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相撲部の私がアメリカへ行った理由。part.4

はい!あみたです!


ベトナムより帰国したところから話を再開します。

帰国した私は英語の勉強を始めました。と言っても当時の私は英語はHelloとThank youを言うのが精一杯のレベル。なので中学一年レベル、基礎の基礎から勉強を始めました。寮の近くの本屋で英語問題集を買うのですが、当時の私は21歳、この年で『よくわかる中学1年の英語』とかなんとか大きく書かれた問題集を買うのはとても恥ずかしかったのを覚えています。精一杯、コレ自分の為じゃないよ感(おそらくバレバレでしたが)を出して買いました。

いよいよそれを買って勉強し始めると、意外とスラスラとできた記憶はあります(まあ21歳が中1向けの勉強をする訳なので当たり前ですが)。でもこの『わかる!簡単じゃん!』という感覚が大事なのでしょう。小さな成功体験の積み重ねですね。それまで英語に対してとてもアレルギーのあった私ですが、ちょっと真面目にやるだけでできたので、中1の問題集が全部終わる頃には、自分がなんだか英語ができる人になったかのような気分でした。

また後輩に英語ができる後輩がいたのも幸運でした。ちょっとしたわからない事は彼に聞いて教えてもらっていました。彼には暫く会っていませんが、元気にしているでしょうか。とても愉快な人間でした。

さて相撲の話もしましょう。

その頃には相撲部にも新入生が入ってきていました。今の木崎海の代ですね。私も本格的に4年生となり、その頃には相撲もまた頑張れるようになっていました。泣いても笑ってもあと一年。悔いなくやろう、そんな気持ちでした。

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そして大学相撲のシーズンが始まると、春の3連戦の2戦目、宇佐大会にて団体戦のメンバーに選ばれました。それまで個人戦などでは大会の出場経験があるものの、団体戦のメンバーになるのは大学4年にして初めての経験でした。また団体戦は久々、なんと高校の国体ぶりのことでした。ちなみに東日本競技会には大学2年時に出場し、個人団体共に優勝。この時は唯一日大の黒まわしの部員として出場し、それの恥ずかしさと、優勝しなくてはという微々たるプレッシャーがありました。

話を宇佐大会に戻します。結果から言えば、団体戦は日大が優勝、個人戦は確か北勝富士こと中村くんが優勝だったような気がします。私自身の個人戦の結果は覚えていませんが、団体戦は予選だけでて結果が出せずに、その後は美ノ海こと木崎くんに交代でした。

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この大会が終わった夜に感じた事は、今でも鮮明に覚えています。そして今後忘れる事もないでしょう。


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今日はこの辺りで。

あみた


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