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さいごにのこるもの。

ふたりが突然いなくなった夜。
いそいでいつもの地下に駆けつけた。
まだ状況が行き渡っておらず、同じように駆けつけた面々が騒然としていた。

自分には全てに実感がなく、成す術も思いつかなかったが、とにかくずっと一緒に歩んできたヤツの姿を探した。

なんでもズバリ切り捨て御免の冷静で的確の親分肌なヤツが、いつもの片隅で縮こまっていた。

酔うとよく泣くヤツだが、あんな姿は初めてだった。

仲間への連絡を仕切る者、ただ泣いている者、さっそく思い出話をする者。
そして指示を仰ごうとヤツを探す者。

誰もが自分の悲しみに忠実に、そして仲間のために頭をフル回転させていた。

ただ、ヤツだけが。
リアリストのヤツだけが、動けずにいた。

何も考えられはしなかったが、とりあえずヤツへの経路を塞いだ。

気が済むまで泣いていてほしかったんだと思う。

ヤツが考えることを放棄する時間を、守るべきな気がした。

そんなお前は冷静で薄情だなと思われるかもしれないが、それしか頭に浮かばなかったのだ。

散々バカをした。
真剣にふざけてきた。
華やかな舞台を華やかたらんとすべく、喧嘩をしながら全力を尽くした。

クソみたいなステージにも、真剣に向き合ってきた。

狭い世界を愛していた。

戦ってきた日々のピースが、あっけなく欠けるとは思ってもいなかった。

なんて、それは後々理解できたことで。

あのときは、まだ時間を進めたくなったんだと思う。

数日後、彼らの身体が戻ってこないまま、お別れ会なるが行われた。

何千人という人が駆けつけた。
自分でもまだよくわかってない中で、客を捌いた。

なんかわけわからん大御所から、ぺーぺーの新人、よく来てくれていたお客さん。

こんなにいるなら普段から来いよ!と思うほど、おそらく過去最大の動員だった。

てんやわんやのお陰で悲しみも感じる暇もないまま、時間が過ぎていった。

と、そこにチンピラがきた。

黒い服を見に纏った人々の中で、ひときわ目立つ、いつもの白いファーつきの革コート。

彼は行儀良く並んだ参列者を尻目に、ずかずかと祭壇の前に立ち、こう言った。

「順番が逆なんだよバカ野郎。」

思わず吹き出した瞬間、ヤツと目があった。
琴線が切れたように、ふたりで笑った。

「ご愁傷様です。」より、その言葉がしっくりいった。
ふたりの写真を大切そうに持って帰る人たちを、そこに何があるんだと白々しく見ていた自分に気づいた。

次に彼は挨拶しようとする人混みに目もくれず、我々の目の前にきた。

「お前らは大丈夫か。」

彼は話すとき、必ず目を見る。
言葉が見つからないまま、その瞳に頷いた。

「今日はがんばれ。俺は帰る。胸糞悪い。」

会場の立て看板を蹴り飛ばして、彼は数分の滞在で、歩いて帰っていった。
「送りますよ」の言葉を全て無視する背中は、やっぱり信じるに値する姿だった。

あの日、彼が一番やさしかった。

たくさんのことを教わった。

大事なことは何か。
大切にすべきは何か。

形がなくなっても、それが変わらないということも。

頭をワシワシっとされた大きな手。
冷房で冷えた細い二の腕。
泣くほど笑った朝方。
口を聞かなくなるほどぶつかった深夜。

ふたりの笑顔。

10年ほど経つ。

おかげさまで我々の革命作戦は停滞どころか消えかけつつある。

ほぼほぼ自分の所為だけど。

消失感とか、邂逅とか、未だに宙ぶらりんなままだ。

ただ、ふたりがいない。

ほんとは遺志を継いで!とか、カッコいい事言って頑張らなくちゃいけないんだろうけど。

まあ、できるのは少しずつ歩くことくらい。

8月3日、長岡の花火。
ふたりが見た、最後の花火だ。

一緒に見られてよかったね。
でもその話を聞いて「のろけてんじゃねえ!」て言いたかったんだよ。

今日も幕があがる。
魅力のないステージばかりだ。
「昔はよかった」は冗談でも言えないから、「今はさっぱりだよ」とだけ言っておく。

笑い声は今でも聞こえてる。
思い出して、ふっと笑ってしまう。

何年経っても、毎日それだ。

ほんと楽しかった。
ありがとう。

最後に残るものが、自分だといいな。
ヤツらよりあとまで生きるよ。

そしたらとりあえず、最後まで笑ってられるでしょ。

とりあえずそれだけ頑張るよ。


また遊ぼう。
バイバイ。

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