意思を明らかにするということ
※ 私自身の個人的な状況なので、エンターテインメント要素がほとんどありません。個人感情とか苦手な方は、ブラウザバック願います<(_ _)>
今もこの手が震えていますが
私が9月を迎えるということは
ちょっとそんな感じなのです
12年前、今よりもっと話を聞かない夫と話すのに、私は自分に包丁を当てました
ちょっとでいいから私の話を聞いて!!
たったこれだけのことを言うのに、自分に刃物を当てねばなりませんでした
たいていの人は、自分の人生しか知りません
その人の人生にない価値観は、想像だにできないのです
このとき私から包丁を取り上げようとして、夫は指を切りました
痛みに夫はさらに逆上しましたが、私たちの決裂は一応収まりました
この後同様のことが二度、最後に警察に連行してもらって、手だけは一切出なくなりました
今回私が(リアルで)立ち向かっているのは、これと似た優位者暴力です
私には、命しか担保するものがありません
私の更新が止まる時は、
私の気持ちに配慮しない存在が
私に無理を迫ったのだなとご理解くだされば幸いです
(もしくはスマホの終焉です)←あまりの落差(^^;)スミマセン
私は今
身勝手ながら
この上なく生きていたいです
しくじりだらけの人生なりに
やっと結実の気配を実感しています
ここで終わってしまうのが人生の常でしょうが
私は後一歩生きたい
実現したいものがあるのです
それでも地球は回っている