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『ノートルダムの鐘』四季劇場秋

四季の会に入ったので、早速チケットをとってみた。直前でも買えて座席も選べる、チケットweb松竹同様便利な仕組み。しかも会員割引あり。何故もっと早く入らなかったのか、と悔やみつつの初『ノートルダムの鐘』。

原作小説も、舞台の元になったディズニー映画も観ておらず、私とノートルダムの接点は、卒業旅行でパリに行ったときだけ。街のデモから逃げるように中に入り、静けさと輝くステンドグラスの美しさに衝撃を受けたのを覚えている。現在は修復中とのことで、元通りになることを祈っております。

ディズニーではハッピーエンドにして続編まで作っているけれど、予想以上に重く救いのなさにこんな話だったのか...と劇場で打ちのめされた。(というかディズニーはよくこれをアニメにしようと思ったな。もはや別物なのでは…)

見た目や出自による差別、信仰と欲望の対立など現代にも通じるテーマがある。音楽は美しく重厚で、浄化されたような心持ちにさせてくれる。セットもかつて見たノートルダム寺院を思い起こさせ、素敵だった。しかしそこで繰り広げられるのは、救いを求める声などかき消してしまう程の人間の醜さ、おぞましい欲望のドラマ。

醜い姿にも清い心が宿るという定番の物語かと思いきや、ラストのカジモドの行動にはぞっとさせられる。閉じ込められて育ち、社会性皆無な彼が出来る愛の示し方が「閉じ込める」「独占する」になるのはフロローの教育の賜物だよなぁ...と暗澹たる気持ちになった。
そういう意味では、カジモドは育てたとおりに育つ、純粋な心を持っているといえるのかもしれない。これは決して美しい物語ではなく、やっぱり彼も怪物なのだ。

ラスト、カジモド役の俳優が顔の汚れを取り、背中のこぶも取り去って普通の人間に戻り、逆に他の俳優が顔を汚し体をよじらせるのは人も怪物も等しく、全ての人の中に怪物がいるというメッセージを強く感じた。


2023/5/某日 2F6列16番

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