「人生懸けようぜ!」

自担の放った言葉の重さというのは私には計り知れない。
基本的に若くしてデビューするというイメージが持たれるあの事務所に、成人を超えて3年の今もなお、グループに属さず在籍しているのが自担そのひとである。また、年齢や経歴など違えど、同じような境遇にいる仲間が、6人いる。あわせた7人で、来年もまた公演ができる保証なんてないから、この公演に人生を懸けよう。これは自担がそう思っての発言だった。

これは勝手な偏見だけど、自担はいつかさらりと辞めていくような人物なのだと思っていた。あるとき謎の退所疑惑(笑)が出た時も、根底に“まあどうせいつか辞めるだろうから”という意識があったので、特に傷を負わなかったし焦りもしなかった。好きになって噂が出るまでにあまりにもはえーな!とは思ったが。
ことわっておくけれど、それほど今の活動に思い入れがなさそうだとか、仕事手抜いてるよなとか、そういう風には1ミリも思っていない。が、昔からこれ以上進まないいまの境遇にある程度見切りをつけたならば、そこでサッと手を引いて、突然いなくなってしまうような。あの人はそういうドライな人間なのでは?と心のどこかでずっと思っていた。

けれどもそれは違うようだと、テキストを読んで痛感する。
クリエCに向けての数々のテキストが世に放たれていった。そしてそのいろんなところで語られている、公演が決まってまず7人で集まったときに、「人生懸けよう」なんて言い出した人物、それは紛れもなく自担だった。心に残っている、と言って誌面で教えてくれた奏、ありがとう。文字通り人生を懸ける、というのは、あの公演が上手く行けばきっと今以上の境遇が待っていて、「今」「この7人」でなら確かにそこに行けると、そして、そこにこの7人で行かなければならないと思ったからだろう。彼の人生はジャニーズという厳しい世界の中にある、これからしばらくはそこに身を置く覚悟だってしているし、その身を置く場所はこのクリエCという括りでなければならないのだろうな。わたし、何かに対して人生、懸けたことないな。

ずっと冷え冷えとしていると思っていた自担は、とんでもなく熱い闘争心を静かに燃やしていたし、それをちゃんと仲間にあらわにした。裏切りがテーマな彼らの中に属する自担に裏切られた。心底痺れた。安心した。もっと好きになった。

けれども、彼らにやっと差し込んだように思えた光が、また暗雲によって遮られてしまった。はじめてのメイン公演、燃え滾る闘争心をジャニーズとしてぶつけられる場所が、延期ではなく中止になった。ずっと楽しみにしていた、キラキラしたお衣装を纏っているのを見るのも、セットリストに一喜一憂するのも、歌割りに悶えるのも、ダンスのキレに惚れ惚れするのも、MCで笑い転げるのも、すべて叶わなくなった。
なにより、いろんなところで人生懸けているんだと声にしてきたのを見たからこそ、すごくすごく悔しい。私も、彼らが今に懸ける熱量を僅かにも感じ取っていたからとてもやるせない気持ちになった。そして、好きだから、応援しているからこそ、自担には、7人には、絶対に報われてほしい。そう思った。

あの7人が、日の目を見る時が来ますように。
そのときまでも、そのときからも、私はクリエCの括りを忘れることはないだろうな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?