自由な人生が始まった⑦

まだまだ続くどこまでも〜母への「恨みつらみ」私は友達がいない。いつもさびしかった!話す相手がほしかった。私だってみんなとワイワイガヤガヤ楽しみたかったー♪でもね、友達ができると母は、あの子のお家はお母さんが働いていて、子供をほったらかしにしてるのよ(あなただって毎日お茶飲みしていて学校から帰っても家にいたことないじゃないか!)とか、お家のお仕事がちょっとねー(うちだって、たかだかサラリーマンじゃない!)とか、性格はとても良いけどお勉強がちょっとねー(自分家の子供の成績がなんぼよ?)と思っていた。なかなか執念深くて、友達をやめるまで、あれやこれやと、いわゆる手を変え品を変えてしつこく言ってくる。怒るような荒々しい言い方は決してしない。ジンワリとジワジワと低空飛行してるような、見えつ隠れつしながら、、、迫ってくるのだ。いい加減嫌にしてくれ!になってくる。そして、とうとう根負け!!何人友達を失ったか!この友達ならずっと仲良く安心して話ができると思っていた友人ともサヨナラしたのだった。。。それからは、もう友人はいらない!どうせ潰されるのだから!と人とは距離をおくようになったのだった。本気で話をすることもなく、表面だけ、上っ面だけ合わせるようになった。それでも生きていけるものなんだよね。成人して職場の同僚が「お母さんと2泊で旅行に行くの!」と話すのを聞いた時に『えっお母さんと旅行⁈何が楽しいの?』『あの人とは絶対に旅行なんて、ちゃんちゃらおかしくって、頼まれたって行くもんですか!』と心のなかでつぶやいた。もちろん、母は父とは出かけることはあっても私達子供と一緒に出かけることはなかった。こよなく父を愛していたのだろう。子供以上に、、、どっかでひがんでいる私。私は母に嫌われているのだという確信を持ち始めたのは、することなすこと否定されているような、ダメなヤツみたいに思われているようなことが、、、ちっちゃな事なんだけど〜あったから。よく母は言っていた、姉のことを「すごく美人なんだけど、妊娠中に毎日紅茶を飲んでいたから、色が黒くてー紅茶を飲まなければ本当に色白ですごい美人なのに〜」何度も聞かされた。ある時、小学生の頃、今思うとバカだった、そんな母の言葉に『わたしは?』と、もちろん答えは!返事は「◯子はファニーフェイスよ。お父さんに似て四国生まれだからカボチャ顔!」と笑ってた。ホント聞くだけヤボっていうものよ!今ならわかるけどその時には全く気づかない小学生でした(笑)そして、当時はまだまだ稀だった習い事、いきなり、ピアノを習わせられた。ピアノがないにもかかわらず。当時は、ピアノのある家はまずなかった。なのにクラスの何人かが一緒に学校のグランドピアノで習ったような気がする。先生が学校を辞めることになり数ヶ月で終了と相成りました!母の見栄だったのでしょうか?無理矢理習わされたピアノだった。何か習わせたいという事なら私だって好きなことを習いたい。と思って言ったことがある。今となっては、何を習いたかったのか全く覚えていない(笑)その返事は?「何をやってもダメだから!」えっでした。何も習わせてもらってないよ。なのに何をやってもダメとはどういうこと。姉には、NHKの合唱団に入れて遠くてバスで通わせてたのに〜なんで私はダメなわけ!!どうしても比べてしまう。ひがんじゃう!!いつも、私はダメ人間なんだとどこか心の片隅から離れない。さびしいかな、この気持ち。。。ー続くー

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