48日後に『還』の私・1973年12歳
このシリーズは、4月26日に還暦を迎える私がこれまで生きてきた人生を、
1日1年として60日前の2月25日からカウントダウンしているものです。
人生をトラウマや問題や大きな出来事などの記憶としてではなく、
それらのハイライトのみではなく、
日々、日常をただ生きた、1日1日、365日をちゃんと生きた、
笑ったり泣いたり歌ったりしながら、生を楽しんだ。
だからこそ今の私がある。という観点から、
今までの私が生きたすべての日々をリスペクトするためのシリーズです。
1973年、12歳。小学校6年生。つまり小学校卒業だ。
正確には卒業式は3月だから翌年だろうけれど、私にとって
小学6年生として大きかったのは、やっぱり卒業式。
その頃には結構まだ珍しかった、「中学受験」をしたため、
お友達みんなと離れてしまうことになっていたのだ。
卒業式では、悲しくて悲しくて、でもそれだけじゃなくて
何か祝福されている感じ、称える雰囲気、厳かさに感動して
しゃくりあげるほど泣いていた私。
その後に撮ったがこの写真。
でもなぜか、卒業式の日、こんなふうに男の子達と写真を撮ったりしている謎。
メガネをかけることが多くなって、ますます写真は嫌いになったし、
人前に出るのもすごく嫌がっていた気がする。
12歳の時の写真は、あとはこの家族で出かけた時の写真くらいかな。
この年はもしかしたら、結構私にとっては辛かったりしたことだろう。
みんなと離れて自分だけ別の中学に進むことになったし、その前は
1人勉強に勤しんでいたりもしただろう。
大体、なんで受験することになったのかも覚えていない。
結局3年後にはまた受けることになったのに。
世の中が、理不尽なことで揺れ動く年。
(1分で分かる!激動の昭和史 昭和48年(1973年)そのときあなたは?)より
オイルショック。トイレットペーパー買い占め。
関東大震災から50年ということで、また地震が来る、などと
結構怯えてもいた。
そしてノストラダムスの大予言が出版された。
日本沈没もベストセラーだった。多分読んだはず。
おどろおどろしい毎日だった。
そんな中でヒット曲は、フォークソングが全面に出てくるようになった。
ガロの「学生街の喫茶店」。懐かしい!
インスタでも歌った。
沢田研二、ジュリー!!「危険なふたり」
あ〜〜インスタLiveでは、私はジュリーはそんなに色気とか感じなかった、とか
言っちゃったけど、今、動画で見ると、めっちゃ素敵!笑 ドキドキするわ〜
ジュリーーーーーーー!!!!!!
そして浅田美代子「赤い風船」。
ジュリーも浅田美代子も、お笑い番組に出ていたよね。この頃の歌手はみんな
お笑い番組でいじられてた。
可愛かったなぁ〜〜流行ったよね、この歌も。
そして、ここには入っていないしインスタLiveでも触れるの忘れたけど
小坂明子の「あなた」がこの年だ。実際のヒットとしては明日=来年かな?
なんといっても、大好きだったチューリップ。はまっていくのは、まだこの先、中学に入ってからだけどね。
小学校最後の年。この年も確かに生きた。
色々と「怖い」情報に揺れ動きながらも、
1人中学受験で、みんなと離れて違う中学に行くのであっても、
目が悪くなってメガネをかける姿を見られたくなくても、
とにかく、生きた。私は、ちゃんと生きた。
誰にも文句は言わせない。
明日(1974年)に続く。
🍀インスタグラムではライブ配信で、
当時のヒット曲を同年代の人達と歌って楽しんだりエピソードを語ったりしています。
(時間未定ですが、大体夜の20:00前後にスタートしてます)
ぜひ視聴しに来てくださいね。
アーカイブ視聴もできます(プロフィールページのIGTVのタブから)
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