見出し画像

42日後に『還』の私・1979年18歳

このシリーズは、4月26日に還暦を迎える私がこれまで生きてきた人生を、
1日1年として60日前の2月25日からカウントダウンしているものです。
人生をトラウマや問題や大きな出来事などの記憶としてではなく、
それらのハイライトのみではなく、
日々、日常をただ生きた、1日1日、365日をちゃんと生きた、
笑ったり泣いたり歌ったりしながら、生を楽しんだ。
だからこそ今の私がある。という観点から、
今までの私が生きたすべての日々をリスペクトするためのシリーズです。

インスタLiveと「連動」させているつもりw
すでに何日分/何年分ものズレが生じておりますw


本日は、1979年18歳!
アメリカの高校を無事卒業し、卒業後のお楽しみ旅行などもあって、
それまでの人生で最大の感動を味わって、1年ぶりで日本に帰ってきた年。

帰国後は、渡米前の同級生たちはすでに高三。でも私は日本でやり残している、
2年生の後半から始めないといけないので、一つ年下の期に編入。そのことは問題なかったけれど、日本の「制限」だらけの空気がまたまた結構精神的にきつかった。そしてまた一大決心をして、日本の高校を中退することにする。
そこまでのことが起きた1年。

1979年もまた私にとって実に大きな年だったんだな。

画像1

日本人差別をする心理学の先生がいたり、その先生に直訴(?)して
もっと日本のことを知ってほしい、日本について私に話させてほしいと頼み、
1時間プレゼンさせてもらったり。

その結果、卒業の時にその先生から、アルバムに
You were a little ambassador. (君は小さな大使だった)と書いてもらい
泣いたこと。

1年を通してもっとも際立った活躍をしたミュージシャン、
The Most outstanding Musician of the Year という賞を頂いたり。

画像2

ただそういうことは、私の中に記憶としてはっきり残っていたのだけど、
インスタライブのために写真を探していて発見したものがあって、それは
しまってあったのは知っていたけど、こんなに心が動いたのは初めて、というものだった。

画像3

留学生として、小学校に日本についてプレゼンテーションをしに行った後に、
子供達からもらったカードや絵の数々だ。

画像4

それらはクローゼットの奥の方にガサっとしまってあって、色も茶色く変色し、ぼろぼろになっていたけど、子供達が純粋に感動してくれたことが思い出され、
ほんと、この企画を始めた時に思った、「記憶に残っていないような体験」が
人生のほとんどを占める上に、実はそれらこそが自分の「イマココ」を創っている、というのがしみじみわかった。

画像5

(卒業証書)

 
そんなことも含め、たくさんの宝物を手にして日本に帰国。

私は1年休校していたために、一つ下の期の子達と一緒のクラスに。

画像6

冒頭に書いたようにそのこと自体は大丈夫だったし、みんな私を慕ってくれて、とっても楽しかったのだけど、日本の高校や受験システムにほとほと嫌気がさしてしまい、また息苦しい、窮屈だと感じて、鬱になったと思うほどつらくなってしまった。

画像7

そんな時に知った、日本の高校で2年生を最後までやれば、アメリカの卒業証書があれば、トータルで12年の義務教育を終えていることになるので、大学の受験資格はあるということ。

また、上智大学の国際学部・比較文化学科というところは、アメリカの大学と同じカリキュラムでアメリカで通用する単位がもらえる上、すべて英語での授業なので、主には英語の試験だけ、というのを知り、早速また一念発起してそのための勉強を2年生のうちからし始めた。

そして「合格」したので、晴れて、日本の高校は2年生まで終えて中退に。

インスタライブでも話したけれど、日本の高校に最後に挨拶に行った時、
実はもう1人中退する人がいて驚いた。それは、宝塚に入るために中退した
吉田由美子さんだった。違うクラスだったけど、お互い顔と名前は知ってはいたので、軽くお喋りをして、一緒に校門を出た。

彼女は左へ、私は右へ。

最後に手を振った時、透き通るような美しさで、なんて綺麗な人なんだろうと、そのきらきらした笑顔に惚れ惚れしたのをはっきりと覚えている。

これはその後の話だけれど、彼女はあっという間に売れっ子になっていき、新進気鋭の娘役として人気者となっていった。

そのわずか数年後、彼女は御巣鷹山に墜落した日航機に乗っていて、亡くなってしまった。テレビ局に就職した私は、そのニュースを伝える側として彼女の死を知った。いつかインタビューしに行きたいと思っていた矢先の出来事だっただけにショックだった。本当に、人生は何があるかわからないし、何が運命の分岐点になっているか、どこに向かっているのか、その時にはわからないのだ。

だからこそ、何があってもなくても、日々、大切に生きたいと思う。
日々の笑顔を、日々の小さな喜びを、幸せと感じることのできる生き方を
していきたいと思う。そのために、このカウントダウンシリーズは本当に深い意味を示してくれている。


この日のインスタライブの最後は、アメリカにいる間にいつもいつもどこに行ってもかかっていた大ヒットしていた洋楽。Doobie BrothersのWhat a Fool Believes をかけながら終わった。

この曲は「大嫌い」だったのだw かかるたびに、もう嫌だと思ってた曲。
そんなことも懐かしく思い出したからww

1980年に続く。


🍀インスタグラムではライブ配信で、
当時のヒット曲を同年代の人達と歌って楽しんだりエピソードを語ったりしています。
(時間未定ですが、大体夜の20:00前後にスタートしてます)
ぜひ視聴しに来てくださいね。
アーカイブ視聴もできます(プロフィールページのIGTVのタブから)

インスタグラムで @amrita_eiren を検索してフォローして頂くか、
下のバーコードからどうぞ:

画像8


心に響いたなと思ったらサポートして頂けたらとても嬉しいです。受け取らせて頂くことで循環を起こして行きたい!