愛犬に捧ぐ

2018年10月5日(金)。
私が2歳5ヶ月だった赤ん坊の頃から、一緒にいた愛犬が死んだ。16歳になる2週間くらい前のことだった。大学受験を年明けに控えていた私は、塾から帰宅した夜9時40分頃に、その死を知った。
塾から帰ると、その日は珍しくドアにチェーンが掛かっていた。チェーンを外して玄関を開け、顔を覗かせた姉の顔は、とても硬かった。「チェーンかけないでよ」と私が言い切る前に、姉は「○○(愛犬の名前)が死んだ」と告げた。突然のことだったし、予想なんてしていなかったから、自分でも自分が目を見開いて、感情が一瞬で消えた感覚を覚えている。
学校指定の鞄を持ったまま、リビングルームに向かった。タオルをかけられた愛犬が、床に敷かれた布団の上に横たわっていた。母親が、グズグズと涙を零していた。いつ亡くなったのかを聞くと、塾を出る10分くらい前のことだった。
母親に促されて、体に触った。愛犬の体はまだ硬くなく、温かかった。母親が泣いていて、涙を流したら駄目な気がして、どうにかぎりぎり涙を堪えた。いつからか、どんなに悲しい時でも、涙が出なくなっていた。「亡くなったら、すぐに連絡してくれればよかったのに」なんて、言えなかった。
愛犬は、2日前に体調を崩し、その日にもう駄目かな、今日死んじゃうのかなと思ったが、どうにか持ちこたえ、その翌日もそこまで体調が悪くはなさそうで、「しばらく大丈夫そうだな」と安心した矢先だった。
2ヶ月後、骨を納骨堂に入れることになった。土曜日だったので、高校が終わる13時頃から行けば、開始時刻の13時30分に私も間に合うとのことだった。
しかしその日は運の悪いことに大掃除の日で、高校が終わったのは13時40分頃だった。
駅まで走り、電車に乗り、駅から走り、着いたのは14時を過ぎていたと思う。電車の中で両親宛にたくさん打ったlineは、なかなか既読がつかず、もどかしかった。荷物が重かったとはいえ、この時ほど、自分の体力の無さを痛感したことはない。
会場に着くと、建物から両親が出て来るのが見えた。間に合わなかったか…と悔しさが込み上げたが、終わったのはお葬式で、納骨はこれからとのことだった。お葬式には間に合わなかったが、納骨にはなんとか間に合い、私は少しほっとした。

それから、家で愛犬の姿を見たような気がしたり、床に物が置いてあると愛犬に見えたり、たまに夢を見たりなどと、愛犬の影が消えるまでに半年ほどかかった。早いのか遅いのかはわからない。その半年間は、なんとなく、心が寂しかった。

大学生になって少しして、愛犬の残像を見ることはなくなった。
ようやく、前を向ける気がする。
後悔だってたくさんあるし、自責の念だってある。それらはこれからずっと、消えることはない。
だけど、およそ16年間、一緒にいてくれてありがとう。
逝くタイミングは少し悪かったかもしれないけど。
でも、
そこにいてくれるだけで、ほっとしたんだ。
私はもう大丈夫だから。
絶対に忘れないから。
ずっと、私たちの家族だから。
ばかでやんちゃでかわいい弟だよ。
幸せに上の世界で生きてね。
りょうま、ありがとう。

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