見出し画像

41日後に『還』の私・1980年19歳

このシリーズは、4月26日に還暦を迎える私がこれまで生きてきた人生を、
1日1年として60日前の2月25日からカウントダウンしているものです。
人生をトラウマや問題や大きな出来事などの記憶としてではなく、
それらのハイライトのみではなく、
日々、日常をただ生きた、1日1日、365日をちゃんと生きた、
笑ったり泣いたり歌ったりしながら、生を楽しんだ。
だからこそ今の私がある。という観点から、
今までの私が生きたすべての日々をリスペクトするためのシリーズです。

1980年、19歳。晴れて「大学生」、それも「日本の大学」の1年生になった。

「日本の」というのは、私自身は最後まで迷っていたように記憶している。
高校の時に国を代表する交換留学生として公費で奨学金を頂いて留学した以上、
帰国後2年間は日本にいること、という「ルール」は理解できるものだったけど、
やはりどうしても日本が肌に合わないと感じたり窮屈さを感じていたり、日本の教育制度にすごい反発していたから、本音はアメリカの大学に行きたかったのだ。

でもそれを後押しした、その頃熱烈に好きだったアメリカ人の家庭教師の先生の影響で、彼が一押しした上智大学・国際学部の比較文化学科(当時の呼び方)という、そこで修学すればアメリカの大学で通用する単位となるということや、すべての授業が英語であるということ、内容はまったくアメリカの通常の4年制の大学と同じということ、日本人が少ないということなどが決め手となって、猛烈に英語だけを勉強して合格できた。

結果的に、そこに行けたことが大正解だった。本当に楽しい4年間の大学生活だった。日本人でもちょっと変わったw英語使いさん達と親しくなれたし、インターナショナルスクールにずっと通っていた帰国子女やハーフの人達やモデル、タレントさんや大使館関係のご家族やご子息の人達でごったがえしていた、小さな「市ヶ谷キャンパス」は、アメリカで過ごした1年と同じくらい解放的で自由で楽しかった。

アメリカと同じシステムということは、めちゃくちゃ勉強しなくてはついていけないということでもあった。日本の大学とはまったく異なるキャンパスで、平日は来る日も来る日も課題図書を読み、レポートを書き、クラスメートと議論をして過ごした。そして週末は、もちろんディスコへ!

この日のインスタライブでは、私が六本木に「帰る」という意識でいたと言って、大ウケしていた。「足から血が出るまで踊るのよ!」というのが当時の私の口癖で、金曜から日曜まで、ほとんど徹夜で夜な夜な踊り通した。

夕方6時くらいのディスコの開店と同時に入店し、朝5時の閉店までほとんど休むこともなく永遠に踊り続けていた。ナンパでもされそうになろうものなら、恐らく鬼のような形相でにらみつけて、「何しに来たと思ってるの!踊りに来てるんだよ!」くらいのことを言っていたと思うw

そして、そんなに楽しかったのに、この年の写真はほとんどないw 
どこかにあるかもしれないけれど、写真を撮られるのがすごく嫌いだったので捨ててしまったかどこか奥にしまいこんでると思う。

唯一見つかったのが、おそらく大学入学前に高校時代の仲良し達と最後に旅行に行った時と思われる写真。記憶にはないのだけれど。

画像1

そんなこんなで、大学入学後は、どんどん解放されて自由になり、またまた笑顔が戻ってくる。そして派手になっていくwww

そして明日/翌年、大学2年の直前にはまたまた私にとって大きな変化が起きる。
私はてっきり2年生の時と思い込んでいたのだけれど、どうやら1年の最後の方だったらしいのだが、「ニュージーランドの旅」というテレビ番組のレポーターに抜擢され、ニュージーランドに2ヶ月行くことになるのだ。休学して。

一方で世の中も激動の年だった。山口百恵引退。松田聖子デビューの年。
この後日本は、80年代のアイドル全盛期へと突入していく。

画像2


そして私にとっては、12月、ジョン・レノンが射殺されたことは、
ものすごい衝撃だった。特に、彼が亡くなる直前に出した最後のアルバムを
毎日のように聴いていて、最初「なんてつまらなくなったんだろう」と思っていたから。彼の最後のアルバムは、ヨーコやショーンなど自分の最愛の家族への愛の歌ばかりで、反戦や世界平和などの匂いが消えていたから。

そして、この人はもしかしたら、もうすぐ死んでしまうのでは、と感じたのを覚えている。彼が射殺されたのはショックだったけれど、まるでその危惧を裏付けるかのようだった。それでいて、偉大な革命家も、真の平和は自分の身近にあるということを伝えて一生を終えるのだろうか、と。そこにこそ人生の意味があるのか。

生きるということは、自分の人生を生きることであり、愛を生きることであり
どんなふうにその愛を表現したか、ということに尽きるのかもしれない。

などと、当時の「哲学的」な私は思いながら、大学生活でもたくさん愛を謳歌していた。


1981年に続く。


🍀インスタグラムではライブ配信で、
当時のヒット曲を同年代の人達と歌って楽しんだりエピソードを語ったりしています。
(時間未定ですが、大体夜の20:00前後にスタートしてます)
ぜひ視聴しに来てくださいね。
アーカイブ視聴もできます(プロフィールページのIGTVのタブから)

インスタグラムで @amrita_eiren を検索してフォローして頂くか、
下のバーコードからどうぞ:

画像3



心に響いたなと思ったらサポートして頂けたらとても嬉しいです。受け取らせて頂くことで循環を起こして行きたい!