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生きるって

”死ぬまでにもう一回、クラシックのコンサートに行きたい”

これまで一緒に行っていた
クラシックの世界に誘ってくれた友人が他界してしまったという
90近いおじいちゃんから、わたしが活動している、多世代の居場所に来たヘルプの依頼だ。
お一人で電車に乗って街に出るのは不安が多く、誰かに同行してほしいという。
(私たちの活動では、多世代の居場所をあけながら、高いところの掃除や買い物の代行など高齢の方の何気ない生活の困りごとをスタッフが一市民としてできる範囲でお手伝いをさせていただいている)


私の祖父と同い年のとても穏やかなおじいちゃん

"先は長くないから、死ぬまでにもう一回"
"最後かもしれないから"
"もう生産性がないから、生きていてもね"

行きの電車の中で、私に話してくれる
そんなことを言いつつ、表情は穏やかで
住んでいた土地の話
習っていたフルートの話
いろいろ話をしてくれた

想いを巡らす
あなたにとって、生きるって
あなたは、何を願っているのだろう


久しぶりの電車&都会だというおじいちゃんとゆっくり歩き
池袋の芸術劇場に着いた

コンサートが始まる
私自身もコロナが始まってから、
生の芸術に触れるのは本当に久しぶりだった

凛とした静寂の空気
響き渡る美しい音色
伝わってくる奏者の温度
聴き手と奏で手がつながる
あふれんばかりの拍手
涙が出そうだった


よかったね、よかったねと話しながらの帰りがけ
芸術劇場の前で、私は写真を撮りますか?と声をかけた
おじいちゃんは言った

"また来るから"


あ、って
また来ることになってる!
とても嬉しかった
思わず、涙がこぼれそうになる


"やっぱり生はいいなぁ"
"もっと、交響曲が聴きたい"
"普段一人で家でテレビ見て、出かけるのもめんどくさくて、楽しいって思う時間普段あるかなって思うけど、今日は楽しかった"
"また、行きたい"


生きたいんだよね
あふれてくる、前向きな言葉に、力強くうなずく
その時まで、生きよう



行きの電車での言葉を思い出す

"しょうがなく生きてきた。死ねないから"

目的も、生産性も、意味もなくてもいいと思った
確かに、90年生き抜いてきたんだ
そしていまも、きっと、生きたいと願っている
もちろん、いつかその時は来るけど
いま、生きている
しょうがなくでも全然いい
私はあなたに、生きていてほしいよ


帰り、夜ごはんに誘われた
コロナ下、万一のリスクをと思うと正直迷った
でも、きっと、友人とはいつもこうして感想を語らったりしてたんだよね
断らない方が、生きていける気がした
私でよければ、ご一緒させてください

感想を話したり、いろんな話をした
苦労しながら、生きてきた歩みにもふれた

帰り際、おごってくれようとするので食い下がると
"今日は、もういいから""今回は、もういいから"って断られたから
じゃあ、また次ね。今度はちゃんと払うからって言った。
すっかり次がある前提になってるおじいちゃんが
なんだかとても嬉しかった

"困り事"のサポートではないけど、こうして"喜び"を支えられたらいいねと、仲間のスタッフが後日話してくれた。"支援"ではない、一緒に喜びあえる、そこから始まる豊かさを想う。


帰りがけ、おちゃめなおじいちゃんは笑って言った
"隣がきれいな女の子じゃなくておじいさんでつまらなかったでしょ"って
いやそれはそれで楽しいだろうけどね笑、
でも私は今日、心から、とってもとっても楽しかったんだよって
あなたと一緒に過ごせてほんとに嬉しかったですって
心から心からそう思ったよって伝えたよ
伝わったかな
また一緒に、美しい音楽を聴けたらいいな


私の3倍もの人生、どう生きてきたかはわからないけど
生きる意味とか、理由とか
そんなんなくても
しょうがなくでも、90年生きてきたことを
若造が、祝福したいと思うのは勝手だろうか
いま、生きているあなたは、すごくすごく素敵なひとだと思う。心からのありがとうを。

出会いに感謝


(写真は今日の空)

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