「日本語」を避けたいのはなぜ…自分でも分からなくなってきた

私の英語が自分で満足できるレベルであれば、
私に英語でやり取りする友人や機会が多くあれば、
きっと、日本人と関わることにここまでモヤモヤした思いを抱くことはなかっただろう。

昨晩、ふとそんなことを考えた。

アメリカに何年住んでいても、「日本人」との関わりには敏感になってしまう。
それは、家庭でも日本語、外ではほとんど英語を使わない、という時間を過ごしているからかもしれない。
私が恐れているのは、「アメリカにいるのに、日本語ばかり話して生活すること」なのか。

たしかに、ESLの授業で、「英語で」日本人の人々と会話をすることは嫌ではなかった。
不思議なことに、ESLの授業の後にその人たちと「日本語で」会話をすることにも、あまり抵抗を感じなかった。

英語<日本語という図式が生活に定着するのが嫌なのか。
どう考えたって、アメリカに居ても日本人家族である限りこの図式は崩れないだろうに。
ほんのわずかでも、日本語の量を減らしたいと思うから、「家族以外の日本人」との日本語での会話は喜べないところがある、というのか。

なぜだろう。なぜここまで「日本語を使うこと」に意識がいってしまうのか。

それは…
英語をもっと上達させたいから?
現地の人や様々な国から来ている人と仲良くなりたいから?
日本に帰った時に自慢したいから?
自分は国際的な感覚を持っていると思いたいから?

理由を色々と探ってみるけれど、どれも正しくて、どれも違うような気がする。

今までは、「英語をもっと使いたい!」「英語を上達させたい!」という思いが強いからだと考えていた。
でも、本当にその気持ちがあるのなら、もっと外に出て英語を積極的に使って生活しているだろう。

それをしていない自分には、何かもっと深いところに理由がある気がしている。


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