tさんも口には出していないし、私がお友達の立場なら黙っててもらった方がありがたいですけど、前述した二谷とは何が違うんでしょうかね。
明確に違うとすればTさんは体に良い食事を勧めることが社会から共感される「正義」と思っている上での相手を尊重した余裕の噤みであって、二谷の場合は言ったところで受け入れられない可能性が多分にある「少数派の主張」だという認識の差ですかね。
社会における日常会話は感覚の神経衰弱、
常識がテーマの以心伝心ゲームみたいなものです、ゲーマー的には。
半強制的に始まることと、無駄にリアクションがあってだるい。
ただ、自分と感覚の違う人間を理解するヒントを感じたことはTさんにとって相当大きいことだと思うし、「非日常を経験できる」読書というコンテンツにおいて最高の報酬を得ていると思います。
私の感想文を読んでいてもその報酬は得られず、作者が上手く表現してくれた文章と、それを受取ろうとした読者の力量が揃ってこその結果ですね。あとは脳裏によぎったお友達さんとの時間も必要だったかもしれません。
だから、「お互いのスタンスを披露する」ことのハードルっていうほど簡単ではないと思うんです。やるだけならいいけど、誰が片づけるのっていう。

★作者:高瀬 隼子さんについて

フィクション小説ではあるものの、実体験を元に筆を持つ作家も少なくない中で、本作の作者である高瀬さんはほぼ実体験をベースに書くことはないそう。
本作までに執筆された作品のほぼすべてに影響するのはあるノートの存在のようで、そこには今まで「むかついたこと」が記録されているという。
決して攻撃ではない、疑問がベースの「むかつき」を書き続けているとのこと。
作品を書きながら、作品とやり取りをすることで、自分が抱いた「むかつき」の正体と向き合っているというインタビューがありました。

また、本職は教育業の職業をされているようで、小説家一本というわけではないのがマルチですね(-_-;)素晴らしい。。

★最後に

いつも好きな人の読んでいる本は面白いのですけど、
ほんとに胸焼けしました(笑)
読後感が綺麗なタイトルを読むことも多いので、
綺麗に落としどころが定まらない分、
上質なテーマと向き合えたのかなとも思えます。
何度も繰り返して読むというような作品ではないかもしれないけど、
読めてよかったなとは思います。