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社会人1年目のGW

1年生だからという理由で
暦通りの休みをいただけた社会人1年目のGW。

5月2日退勤後、急いで東京駅に向かって新幹線に乗車。
大勢の人にまたもや圧倒される。
初めてEXアプリから予約をし、ドキドキしながら。
少し余裕があったので手土産を少しだけ買った。

乗車後は、疲労からすぐに寝てしまった。
30分くらい仮眠をとって、起きてnoteを執筆。
(前回の投稿)
途中、業務中に気になったことをいくつか思い出したので調べながら勉強。
気づいたら京都駅に到着。
21:00すぎ。

親が迎えにきてくれていたので、合流。
そこから夕食を軽く食べ、帰路についた。
家に着いたのは日付回ったくらい。
#京都到着してからが遠い

シャワーだけ浴びて就寝。

(私にとっての)GW1日目。
大好きな温泉に行き、2時間くらい過ごした。
#幸せ

そして、そこで昼食をいただき、ドライブへ。
いつもお世話になっている人にお土産を購入。
播磨焼?
#地元のものではない
再びドライブへ。
海と山が好きなので、
山道を抜け、海へ。
時間があったので、行ったことがない海辺の方まで散歩。
#ウニがたくさんいた


バイトだった妹を迎えに行って帰宅。
すると、疲れているはずの妹が出かけようと言って
片道1時間程度かけてショッピングへ。
#私のほうが疲れてた
#体力おばけ
#今年受験生の妹が心配

外食してまた日付が変わってから帰宅。
シャワー浴びて、少し仕事して就寝。

GW2日目。
朝早起きして、大好きな祖父母(母方)に会ってきた。
変わらず元気そうで安心☺️
上京することに1番反対していたであろう祖母。
幼少期から私の見方でいてくれた祖母。
医療の道に決めたきっかけも祖母。
何も恩返しできずに市内に進学し、
そして上京したことがずっと心残りだった。
いま、唯一できることは遠くに居ても
定期的に連絡とること
時間があれば会いに帰ること
だと思っている。
少しでも多く帰って一緒の時間を共有できるといいな。

母に誘われて、祖父母宅にある蔵へ。
あまり入ったことがなかったので興味津々で中に。
昔のものがたくさんあって楽しかった
#薄い感想すぎる

祖父母に
またすぐ帰ってくることを約束して帰宅。

帰宅後は4足靴洗い。
靴が大好き。
スニーカーもランニングシューズも。
しかも今持っているスニーカーは
フィットネス立ち上げたとき
1店舗目のお祝いでもらった靴。
ランニングシューズは、高3のとき
怪我して気分が落ちてたときに購入したシューズ。
(300km近くは走ったのでそろそろ買い替えなければ…)
#色々思い出があるな

お昼食べて、祖父母宅(父方)へ。
上京する直前、大喧嘩をした祖父母。
(以前の投稿参照)
東京を出発する前に
お土産買って帰ろうって思ったきっかけが祖父母だった。
そのとき思った。
やっぱり家族であり、
愛されたいんだな
って。

いつかの投稿に書いた気もするが、
過去にどんな酷いことを言われたとしても
辛い経験をしたとしても
親は親であるし、祖父母は祖父母である。

そして、子どもは、孫は、1番身近にいる家族から
愛されたいんだなって。
子は、孫は愛を欲している。
そして、そのためならば、
自分が辛い思いしたって、無理したって…。
#母という病
#という本に書いてあった気がする

自身は悪いことしていないのに
「愛されたい」の一心で
勝手に罪悪感を感じて
気に入られる、愛される努力をする。

でも、最近気づいたことがある。
自身がいくら努力したって、
いいように使われたりするだけで
愛されることは難しい。
ということである。
(ケースバイケースだと思うが)
#残酷だけど

相手に「愛する」という感情がないか
(当本人も愛し方がわからないのか)
自分と相手に「愛する」という認識にズレがあるか
自身が愛を欲しすぎているのか

そこを深掘りするより
今後の自身の生き方、相手との関わり方を模索したほうが賢そう
#変えられるのは自身だけ
#本当に卑怯だよねとか思ったり
#運命なのかなとか思ったり
#運命と言い聞かせるしかなかったり

これまでは
自身が努力すれば…。(日頃の努力が足りない)とか
いつかきっと報われる(愛される)とか
自分も“家族”によって幸せと感じられるとか
思ってきた。

けど、そこに違和感を感じ
見たくもない現実を見ると
それは自分の描いていた理想像であって
本当はそんなことはなくて。
現実に広がる世界は
もっと皮肉で理不尽で残酷な現実。

その現実になんとなく気づいてしまった今、
次に出てくる疑問・感情は、
「自分ってどうやったら幸せになれるんだっけ。」

これまで
自身の幸せ=家族の幸せ
だった。
つまり、軸が「自分」ではなく、「家族」だった。
自身の幸せなんて考えたことなかった。
家族が幸せだったら
笑顔だったらなんでもいいと思っていた。

だから
お金を稼いだら家族のために使う。
家族の笑顔のためにお金を稼ぐ。
仕事を頑張る。
こんな感じだった。
もちろん学費も生活費も自身でつくり
妹に同じ思いをさせたくない一心で援助もした
#おかげで社会人スタートと同時に借金返済生活スタート

こんな感じで幼少期から
自身の感情に蓋をして
現実に目を瞑り、
軸は全て他人で生きて育つと
自分軸で物事を見ることができなくなる。
自分軸で考えると、
本来感じなくて良いであろう罪悪感に襲われる。

これは家族に限った話ではない。
お世話になった人、私と関わってくれた人に対してもそうだ。
どうしたら幸せに感じてくれるのだろうとか
恩返しできるのだろうとか
今のままではいけない、もっと成長しなければとか
感じてしまう。

今や、
アダルトチルドレンなどの言葉も多用されているが
それは結果の話であって
やはり
自分が自身と向き合って、自身を大切にしなければいけないと思う。

そういえば、とある人と最近深い話をしたことがあった。
その人とはまだ出会って1ヶ月の仲である。

けれど、思っている以上に私のことを知っていて
(知ろうとしてくれていて)
それらを全て汲み取った上で以下のことを言ってくれた
・何も無理しなくていいこと。自分の感情に嘘つかず、ありのままでいてほしいこと。
・私の存在は大きいこと。(コミュニティが同じ)
・これまで自己肯定感を上げてくれる環境・人が少なかったこと。
・これまでが不幸な環境だったこと。今後の環境はそんな環境ばかり広がっていないこと。(少なくとも同じコミュニティ内では)
・絶対幸せになってほしいこと

とても嬉しかった。

これらに気づいたのは最近である。
遅いと思われるかもしれないが、
そうでもしないと自分を保つことができなかった。

これから何かを変えるには、リハビリが必要そう。
それも治し方とか手段も方法もわからない中で。
(そもそも治すという表現の仕方が合っているかわからない)

これまで
「変わったね」という言葉に恐れを抱いていた。
常に良い子、賢い子、頑張る子、利口な子、
つまり
理想とされる子
でいなければならないと思っていたからだ。
これからは、
少し受容の仕方を変えて頑張ってみようと思う。
変わったねと言われても、
「でしょう〜」くらいのメンタルで。

現時点で気づけてよかった。
いつかそう思える日が来るように。



かなり話が逸れてしまったが、
祖父母との関係が拗れたり、
家族と久しぶりに会う中でいろんなことを考えたGWだった。

祖父母と会ったときは
これまでと変わらないように元気よく挨拶をしてお話をした。
内心とてもビクビクしていたが…。
また傷付いたらどうしようとか考えたりした。

第一声に「ごめん。」と言われた。
なんとも言えない複雑な気持ちになると同時に
とてつもない罪悪感に駆られた。
なんでなん。
私は全くもって被害者であり、悪くないのに。
まるで「ごめん」と言わせたかのように。

度々あるこの感情。
明らかに相手が悪いときですら
相手に謝罪してほしいわけではないにもかかわらず、
罪悪感を感じる。

自分は怒りとか憤慨の気持ちを表に出さず、
自身で抑圧していかなければならないのか。
前者の罪悪感を抱えることも、
後者の自身の感情を抑圧することも
両者ともきついな。(もちろん必要な場合もあるが)

ぎこちないコミュニケーションになっていた気もするが、このタイミングでお土産渡すことができて、
お話できて、元気であることを伝えられたから
最低限はクリアかな。

夕方は、祖父が育てている水菜をとりに行った
#お手伝い
持って帰るのが大変なくらいくれた。
#欲しい人はいつでも連絡してね


GW3日目。
急遽誘ってもらった従姉妹と一緒にご飯を食べて京都駅に向かった。

現在、ストレスなのか
病棟クラスターでコロナがうつったのか
絶賛体調不良の中、
車と新幹線、電車を乗り継いで約6時間かけて東京に向かっている
#早く元気になるといいな

日付変わる前には帰れそう。
シェアハウスの住民には
#家出してくる
とだけ言って3日出かけている。
#元気よく帰ろう

明日GW4日目。
お手伝いしているベンチャー企業での仕事を入れていたが、できるのだろうか。


社会人1年目のGWは
移動多し。
考えること多し。
でした。

1年後、このnoteを読み返して
少しでも成長したり変われているといいな。


長いのに最後まで読んでくださってありがとうございました!!

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