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うつろう自分に、敏感でいよう

2週間前、一つ歳を重ねた
この1年、20代後半になって、こんなに自分が変化するとは思いもしなかった
もちろん、変わらないところもたくさんあるのだけれど
今感じている自分のうつろいを、
歳を重ねた記念に(遅くなったけど)
とびきりの私事を
まとまらない長文で記しておこうと思う
自分のための文章
読んでくださる方がいたら、ありがとうございます。


生き急いでいたのかもしれない、と思う
(過去を否定したいわけではない。間違いなんてない、私にとってそれも大切な時間)

何も為さない自分が嫌だった
1人、が嫌だった
“停滞”が嫌だった
役に立たたない自分が嫌だった
時間を”無駄”にするのが嫌だった
頑張れないのが嫌だった

ボランティアやイベント、講座や授業
スケジュールが空いているのが嫌で、空白を埋めたくて、
時間を”有意義に””使い”たくて
パズルのように予定を組み合わせてはしごして
常に電車の乗り換えはダッシュしていた(ただのギリギリ癖もある)

っていうと言いすぎかもしれないし
もちろん純粋に学びやいろんな人との出会いを楽しんでいたし
出るから会える、ことの魅力はいまもあるけれど


1年前、就職で移った自然豊かな小さなまちから
学生時代を過ごした東京に2年ぶりに戻ってきた
文化も人もあふれている中で、いろんな人と出会い価値観を広げていく
そんな暮らしを描いていた

物理的には、コロナがきっかけだったかもしれない
喘息持ちな自分の心配、しごとで関わる子どもたちの心配
宣言出ようが出まいが、ずっと警戒度はマックス
イベントに行けない、仕事以外でひとと会えない
スケジュールの空白がデフォルトになる
だいぶ戸惑った


1年たったいま
けっこうな頻度でその日の気分で過ごすための余白の1日を置く
意味もなく近所の河原でぼーっとして
ひとりで思い巡らす時間をたくさんとる
大好きな場所で、自分のちいさなちいさな心のオトに耳をすます
何時間もかけて、noteをひとつ書いたり
何時間もかけて、手紙をひとつ書いたり
誰かと、何でもない話しをする
一人暮らしでずっと時間をかけなかった部屋の掃除に時間をかける
自分で誕生日のお花を買って、眺めてみる


こんな生き方をしている自分に、時々改めて驚く
どこかほっとすると同時に、時々怖くもなる


頑張って何かをすることが、とても難しくなった
我ながら、たぶん頑張って生きてきた
小学校から”地球のため”と環境活動に打ちこみ
高校は勉強部活ボランティアピアノマリンバ…
V字腹筋しながら英語の勉強してたのは思い出
大学ではボランティアに明け暮れ、団体を立ち上げて必死にもがき
お仕事しながらいろんな学びの場に出たり場づくりを続けて


全然否定はしない、その生き方が好きだったし
その過程でこぼしてきたものも大きいけど、
その一つ一つがいまの自分をつくってるから
一つ一つが、自分の表現でもあったから
大きなことはできなくても、誰かに届いてくれていたから
どれも大切な過去


でも、変わった自分も受け入れたい
いまは頑張ることが難しい
時間を”かける””割く””使う”からちょっとずつ離れてみる
オフの時間を時給換算する癖をやめたいとおもう(がとても難しい。薄給の癖…)
昔から目標を立てることが好きだったけど、いまは少しやめてみた


誕生日になると、母のことをいろいろ想う(もちろん父のことも笑)
母は、ちっちゃい頃から、私が頑張ろうとするとよく、そんなに頑張らなくていい的なことを言ってくれた
ちょっと調子悪いけど学校行かなきゃという私に、休みなよとすすめてきたり
テスト前にお出かけに誘ってきたり
テストとか通知表とか見ても、褒めるよりもっと力抜いたらと言ってきた

当時はでも頑張りたかったから、なんでやねん、かけることば逆やろっていつも思ってた
頑張ることがいいと思っていたから、そんな適当じゃダメじゃん、って思ってた
いま思うと、最高だなって思う。
本当にありがたかった。おかげで家では息をついていた
頑張りたい自分も、頑張らなくていいよという言葉が支えてくれてたのかもしれない


自分は100%なんて変われないから
その変化が怖い
何してんだろう、とか
時々”ふつう”が怖くなって、
頑張れない自分を責めたりもする
ひとが頑張れないって苦しんでると
とっても苦しいし、頑張らなくていいって言いたくなる
なかなかでも自分には言ってあげられない


でも、最近少しずつ、本当に少しずつ、
今の生き方が少しだけ心地よく、好きになってきた
とまではいかなくとも、嫌いじゃなくなってきた


余白があると、むくむくと
もともと感じやすかった自分の心が
さらにいろんなことを感じて、揺れ動いてくる
こころの振動が、よく伝わってくるようになった

ますます涙もろくなって
救急車が通るのに道をみんながよける光景があたたかくて泣く
公園で遊んでいる子どもたちをながめているだけで、平和で泣きそうになる
運転中に頑張れない不安で泣きそうになったのはやばかったので感じるのはほどほどに、苦笑


私の心はいそがしくて
正直時々めんどくさい
ほんとに自分というのはめんどくさい生き物だと思う

でもいまは、この生き方がいいのかもしれない
この生き方しかできないから、ある意味あきらめの気持ちかもしれない


とはいえ、30という年齢が近づくのは焦りもある
もう少し、頑張ってみたい自分もいる
あふれてくる心を、思いっきり表現して生きたいのだ

ありたい自分で、あれたらいい


大好きなクルミドコーヒーの影山さんの”ゆっくり、いそげ”という言葉が妙に最近しっくりくる
そんなふうに、生きていたい


***


先日、おしごとで関わってる高校生の女の子が
“にんげんやめたい”と、涙を浮かべていた

生きていると、いろんなことがある
しんどいことも、苦しいことも、あって、
でも、にんげんを諦めてほしくなくて
にんげんもありかなって、思ってもらえる世界を、つくらないといけないと思った

そのために、やっぱり今よりも少しだけ、加速する一年にしたい
無理なく、私なりの歩みで
歩んでいきます

読んでくださってありがとうございます

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