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医療従事者を支えたい

 新型コロナウイルスの感染拡大で、検査も含めた医療現場の疲弊が伝えられている。医療機関での院内感染が相次ぎ、重症患者が増える中、医療従事者の緊張と疲労は想像に難くない。過酷な状況の中、医療に携わるすべての方に、心から感謝したい。
 そんな中、感染者を受け入れたり、院内感染を公表した医療機関の職員たちが、苦境に立たされている、という。
 たとえば、4月14日付読売新聞夕刊は、引っ越し業者から作業を断られたり、保育園から子どもの登園自粛を求められたりする事例が相次いでいる、と報じている。
 日本看護協会の福井トシ子会長も、記者会見の際、看護師の子どもが保育所で預かりを拒否されたり、仕事からの帰宅時にタクシーから乗車を拒否されたりしたケースを上げて、一般の人たちに理解を求めた。
 こういう話を聞くたびに、胸が痛む。そして、25年前に自分が味わった気持ちも蘇ってきて、心がヒリヒリする。

ホテルを断られる


 地下鉄サリン事件以降、メディアはオウム問題一色になった。今、コロナ報道がメディアを席巻しているのと似ている。以前からオウムを取材・調査している人が、極めて少なかったため、私はあちこちのテレビ番組に出て解説をすることになった。
 今振り返れば、少し出過ぎた、と思う。ただ当時は、坂本弁護士一家の事件後、オウムのメディア戦略によって、教団を肯定的に伝える番組まで出た苦い経験を繰り返してはならない、と必死だった。
 私を応援してくださる方はたくさんいらした。しかし、そういう人ばかりではなく、迷惑に感じていた人もいた。
 地下鉄事件が起きるまで、私は横浜市内の賃貸アパートに住んでいたが、とても帰れなくなり、都内の出版社近くのホテルに寝泊まりすることになった。
 ところが、その宿泊の延長を断られた。ホテル側の説明はこうだった。


「江川さんが泊まっているということで、オウムが攻撃に来るかもしれない。他のお客様にご迷惑がかかります」


 私自身にも原因の一端があったと思う。疲労困憊して、モーニングコールで目が覚めず、ホテル側に余計な心配をさせてしまったことがあったからだ。
 編集者があちこち探してくれたが、私の名前を出すと、どこも受け入れてくれない。仕方なく、私はしばらく出版社の”缶詰部屋”に寝泊まりさせてもらった。

早く出て行って、とご近所


 そうこうする中、一度自宅に戻った時のこと。ご迷惑をかけているかもしれないと、果物を持って、同じアパートの各部屋などご近所を回った。その時に言われた言葉が忘れられない。


「いつになったら、出てってくれるんですか?!」


 おまえのためにオウムが来たらどうするんだ、早く出て行ってもらいたい、と不安と怒りを感じておられる方は、他にもいた。オウムは私を殺害しようと、室内に向けて毒ガスを噴射したことがあり、住民が不安を抱くのは無理もない、と思った。
 警察が始終パトロールをしてくれていたのだが、そのために近隣住民が家に帰る際にもお巡りさんから声をかけられるたりして、うっとうしい、とのことだった。
 私はお詫びをして、「なるべく早く」と答えた。

部屋の貸し手もなく…

 ただ、その近隣との約束はなかなか果たせなかった。それでも、警察の捜査が一段落してから、友人に手伝ってもらい、都内で引っ越し先を探した。連日行われる裁判傍聴には、都内に住んだ方がよいと思った。ところが、手頃な物件が見つかっても、借主が私と知ると断られる、ということが続いた。
 一部幹部が逃走を続けていたとはいえ、教祖はじめ、凶悪事件に関わった者の多くは逮捕されていた。それでもなお、「あなたが来るとオウムも来るのでは」という不安がある、ということだった。
 ようやく借りることができた部屋は、大家さんが長期間海外で生活していて日本に不在、という物件だった。大家さんは日本のテレビを見ておらず、おかげで私の名前も知らなかったのが幸いした。
 一連の反応を、遠くにいる限り「がんばって」と暖かい声援を送るけれど、近くにいられるのはごめんだ、というふうに、私は受け止めた。
 確かに、朝から晩までオウムの危険性を伝える番組が放送される中、リスクはなるたけ遠ざけたいというのは人情だし、不安を感じるのは責められない。責められないが、「住む場所もないのに、どうやってがんばったらいいのか」という思いもあった。

「安心してお休みください」に涙


 そんな中で忘れられないのは、”缶詰部屋”にいた私を引き受けてくれた、あるホテルのことだ。オークラ系のビジネスホテルで、出版社からも近い。一緒に取材をしていた週刊誌記者がみつけてきてくれた。
 早速見に行くと、ホテル側は「打ち合わせもあるでしょうから」と寝室以外にリビングルームがついた部屋を用意してくれていた。この時に対応してくれたホテルの責任者の言葉を思い出すと、今でも涙が出る。


「うちは、出入り口が一カ所しかありません。出入りする人は、必ずフロント前を通ります。夜間もしっかり見ていますから、安心してお休みください

 本当にありがたかった。そして、夜はしっかり休むことができた。

できるだけ近くからの支援をしたい


 私の場合、自分が寝起きする場所の問題だけだったが、今、子どもさんへの差別などにも直面している医療職の方々は、本当に辛いと思う。心が折れなければいいが…と心配だ。
 こうした人たちに必要なのは、物理的には防護のための装備と危険に見合う十分な報酬、精神的には身近なところでの支援ではないだろうか。
 自分が生活している場で、感謝を示されたり、子どもはちゃんと面倒を見てもらえたり、少なくともいじめられていないかを心配しなくてすむ状況を作るのは、医療の現場で働く人に対する支援の1つだと思う。
 どこの国だったか、医療職の方(女性)が出勤するために駐車場の車に乗ろうとしたら、その周囲に住んでいる人々が一斉に拍手を送っている動画をTwitterで見た。その女性は、涙ぐんでいた。どれほど「がんばろう」というエネルギーで満たされただろうか。
 日本でも、内心ではとても感謝している、という人が多いに違いない。ただ、内心の感謝は、ぜひとも見える形で表現したい。できれば、遠くからでなく、より近くでそれを示したい。医療従事者が身近にいる方々には、特にお願いしたい、と思う。

 でも、近くに医療従事者がいない、という場合は?いったいどうしらいいだろう……。

支える人を支える、という支援


 そんなことを考えていたら、東京でレストランを営むシェフらが、医療現場で奮闘する人たちを食で応援しようと、おいしいお弁当を届けるプロジェクトを始めた、という報道を見た。問い合わせてみると、このスマイル・フード・プロジェクトはウエブサイトを立ち上げ、近々材料費などを集めるためのクラウドファンディングも始めるそうだ。
 私が知らないだけで、各地でこうしたいろんな取り組みが始まっているのだろう。寄付という形で、そういう医療を支える人たちを支える、という参加の仕方もできる。これなら、医療従事者が身近にいない人でも、感謝や応援を形につなげられる。
 これもまた、コロナとの戦いへの貢献だと思う。

スマイルフードプロジェクト弁当

スマイル・フード・プロジェクトのサイトより。医療現場に届けたお弁当

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