”猛毒言葉”の使い方

 この国では、いつから、「死ね」とか「テロリスト」といった”猛毒”の言葉が、安易に使われるようになってしまったのだろうか。
 強く激しい言葉も、繰り返し見聞きするようになっていくと、慣れが生じ、使用する際の懸念や抵抗が弱まっていく。ツイッターにも頻出する「死ね」「死ねばいいのに」という言葉には、もちろん具体的殺意は感じられない。お気軽に使われている。
 ただ、発する本人の意図にかかわらず、言葉そのものに強烈な「毒」が内在する。
 2011年に大津市の中学2年生の男の子がいじめられた果てに自殺した問題では、加害者側の元同級生は裁判で、「『死ね』と言ったのは、あいさつ程度(の認識)だった」と述べていた。
 言う方は、「あいさつ程度」でも、それを投げつけられた側の中で、言葉の「毒」は解き放たれる。あるいは蓄積していく。

「テロ」「テロリスト」とは

 「テロリスト」も、強烈な言葉だ。使われている場面を見ていると、「テロ」「テロリスト」は、「死ね」以上に敵意や憎悪などの「毒」が含まれているように思う。
 「テロ」という言葉には、普遍的かつ厳密な定義はないものの、
*「政治や宗教的な目的」のために、
*「政府や自治体、外国公館、さらには企業や市民団体など様々な非武装組織、市民や政治家その他の非戦闘員」を対象に、
*「暴力やそれを意図した様々な行為」によって、
*人を殺害したり傷つけたり、モノやシステムを破壊したり、人々を畏怖させたり、社会に不安や恐怖、混乱や疑心暗鬼をもたらすなどの結果効果をもたらしたり、それを意図すること、
という程度の共通認識はあるだろう。
 その動機がどんなに純粋でも、あるいは同情に値するものであっても、「テロ」は手段としては否定されるべきであり、その担い手である「テロリスト」は、「人殺し」以上に強い非難を含んだラベリングである。
 「テロ」に該当する行為でも、それを肯定する同調者たちは、そうは呼ばない。彼らにとっては、「テロ」でなく「義挙」「ジハード」などであり、「テロリスト」ではなく「義士」「英雄」「殉教者」などである。それほど、「テロ」「テロリスト」には否定的な意味が込められている。

非暴力の抗議を「テロリスト」よばわり

 沖縄で、米軍ヘリパッド建設に反対する人々を、情報バラエティー番組「ニュース女子」が「テロリスト」と呼んだのは2年前。ヘリパッド建設についての意見が異なるとしても、非暴力の抗議行動を「テロ」扱いしたのには、本当に驚いた。
 放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会は、この番組には「重大な放送倫理違反があった」と厳しく批判。悪質な「デマ」「ヘイトスピーチ」だという非難の声もずいぶんあった。その一方で、制作側はそれを「言論弾圧」「誹謗中傷」として意に介さず、この態度を指示する人たちもそれなりにいる。
 そして今、沖縄の名護市辺野古で基地建設のための埋め立て工事の賛否を問う県民投票を関連して行われたハンガーストライキについて、自民党の国場幸之助衆院議員(比例九州)の政策秘書、田中慧氏が「ハンストはテロ行為」などと投稿したことが話題になっている。

 このハンガーストライキは、県民投票の呼びかけを行っていた「辺野古」県民投票の会の元山仁士郎代表が、投票に不参加を表明している自治体の再考を促そうとして行ったもの。
 田中氏は、15日にツイッターで「ハンガーストライキ、というのは、自分の命を人質にしたテロと同質ですよ」と投稿した。
 ハンガーストライキという手法について、賛否があるのは理解できる。当人の健康ややり方によっては命にまで影響を及ぼしかねない。そのうえ、ハンストで当該市長の考えを考えることはあまり現実的ではなく、どれほどの効果が見込めるかは分からないからだ。決して勧められる方法ではない。
 しかし、ハンガーストライキは他者に対する暴力や攻撃ではない。田中氏以外にも、今回のハンストを「テロ」扱いしている人たちが結構いるが、言葉の意味からして、まったくの誤りである。
 テロは他者、外部に向けた攻撃である。たとえば、中国共産党による圧政や弾圧に抗議し、世界に発信するために自らの体に火を放って焼身自殺をしたチベット僧を「テロリスト」とは呼ぶのは間違っている。他者を傷つけたり攻撃する意図はないからだ。
 今回のハンガーストライキをテロと呼ぶなら、自傷行為にとどまる焼身チベット僧もテロリスト扱いしなければならなくなる。
 田中氏は、元山さんの健康を案ずる書き込みもしており、誹謗中傷する悪意はさほどなかったのかもしれないが、むしろ無自覚にこういう言葉が出て来るところに問題を感じる。毒を含んだ言葉を発するのは、毒を意識し、それがもたらす効果まで考えたうえでなければ、無責任である。

「さっさと死ね」でまた物議

 その後、田中氏は「ハンストは自身の命を人質にしたテロリズムと同質、との私の主張は取り下げます」(18日)としたものの、「今後ハンストする奴が出ても、体調を案じることはやめて、さっさと死ね、の一言だけ浴びせることにします」(21日)と書き込み、またもや物議をかもした。
 いくらなんでも、「さっさと死ね」はないだろう。批判に反撃したいという気持ちからだろうが、こんな強烈な毒を含んだ表現がさらっと出てくるところに、言葉に対する無神経さや発想の危うさを感じる。
 田中氏は、沖縄タイムス紙の取材に、「さっさと死ね」は「ハンストがテロだという主張が批判されるのであれば、ハンストする人にはこういう言葉をかけるしかないという皮肉だった」と述べている。この発言からも、ハンスト=テロ説に対するこだわりが感じられる。
 中国政府は焼身チベット僧をテロ扱いしているとの論評や、「勝手に死ねば良い」と言ったりしているとの報道もある。田中氏やその同調者の言っていることは、ここで批判されている中国政府の対応とそっくりではないか。
 ツイートの中で田中氏は、中国のように民主主義でない政治体制の下での自傷行為はテロに含まれないなどしているが、詭弁と言うべきだろう。それでは、制度上は選挙によって代表者が選ばれる民主政であっても、実際は独裁的色彩が強い国の場合どうするのか。一党独裁体制であろうと、民主主義国家であろうと、政治的な目的で一般市民を対象にした無差別殺傷事件はテロだし、他者を巻き添えにしない抗議行動をテロ扱いすべきでない。
 秘書のツイートを確認した国場衆院議員は、元山氏に謝罪の電話を入れたとのことだ。

言葉の「毒」を意識する

 今回は、ハンストを行った元山氏を支持・支援する人ばかりでなく、それを非難し、テロリストよばわりするような人たちによる情報拡散も、話題を盛り上げるのに一役買った。それによって、事態は広く全国に知らしめられた。
 東京の北周士弁護士は、こんな皮肉を込めたツイートをしている。

〈ハンスト、手段にも主張にも冷笑的なのですが、無名の人間があれだけニュースとして取り上げられ議論が巻き起こるという効果については驚愕しています。すごい効果だ。〉

 元山氏は、沖縄では知られていても、全国的には「無名の人間」なので、こういうツイートになったのだろう。
 だが、そういう「効果」があったからといって、「テロ」「テロリスト」などの言葉が誤った形で安易に使われていいということにはならない。
 おそらくこの言葉もまた、子供の世界ではいじめなどで使われていくのだろう(すでに使われているかもしれない)。それに、言葉の誤用が流布され、テロに対する誤ったイメージが形成されれば、独裁国家の人権侵害に対する抗議活動まで安易に「テロ」に組み込まれかねない。そうすれば、これは独裁国家を利するだけだ。
 異なる主張を批判するのはもちろん自由だ。しかし、相手をばっさり非難したいからといって、安易に「テロリスト」「死ね」といった言葉を安易に選ぶべきではない。
 ここでは、政治家の秘書である田中氏の発言を取り上げたが、同じような表現は、この間、ずいぶん目にした。
  また、こういう毒を含んだ言葉を安易に使うのは、今回のハンストに批判 的な人ばかりでも、現政権を擁護する右派の人たちだけに見られる現象でもない。
 東京電力福島第一原発の事故の後には、国立大学の教授が、福島の農家を「サリンを作ったオウム信者と同じ」などと罵倒するツイートを連発した。これ、まったく不当で有害なテロリスト呼ばわりである。
  これもだいぶ前になるが、リベラルな人たちが「安倍死ね」というツイートを発しているのを見て驚愕したこともあった。
 政治的な価値観を問わず、こうした”猛毒言葉”を無自覚に使う風潮はあると言わなければならない。
 これを案じるのは、一つは、言葉は人の思考を作っていくものだから。言葉の「毒」は、その思考や行動にも影響をもたらすのではないか、と恐れる。「毒」に慣れ鈍感になった人々(とりわけ子供などの若い世代)は、無自覚なままに、新たな「毒」を発してしまうだろう。そしてもう一つ、誤用によって、意味が無制限に拡張されたりして、それがもたらす弊害も心配だ。
 禁句にしろ、と言いたいわけではない。大事なのは、その言葉の意味をちゃんと理解し、内在する「毒」を意識し、それがもたらす効果に想像力を巡らせることだろう。こうした言葉が安易に使われた時、とりわけ誤用されている時には、粘り強く「違う」と言っていくしかないと思う。

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