4月6日 アメリカの探検家ロバート・エドウィン・ピアリー、西洋人として最初に北極点到達?

南極探検の栄光と悲劇


下記のついでにアムンセン隊、スコット隊、白瀬隊もちらとみた。
白瀬隊はスキーすら知らず、何だあの長い棒履き物はと思ったレベル。
アムンセン隊(成功)とスコット隊(失敗)の差はまさに『八甲田山死の彷徨』と同じ。
リーダーシップ、応用力、モチべーション。
南極関連の項目ででも、いつかきっちり書こうと思うけど、とにかくびっくりした…

ピアリーの成功を聞いて、アムンセンは南極に方針をかえたようです。
嘘だったとはねー。


4月6日 アメリカの探検家ロバート・エドウィン・ピアリー、西洋人として最初に北極点到達?


1909年。
そういうことにはなっているけど、届いてはなかったらしい。
この探検から帰還後、元の仲間に

自分はもっと前に北極点到達していた

と主張されたり、もう大変。
そいつは結局訴え退けられ、詐欺罪で収監され、ピアリーが最初の北極点到達者と認定された。
現在では、

ピアリーが証人を買収した

ことがわかっているようで、ナショナルジオグラフィックとかマスコミをバックにした栄光だったよう。
実際に、ピアリーらが北極点だとした地点は

正確には北緯89度57分
(北極点から約6kmの地点)

だったそうだ。
でも1898年から五回トライ。
初回で失敗プラス足指8本凍傷で失ってる。
1906年の四回目で北極点まで、280kmの地点まで到達した。
1909年のが残6キロなら、まあいいんじゃないかなあ。
隊は6人だったそうだ。

それでも地球は回っている