命と人権を思う
中国の中で抑圧されるウイグルやチベットの人々の命や人権が大事です。
ロシアで弾圧される人たちの命や人権が大事です。
アメリカがありもしない大量破壊兵器を理由に起こした戦争で、失われたり傷ついたイラク人の命や人権が大事です。
そのアメリカの中にも、差別や格差に苦しむ人々がいます。そうした命や人権が大事です。
イスラエルに土地と生活を奪われたパレスチナ人の命と人権が大事です。
ミャンマーでの差別から逃れて難民とならざるをえなかったロヒンギャの命と人権が大事です。
内戦下のシリアの子供たち、ISに陵辱されたヤジディー教徒、飢餓に苦しむイエメンの人たちの命や人権が大事です。
そして日本でも、冤罪で獄中にある人、親から虐待される子ども、職を失い食べるものにも事欠き、寒空の下で野宿をしなければならない人たちがいて、その命と人権が大事です。
そのほか、世界にも日本の中にも、私が知らずにいる、命や人権に関わる問題がどれほどあるでしょう。
でも、私ができるのはほんのわずかで、全ての問題には到底関われません。
だからこそ、自分が関われていない問題に貢献している他者に敬意を持ち、情報を交換し、励まし合っていきたい、と思います。
ところが、自分が携わる問題に積極的に関わっていない人を責め、罵倒する人がいます。
おそらく、ご自身は心と時間と財産の多くを、その問題に捧げてきたという自負があるのでしょう。
そこまで自分を犠牲にし、他者の人権に尽くすあなたは立派です。誰もができることではありません。
でもあなたは、世界のすべての問題に関わっているでしょうか。
無理、ですよね。
あなたができないことを、他の人がやっています。
命と人権を思うあなたには、ご自分ができない事柄を必死で取り組んでいる人のことを思い描ける想像力があるはずです。
そういう想像力がグングン広がって、誰もが他者の命や人権にお思いをいたす世の中になるといいな、と願います。