夢を畳む〔私の場合〕

西尾さんが面白い記事を出してくださって

ちょっと堂々めぐりで、らしくない混沌も見受けられました
たぶん西尾さん自身も混沌とされてる部分があるのでは?と思ったので

参考にはならないと思うけど

この老婆の来し方でも、お伝えしてみたりしようかと思います


始まりは7才


何だか漫画家になるって決めて
20才であきらめるまで
私は漫画を描き続けていました
四年生でデビューするんだ!
五年生でデビューするんだ!
六年生で・・・
とにかく早くデビューしたかった←強すぎる名誉欲w
でも世の中そんな簡単じゃない
石森(現・石ノ森)漫画教室読みながら、何でも知っておかねば!と、目に入った事柄、耳に入った事柄、何でも書き留めるノートをつくった・・・
書き溜めた作品
書き溜めたノート
書き溜めたネタ
etc.etc.etc.etc.etc…


好きな作り手にはファンレター出し、運良くお返事もいただき、アニメの作り手さんがたとも、愛知に居ながらにして交流させていただいた

書き飛ばさないでペン入れしなさい

繰り返しプロの方々に言われたのに、私は描き急いで、ペン修業をおろそかにしてしまった

そして20才
私は恐ろしい事実に遭遇することになったのだった


漫画は無理!


結局努力を惜しんだ分、漫画は上達しなかったのだ
でも、ここまでやってきた
ストーリーは作れる
シナリオも書いてきた
勉強・・・しよう

私は遅まきながら、シナリオの通信教育

↑この方のおじいさまのところ💕

受ける傍ら、東京に顔つなぎして、とりあえず制作会社にコネをつくった
入社確約をもらって、会社を辞め上京、特撮の会社の事務員になり、数年後シナリオだけで食べられるようになったのだった


ところがである!!


順風満帆はここまで
シナリオライターになったことに喜んでしまった私は、ここまでしてきた地道な努力を忘れたのだ
仲間と飲み食いしたり、歌ったり、恋したりしてるうちに、才は荒れ、私自身はそんな自分、ダメになる自分ってのにも溺れた・・・

気づいたら38
私は宿無しの職無しで
40直前で母親になっていた


休眠と、ささやかな再起


子育ての期間はほとんどあががなかった
ひたすら子と生きるので手一杯だったからだ
子が小学校高学年になった頃にポケモンに出会って、ダイヤモンド・パールから5年はまりまくり、高校生の母になったGWにスマホになった
試しに、文章サイトに上げだしたら、何だかぜんぜん迷いなく書ける
ココナ△に登録して売文もした
テレビ・映画のギャラを知る身には、ココナ△の初期の料金設定は耐え難い屈辱だったけど、業界落ちこぼれの文章を買ってくれる人がいるだけで御の字だった・・・


そして今に至るわけだ


とりあえず、なりたいものになれ、潰れ、縮小再生産?期もあった

だから私は枯れていける
人には努力せよと言える
だんだん衰えてゆく自分なりに、これからもっともっと小さくなってゆくのである



ちなみに・・・


私の今生のテーマは

その先崖ですよ

って言われてもまっすぐ行って
落ちて

血だらけで

ほんと崖でした

って言うパターンなのです

まあまあ貫けました














それでも地球は回っている