4月14日 リンカーン大統領暗殺事件

リンカーンの意外


すごいショックだったのは、黒人奴隷に関しては“奴隷解放の父”的な存在のリンカーンが、インディアン、ネイティブアメリカンに対しては、徹底して、人にあらずな態度をとっていたと、そのようだと、いま、初めて知ったことです。
あまりに無関心無感動なその日々は、ちょっと私の理解を越え、反応すらしきれない感情を生みました。

弁護士時代から大統領時代にかけて、終始徹底排除の方針を採り続け、大量虐殺を指揮。

Wikipediaの一文です。
この以下のすべての文章に驚愕したまま、私はこの項を閉じます。
落ち着いたら改めて書きましょう。
人は

本当に恐ろしい生き物です。


4月14日 リンカーン大統領暗殺事件


1865年。
南北戦争の最末期、同日午後10時頃に起きた暗殺事件。
最初のアメリカ大統領暗殺事件でした。
犯人のジョン・ウィルクス・ブースは、ジョン・レノン殺しのマーク・チャップマンやJFK殺しのリー・ハーベイ・オズワルドのような単独犯行~異論あるにせよ~ではなく、南軍の威信をしょっての暗殺だったようです。
が、けっこうトロくて、何度もリンカーンを取り逃がしています。
もともとブースは南軍のシンパだったようでブースの狙いはリンカーンや、 国務省長官(ウィリアム・スワード)や副大統領(アンドリュー・ジョンソン)を暗殺することでワシントンを混乱させ、合衆国政府(北部連邦)を転覆させるつもりだったそうです。
でも北部連邦は揺らぐどころか一致団結してことに当たり、多分リンカーンが生きていたらもうちょい南部にお手柔らかだったろうことまで潰えさせ、逆に南部をつらくさせてしまったようなのです。
締め付けられた南部の不満はKKK、クー・クルックス・クランを生み出した…結果的にブースは、より南部を苦しめたに過ぎなかった…
結局国務長官も副大統領も永らえて、
歴史は進んでいきました。
犬は吠える。
されどキャラバンは粛々と進んでいったのです。


それでも地球は回っている