100ヒロシの25・三球照代系かと思ったらドツキ漫才系!
漫才師あしたひろし・順子のひろしさん。
93才老衰大往生。
順子さんはそのまま事実上の引退だという。
順子さんは女優で舞踊家の藤間紫さんのいとこだという。
ひろしさんはひろしさんで、いとこに棋士がいて、本人も将棋、プロ級の腕前だったそうだ。
1960年。
南順子・北ひろしの名で結成。
最初は漫才ではなく、ひろしの司会で順子が手品をするマジック・コントだったんだって。
覚えも要領も悪いひろしを、芸能一家育ちで洒脱な順子が、舞台上で思わず叩いた、そこを目にしたリーガル天才・秀才に、どつき漫才への転向を勧められたのだって。
歌謡ショーやキャバレー、女子プロレスの前座などで稼いでたそうだけど、ドサ回りで芸が荒れるのを自覚(偉いね)、1965年の大須演芸場開場を期に高座に専念したという。
大物漫才作家・秋田實の評価を得て、1960年代末から上方で修業。
時に上方漫才界は綺羅星きらきらすぎるほどで、
ミヤコ蝶々・南都雄二
京唄子・鳳啓助
中田ダイマル・ラケット
夢路いとし・喜味こいし
秋田Aスケ・Bスケ
かしまし娘
ら大看板ズラリ。
そこで揉まれたら石ころでも光輝くだろう。
しかももともと石ころではない。
秋田に正式に認められ、「秋田」の屋号を許されたのに、畏れ多いと辞退して「あした」、一字違いを名乗るようになったという。
ドツキ漫才とはいっても、大柄順子とサエナイひろしの恐妻漫才はしゃれていて、時事ネタもかなりぶっ込んでて、マイケル・ジャクソンネタすらあった。
2010年5月以降、ひろしさんの病気療養でコンビとしての活動は見られなくなり、2015年11月にひろしさん逝去。
その後、2017年4月に順子が落語協会を退会し、事実上の引退状態なのだという。
弟子はなし。
もう見れないのがつくづく残念です。
それでも地球は回っている