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おやすみなさい

思えばあのときからずっとねむたかったのかな〜、と、思った。

わたしはわたしがあんまり好きではないけど、なにより誰より好きな自信はある。わたしが幸せであることをいちばん願っている。幸せをくれる人たちから幸せを受け取って、ずっと幸せでいたい。幸せでいるために、そわそわするようなうわつくような幸せを得るために、アイドルを好きでいる。ところはあると思う。

べつに幸せじゃないわけではな……と書こうと思ったけど、振り返ればあの日から、幸せよりもくるしさがやっぱり勝っていたように思う。
続々と仕事が決まった周りが敵に見えてしまった秋。まあ結局仕事はあったんだけど、信じれなくてショックすぎて逃避してたら突然の見出しに追い打ちをかけられた冬。液晶の前でぼろぼろに泣いたり、チケットがないからはじまりを見届けなかったりした春。デビューが発表されたり、私的初日、そこにある塊を前に涙が止まらなかったりした夏。もはやなんの記憶もない秋。そしていま、冬。季節が、世界がまわろうとしている。もう、1ヶ月半ほどで一周してしまう。激変したあの日からたった1年と数日で、あの人たちはデビューしてしまうんだな。

やっぱり、わたしはいまでもずっと前のかたちを引きずっているのだ。これはもう、認める。認めます。いまをうまく受け止めきれていなくて、いまだに前のかたちのままを夢見てしまうしたらればばかり並べてしまうような派閥で生きている。あ、でも、専用垢でギャンギャンするほどの過激派ではない。あれはやりすぎだよなあって正直思う。反応来るのが嬉しくて喚いてるだけのオタク、たぶんいるでしょ それみっともないからやめたほうがいいよ 後悔するよ
で、まあ、その派閥にいながら思ったのは、こんな存在というのはこれからを歩む彼らにとってめちゃくちゃに邪魔でしかないということ。じゅうぶん、じゅうぶん自覚した。この1年足らずで。大勢のオタクに邪魔だって扱われるしね。
あと、そこにいるのは確かにすきだったひとたちなのに、形が変わっただけでまったく別の人間みたいに見えちゃっていたから、もともとの彼らごと、呪いで容赦なく殺してることにも気づいた。生きづらくさせてごめん 息吸えているかなー

めっちゃ悩んだな、ずっと眠たいから何回も寝ようとしたけど無理だった。オタク自体辞めようと思って、でも根がオタクだからことある事に好きな男が出来て結局辞められなかったわ。わはは。
辞められないなら楽にしてほしかった。楽になれないのならせめて、せめて嫌いになりたかった。でも嫌い、嫌いというか、なんだろうね……無関心になってしまった。無関心になったから、今のかたちをまあまあ見れるようになったのかもなと今では思う。
今の私はファンクラブに入会できていないどころかデビューシングルさえも予約出来ていない。ラジオも聞いたことがない。舞台も行けてない。連載もウェブもSNSもチェックしなくなった。YouTubeも見なくなった。見たらあんなに面白いのにね……でも見ようと思うスイッチみたいなのが入らない。
何よりつぶやかなくなっちゃった。。。わたしのツイッター、ザ脳直だからわかりやすいけどほんとうにつぶやかなくなった。するのはちょっと前を振り返って浸るだけ。私はこうして今に対して無関心になっていくし、彼らはこう……ますます受け入れられなくなっていくように思えた。彼らにぜんぜん関係ないワードを検索しても、彼らをいろいろと言うつぶやきに引っかかった時はさすがに辟易とした。鍵をつけてやってくれとめちゃくちゃドデカため息をついてしまった。嫌いなのは嫌いでいいから、嫌いの感情で人と繋がろうとするなよ……とか思ったりした。なんでもかんでも叩く材料にされているのはさすがに同情した。さすがにそこまでせんわ。これから華々しく歩いていくというのに廃れるどころか勢いが増していくように思うそんな状況が苦しかった。これは無関心に拍車をかけた出来事でもあったな。無関心になるというか、そんな荒々しい界隈に身を置いているというのがめっちゃ苦しくて逃げたくなったのは、あった。あったよ

で、まあ、だいたいは、無関心になってしまった。
でもわたしは常に幸せでいたいという気持ちが強いので、代わりとか言っちゃあれなんだけど……つぎに幸せをくれる人たちを求めた。結果、これまで彼らから貰っていたくらいの幸せを、今好きだな〜サイコーだな〜と思っているひと(たち)から貰えているし受け取れている、と、思っている。まあ、そんなの新規ハイだからだろうけど。でも今すごい楽しいんだよな。。ずっとこの状態でいたいな。

で、ここでずるいことを言うんだけど、好きな男が沢山いる私にとって、その人たちから降りるという選択肢は正直ない。
それはわたしがとても臆病だからだ。降りたらそれきりで、降りたら途端に部外者に、第三者に、他人に成ってしまう。世界が分断されてしまう、それがなんだかいやだった。死ぬほど嫌いになったから、というわけではないからね。好きだったひとはそこにまだいるのに、彼のことを見て感じたことをなにも言えないのも、口を挟めないのも、ちょっと苦しいなとおもう。それくらい、数ヶ月単位で推しが増えるくらいに熱しやすく冷めやすい私にとってはじゅうぶんすぎるほど、6人のあとを追った。まあ年数を言ったらいや短。お前うるさ。って言われそうだけども。1週間が半年に感じるくらいの時間感覚持ってるからじゅうぶんなげーんだ。。。

端的に言うと名残惜しいのだ。彼らをすきだった自分がすきだったので、とても名残惜しい。それほどまでに前のかたちの担当をしていたことが身に染み付きすぎていた。

それは嫌だなとおもった。嫌だから、じゃあどうするかってなったとき、おやすみすればいいんじゃと思った。おやすみという形を取れば、なんか……根底には残っている感じする。また好きな時におはよーって言えるし寝言も言えるし……。
とりあえず当分は寝て、見たいと思ったときにふっと思い出したかのように起きて、現場行って懐かしさに触れて、気が済んだらまたお布団に入って目を閉じたい。

あとこの際担当制度も辞めようかなあと思ったりしている。「いまいちばん幸せをくれていると感じるひと」の現場に行きたいし写真を買いたいし、金、使いたい、とおもった。まあ便宜上この界隈では誰々担、とは使うと思うけど。いやはや、名を担うと深く情がわいてしまうから手放し方がわからなくなってしまうな。付き合ったら別れんといけんから付き合わん方がいい(名言)。

いやー、やっと区切りになる。やっと、やっと眠れる。
もう1年ほどどうするか悩んでいたし、ほんとうはあと2ヶ月でどうするか決めようと思っていたけど、ようやく文字に書出して投稿できるくらいの決心がついたというか、落ち着いた。

おやすみなさい。
わたしはわたしで幸せでいるので、みんなはみんなで幸せになってほしいです。

今以上の眩しさが差し込んで、目が覚めますように。

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