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これからのこと

6月は嫌いだ。
6月の季節は微妙で、良くも悪くもない。どっち付かずの気温がより嫌悪感を際立たせる。日差しは強いのになんだかジメジメして、せっかくかけたヘアアイロンが全く意味を為さない。アホ毛がみんな喧嘩をしているのか、あっちに行ったりこっちにいったり大忙しだ。これから一番好きな人に会いに行くというのに。どうにかしてくれ。せっかくおめかしをして、新しく買った洋服を身に纏ったとしても、髪の毛のうねうねのせいでなんだかかわいくないような気がする。いや、あの人ならどんな姿でもかわいいっていってくれるんだろうな、なんて思いながら急いで準備する。

6月8日、天気はくもり、若干の晴れ間も見える。走ると汗が吹き出てくる。慌てて飛び込む新幹線搭乗口はいつもと違うような景色を見せる。駅員さんに一番早いのを、と頼んだものだから、切符を買ってすぐに新幹線に乗り込む。ここまで走ってきたものだから、息も絶え絶えに乗り込む。席に座り、息を整え終わると、かばんの中に入っている参考書を取り出す。受験生は一秒も無駄にはしない。こうして好きな人に会いに行く最中でも勉強をし、知識を蓄える。ふと窓に目をやると壮大な太平洋が見られる。太平洋かは分からないけど、そうだと思っている。いつまでも続く静岡はこの先も一生ここから抜け出せないのだろうかと思わせるほどだ。

一生着かないと思っていた新幹線のぞみは女性のアナウンスとともに品川駅に着く。さっきまで空にしがみついていた日光が完全に雲で見えなくなっている。ジメジメした空気だけが残り、なかなかどうして気持ちが悪い。嫌な気持ちになる。足早に人通りを抜け、記憶の中にある駅名を探す。この駅を使うのは何ヶ月ぶりだろうか。案外鮮明に覚えているものだ。目的の電車に乗り込み息を整えると、いままで気にしていなかった周囲の様子がはっきり見えてくる。なんでこんな平日の昼間に女子高生は友達と電車に乗っているのだろうかとか、サラリーマンはお昼食べてこれからまた仕事かなとか、大学生みたいな人は空きコマなのかなとか。そんなことで気を紛らわせながら目的地までの拘束時間を過ごしている。目的地に近づく頃には、あんなにいた人もほとんどいなくなってしまい、少し淋しいような気がした。

目的地に着く。よくよく考えたら2ヶ月ぶりだった。来慣れてなさ過ぎて懐かしいとか、そんな感情はほとんどない。焦っていたせいもあるのかも知れない。足早に改札を抜ける。交番の前を通るときは少し緊張する。何も悪いことしていないのに何か声をかけられるんじゃないかと身構えてしまう。横断歩道ってこうやって渡っていいんだっけ、線路って歩行者が通っていいんだっけ。なんとか法律を思い出すことが出来たので、犯罪者にならずにすんたんだ。こんなことを気にしている場合ではないが。

忘れてはいないか。今から好きな人に会いに行くのだ。こんな手ぶらではいけない。コンビニによってお粥やポカリ、好きだっていっていた(ような気がする)ジャスミン茶を買った。袋が有料とは嫌な時代に生きている。申し訳ないが、少しだけ環境破壊に貢献してしまう。その代償として指に食い込んだビニール袋からは、エコバッグを持ってこないからこうなるのだ、といわれているようだった。

記憶を頼りにコンビニからの道を歩く。ここは何回も通った道だ。防犯意識の時代に逆行している中学校、クイズとして良問な曲がり角、所狭しと並ぶ住宅街。実は好きな人の家に行くのははじめてだった。息を整え、教えてもらった住所を確認する。危ない、隣の家のチャイムを鳴らすところだった。正しい場所に行き、階段法があったら引っかかっているであろう一段一段が高めな階段を、さらに一段飛ばしで駆け上がっていく。もう少し、もう少し。

チャイムを鳴らす。どんな姿かな、パジャマでもかまわない。部屋が汚くても何ならゴミ屋敷同然でもかまわない。そこに存在してくれたら、私のことを迎えてくれるのなら他に望まない。

もう一度チャイムを鳴らす。汗が流れる。ジメジメした空気がまとわりつく。準備なんてしなくていい。わざわざ格好を整えたり、その場しのぎの片付けなんてしなくていい。いいから。いいから早く出てほしい。
しびれを切らし文字に頼る。今いる?おうちの前だけど。もちろん既読は付かない。タイミング悪く外に出てしまっているのか、と玄関先で少し休むことにした。

いくら待っても来ないものだから憂さ晴らしとしてドアを叩く。ドンドンと鳴り響く音が静かな東京の住宅地を駆け巡る。ただ、返答はなく虚しさだけが残る。こうなると頼れるところは1つしかない。
街の平和を守ってくれるのだから、私のことも助けてくれるはずだ。突然現れた私にヒーローは驚きつつちゃんと話を聞いてくれて、どこにいるかなどこ行ったかなと一緒に探してくれた。なかなか見つからず、何がヒーローだとも思ったりした。今では感謝しかない。

結局会えたのは夜遅くだった。ただわかったのは手に食い込んだビニール袋の中身は私が消費しなければならないこと、この手を離したらもう簡単には会えなくなること。最後に一緒にいた時間は数十時間にも数秒にも感じた。望んでいたのに、望んでいない。会いたかったのに、こうじゃない。なんだか面倒臭い女みたいね。ごめんね、本当にごめんね。

6月は嫌いだ。あの時のことを“嫌なことだ”と思ってしまうから。
昼間はジメジメしていたのに、気づいたら肌寒くなって、1人であることを1人になってしまったことを嫌でも思い出してしまう。手を振っても返してくれない。声をかけても届いているかすら分からない。そこにいてくれても分からない。

家では新幹線の走る音が聞こえる。もう行ったって意味のない東京に、みんなは嬉々としてかけていく。意味のない東京にこれからも行くことになるのだろうな。一緒にいてくれたらどんなに良いか。
1年経って、環境はガラリと変わった。働いて給料を貰っているし、弱く泣き虫だった私とは違う。しかし私はまだあの時と何も変わらない。ただ、どこにいるかもわからないあの人に、毎日毎日会いたいと願いながら手を合わせることしかできない。それでもずっと好きだ。見えなくても、わからなくても、そこにいてくれる気がする。自分で思っているだけでもいいかな、なんて思う。

これからのことなんてわからない。1年経った今もわからないまま。でもいいかな。これから残りの人生でゆっくりゆっくり考えていこうと思う。


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