安部三代

安倍晋三のルーツをたどる、青木理著『安倍三代』(朝日文庫)を読んで

 青木理著『安倍三代』(朝日文庫)を面白く読んだ。
 安倍寛、安倍晋太郎、安倍晋三と3代にわたる政治家の評伝で、3部構成の前2部が特に興味深い。とりわけ、寛を描いた第1部が最もそそられた。それは、たぶん、筆者自身が対象者に魅力を感じ、熱を入れて取材したからでもあると思う。
 安倍現首相との関係で言うと、母方の祖父である岸信介とのつながりがクローズアップされることが多いが、父方の祖父安倍寛は非戦を訴える反骨の政治家だった。日中戦争を長引かせる原因となった近衛文麿首相の「国民政府を相手とせず」の声明に反対。東条英機を批判し、1942年の翼賛選挙では、翼賛体制組織の非推薦で立候補し、大変な妨害にあいながらも当選した。
 筆者らは、安倍家の地元を訪ね、寛を知っている人を丹念に探し歩く。だいぶ昔のことなのに、彼と直接会った人、あるいは寛の選挙を手伝っていた親からいろいろ話を聞いていたという人たちから、貴重な証言を得る。
「口髭をはやして、シュッとしていて、ステッキをつきながら堂々と歩いていらっしゃってね……。たしか右か左かどちらかの肩を少し上げて歩くのが癖のようでいらっしゃったけれど、子どもながらに『立派な旦さんだなぁ』と感じました」
「いっつも袴を着てシャンとしていらしゃって、重厚で、品がありましたね」
 それぞれの記憶を、その人の言葉で語った証言を集めると、主人公が行間から立ち上がってくるような生き生き感がある。証言の数々からは、安倍寛が地元の人にいかに尊敬されていたか、そしてその尊敬の念は今に至るまで伝わっていることが分かる。まさに、原稿は足で書け、という基本に忠実な取材だ。
 私が印象深く読んだのは、祖父の代から安倍家の支援者で、文字通り手弁当で選挙の応援をしたという現・長門市長のインタビューだ。祖父や父からもよく話を聞かされた、という彼は、寛についてこう語っている。
「反戦の政治家だったとは聞いてますね。寛さんは、ひとつの思いとして、世の中が一色じゃだめだっていう考えがあって、違う考え方の人もいないと世の中がよくならないんだっちゅう思いあったんじゃないでしょうかね。そういう声も(積極的に)あげなくちゃいけないんだ、と」
 こうした「思い」や「考え」が孫に伝わっていれば、今の世の中どうなったろう。
 生の声だけでなく、文字資料も大事。筆者が取材中に入手したという寛が国政選挙に出た時の公約集は興味深い。そこに書かれた「富の偏在は国家の危機を招く」という政治信条には、彼が今生きていたら、孫にどんな助言をするのだろうかと、これまた想像力をかきたてられる。
 第2部の主人公は、その一人息子である安倍晋太郎。岸信介の娘と結婚し、政界のプリンスと呼ばれ、その後派閥の領袖となって、総理総裁は確実視されながらも、病に倒れ果たせなかった。
 そんな彼についても、筆者は地元・下関を丁寧に取材。晋太郎の在日韓国人コミュニティとの結びつきは、冷戦下における韓国の軍事独裁政権と日本との関係にとどまらない、もっと人間的なつながりであることを知る。そして、こう書いている。
〈それは息子・晋三とは明らかに異なる「異端者=マイノリティーへの配慮の眼差しであり、決して極端には偏らない政治的なバランス感覚であり、狭量や独善に陥らない懐の深さであった〉
 そうだったのか……。
 この一文を見ても明らかなように、筆者は晋三には否定的。もっと率直に言えば、「嫌い」。この心情は、3部になると特に、ページのあちこちから立ち上ってくる。
 3部で描かれているのは、薄っぺらい人物像だ。見えてくるのは、「いい子」ではあるが、岸信介の孫という以外、とりたてて特徴もないままに育ち上がった、極めて平凡な人間だ。表現ぶりには筆者の心情が影響しているだろうが、いくつもの証言、晋三には好意的な人のコメントでも、「ごく普通で素直」という評価は共通している。
 書き手が心を引きつけられていない人物の、しかも凡庸さがクローズアップされた伝記は、はっきり言って面白くない。ただ、それでも興味深いことに、学生時代、会社員時代の晋三に、「右派的」な言動や雰囲気がみじんも感じられないことは、とてもよく分かった。
 たとえば神戸製鋼で上司だった人は、彼をこう語っている。
「まったく普通の子。真面目だし、エバるわけでもないし、腰も軽かった。仕事を任せても、さしたる失敗をした記憶はありません」
 当時、今につながる保守的、あるいは右派的な雰囲気はあったのか。その質問に、この元上司は次のように答えている。
「ないない、まったくない。それ以前、という感じで、彼が筋金入りライトだなんて、まったく感じませんでした。普通のいい子。あれは間違いなく後天的なものだと思います」
 そんな「ごく普通のいい子」が、いかにして変わっていき、今の安倍晋三が出来上がったのか……。
 そこを本書は深追いしていない。安倍晋三伝を書くなら、ここが肝の部分だと思うのだが、筆者は晋三の人間的な浅さを記し、妻の昭恵と彼を叱る恩師のインタビューをした後、これ以上つきあいはゴメンとばかりに、幕を下ろしてしまうのだ。
 読者としては、前菜とスープをいただいた後、メインディッシュ抜きで食後の飲み物を出されたような気分を味わっている。
 本書の晋三のパートは、証言者の多くが、今の彼とは距離がある人のようだ。彼が若い頃から今に至るまでつきあっているのは、加計某以外にはいないのだろうか?政界入りしてからの彼と、親しく交わり、影響を及ぼしたり変化を見てきた人は取材に応じなかったのだろうか?
 何年か後でもいいから、そこら辺を取材しメインの部分を書き足した完成版を読んでみたいと思う。後々、平成から令和の時代を振り返るのに、大事な資料になるはずだ。
 この点については、東京工業大教授の中島岳志が、解説として示唆的な文章を寄せている。
 細川政権の時に、細川護煕首相が大東亜戦争について「私自身は侵略戦争であった、間違った戦争であったと認識している」と述べた。それに野党だった自民党が反発。党内に「歴史・検討委員会」を設置した。
 中島はこう書く。
〈このような右派的歴史観を強調する委員会に、新人議員の安倍晋三は参加した。安倍晋三の歴史認識は、この野党時代に歴史・検討委員会に参加する過程で構成されていったと見ていいだろう〉
 なるほど。
 ただ、一方で、その少し後に晋三は、白川勝彦、村上誠一郎らと共に、社会党議員も含む「リベラル政権を創る会」に入り、村山富市を首相とする自社さ政権を作るのにも貢献していた。
 選挙地盤とは遠い東京に生まれ育ち、思想的にも根無し草だった彼が、政界でふわふわ漂っているうちに、居心地良く根を下ろしたのが今のポジション、ということなのだろうか?
 ん~、よく分からん。
 ここは1つ頼みますよ、青木さん。
 そんな注文をつけたくなるにせよ、多くの人たちの証言を集めて回った筆者ら(この企画を連載したAERAの記者たちを含む)の仕事は実に貴重だと思う。大事な証言を残し、すでに亡くなっている人もいる。思い立った時に話を聞いておくことの大切さを、改めて教えられた一冊でもあった。

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