告発

2024.06.21


くるしい。吐きそう。つらい、疲れた。もう疲れた。

子供のころはつらい顔をしていなければごはんが貰えた。
あたたかい寝床で眠ることができて、母の隣で寝ることを許された。

でも、今は、支援を貰うために、昔とはまったく逆の力関係の中で生きている。人は可哀想だと思った人を助けたいと思うらしい。それは自然な心の動きで、私だってそうだ。

親子関係は人が生まれてから最初に学ぶ人間関係だ。
だからそこで培った常識や思い込みがその後の人間関係にも影響する。
人は知識と記憶のいれものだから。あったことをなかったことにすることはできない。
私は「泣くな」と言われて育ったので人前で泣くことができない。
泣けたとしても、謝る。

自分の感情を抑え込めば報酬が出る場所で育てられてきた。
今は自分の言葉を、意見を出せば出すほど救われる環境にいる。
これがつらい。

自分の気持ちを自覚してしまう。
そのときあったことまで思い出す。
加害者の言葉で「大袈裟」「考えすぎ」で抑え込まれてくれていた感情がどっと溢れ出してくる。その人たちが受け止めてくれるかどうかもわからないのに。これは自分でコントロールしなきゃいけないのに。感情の処理が自分でできないなんて半人前だ。

笑っていてほしい。何があっても。
泣いてほしくない。
母が笑顔であってほしいと願ってしまう。許したくはないけど憎みたくもない。もう憎み疲れた。怒りたくない。ただ悲しいだけだ。なんであんな目に遭わなきゃいけなかったのか。それを今も許せないのが。許せないのも許せない。自分のことを許せない。めちゃくちゃにしたい。破裂しそうだ。

もうなにもしたくないんだ。


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