《木曜会が1周年を迎えるので》
僧になった冷泉と私が週に一度の「木曜会」を開催して1年を迎えた。私たちはコロマンサなる店、他とは一線を画す特異な雰囲気の店が作り出す、ゆるりとした集まりであれば会自体は長く続くだろうと考えてはいた。実際、そうだった。しかし、振り返ってみると会のスタートは順風満帆ではなかったようだ。
それは相手がコロマンサなる店の主人、版画家で狂人の柿坂万作だからだ。
改めて1年前のLINEなどを読み返していると、木曜会がスタートする2月の直前まで場所を北浜のコロマンサにするかどうか悩んでいたようだ。結局、この後にどういった話し合いがあり解決となり、木曜会が開催できることになったのか時系列を追っていこうと考え、私はこの翌日のLINEでのやり取りを振り返る。
やり取りを見返しても大した話し合いはもたれていなかったようなので、私はアホらしくなってLINEを閉じた。案外、惰性でスタートしたのであろうとも思う。
さて、北浜にある猫のひたいのように小さな店コロマンサの『木曜会』には現れる頻度が極端に多いメンバーがいる。
冷泉、私、万作は常駐だが、ファラオとアラタメ堂のご主人と浦部君、そして店の常連の不思議な女だ。この不思議な女は木曜会とは関係なく単一の勢力としてコロマンサに来ていたが、いつからかなんとなく木曜会に吸収合併されたような気がする。ガルパンの男も気がつけばそこにいる場合もある。
栄枯盛衰が猛スピードで繰り返される大阪市中央区にて、ここまで何も変わらないものがあるのは堺筋の東側ならではかも知れない。と思って、堺筋の西側の会社に私は属すこととなったが、先述した現象には東も西もないことに私はいよいよ気づいた。
しかしながら、これらのメンバーを軸として、さらに木曜会に顔を出してくれる多くの人たちと大いに飲み、大いに語り、歌い上げる夜が週に一度あるのは良いことだ。連日連夜ではないというのが、またありがたい。コロマンサで連日連夜いて酩酊していた頃は、失っていく1日の日々に後ろめたい気持ちがあったように思う。
他人から2023年の木曜会で一番のトピックは何かと聞かれれば、忘れもしない『万作の鉄拳制裁事件』という抱腹絶倒のエピソードがあるのだが、これについては書けるようなことではないので控えよう。
私は冷泉が発信する上記の「木曜会の案内」の定型文が好きだ。
特に【深く関わらない方が吉です】という文言は秀逸。
冷泉はあらゆる人を呼び込み、今後は私もあらゆる夜を曇りなき眼で記録していこうと考えている。今はそんな気持ちだ。狂人の定義をきちんと明確にして、このような夜があったのだと言語化・文書化して後世に警鐘を鳴らしておくのは私の役目だと自負している。
木曜会なしでは、コロマンサは終わるのだそうだ。万作は照れくさそうに私に向かって「お客さんが来て、お金をくれる木曜日が待ち遠しいんですわ」と口にしたことがあった。つくづく、おもしろいおっさんだなと感じる。
木曜会の日誌をお楽しみに。
ちなみにここに出てくる冷泉というのはこの人のことだ。今さらか。
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