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※そろそろ注釈つける必要もないかもですがいつものほぼ一気書きです。

師弟関係が今も脈々と引き継がれている詩の場を私は知らない。
なので勝手に心の師を定めている(承諾は得ていない)←えっ?

文学学校でチューターだった村岡真澄氏と金時鐘氏。
さまざまな詩の学びの場に行かせていただいているが先生と呼ばせていただいているのはこのお二方だけだ。

私の詩集解説はその師と定める金先生にお願いした。
当時特別講座に参加しわずかながらお話させていただいた機会もあったものの面識は回数にして5回にも満たないと思う。
そんな雲の上のような存在に気迫で長い解説依頼の手紙を書いた。心の師だったから。
承諾まではこじつけたがギリギリまで解説が手元に届かず(当時から本当にご多忙そうで)すでに福岡に住んで働いていた私は友人に手伝ってもらってまで再プッシュした。
「わしを殺すつもりか」とポソリ言われたと伝え聞いている。
(心で壮大な土下座っ)
大風邪をひいていた私もフラフラの頭で毛布にくるまりながら
「他に解説を書いていただきたい方はいません。一行だけで充分です。」
と切々とまた手紙を書いて送ったりした。

しばらくして。朝7時頃に携帯が鳴った。
「送りました。いい詩集でした」それだけで一方的に電話が切れた。
こ、声が、半ギレ?
す、少し、怒ってらっしゃる?
(そりゃそうだ。しつこいだもん網野杏子)
解説が手元に届いて理解した。詩がかすむ名解説だった。
あの声の理由がわかった。きっと夜からあの電話の時間まで寝ずに書いて下さったのだ。
ただの文学学校つながりでしかない無名の詩書きが書いた詩集であっても承諾した限りはと手を抜かなかったのだ。
催促を手伝ってくれた詩友に言った。
「手伝ってくれてありがとう。なんでこんなに私のことがわかるのって解説が届いたよ。もう、死んでもいいわ」
(後に散々揶揄されるこの発言。あの時死んでもええって言ってたよね。人間って強欲やな。←ぐうの音もでませんがな)
私にとって一人目の師金先生との一番の思い出である。

話が九州から北海道に行ってしまいました。そうそう師を選ぶことはおススメだよって話だわよね。
まず第1に
心から信用できる(←最大難関だよね)色恋と交わらない純粋に詩で繋がれる関係であること。詩の世界で長いキャリアを持ち圧倒的洞察力と実力を兼ね備えていると思える詩人。

私はこの基準で選んだ。
色恋については社内恋愛したくない派なのでそれに似ている。これは人それぞれの見解だけど関係が壊れると互いに同じ業界で気まずすぎるし周囲にも気を遣わせる。
私の優先順位は比べようないほど
詩>色恋 
なのでルールを定めて例外は作っていない。

また、オススメなのは
真逆スタイルの詩を書く人でなおかつ(純粋に学びになる)
あなたの詩を尊重するのでなく
あなたの「人となり」を含めて尊重してくれる人

である。

関西を訪れるとき会える会えないにかかわらず必ず村岡センセーに連絡する。今は詩を書かれていないセンセーもタイミングが合えば私に付き合ってくれる。

「今回の詩どーしたん?急にうまく書けとるねー」とか
「誰かに誉められるような詩を書いたらあかんよ。急ぐ必要ないんだからゆっくりゆっくり書いたらいいんやからね」
とか、ざっくばらんに話したり丁寧にお葉書にしたためてくれる(最近はラインが楽らしい)字か美しすぎて見惚れてしまう。
もう感覚では近所の親戚のおじちゃんみたいに近しく思えて(失礼すぎ!)
心の内をなんでも話したくなる。
驚くことに人生相談的なこともセンセーのアドバイスは外れた事がない。
改めてその資質とクレバーさで詩を書かれてきたのだと思い知らされる。

一度だけセンセーにしっかりとダメ出しされたことがある。
文学学校に通い始めて間もない頃、やっぱりかっこよかったりする表現に憧れなじんでもないレトリックをやたら使い始めた頃だ。

言葉に化粧をしてはいけないよ。

私は今でも過度なレトリックに飛びつきそうになったり評価されたくて
自分の体から離れた表現になりそうになる時この言葉で思いとどまる。
(とどまれてないときも、ある。修行が足りない)

文学学校の修了証書にある寄せ書き欄にセンセーが書いてくれた言葉
「あなたの持っている資質。それを一言で表せば、《きれいな声》だと思います。伸びのある《内面の声》。それをいつまでも聴かせてネ。」

精神がうなだれきった時当時の先生の励ましや熱く語っていた詩への向き合い方を思い出す。金先生が書いてくださった解説に目を通す。

村岡センセー経由で平居謙さんに拾っていただき、その流れでりりじゃんメンバー、ヤリタミサコさん、同人誌『詩杜』へとたどり着けた。
福岡の詩の場では福岡ポエトリー夏野雨さんとの出会いで渡辺玄英さんや龍秀美さんポエイチ周辺の方々に出会うことが出来た。
言い換えれば出会った方々ひとりひとりが「師」のようなものかもしれない。
自分ひとりの想いだけでは死ぬまで詩を書き続けたいと願う心境までたどり着けなかっただろう。
そんな出会いの渦の中で迷ったとき、途方にくれたとき、デン。と
私のコアに
二人の師が居て灯台のように暗くて深くて果てない海を照らして下さってる。

詩と長く長くつきあっていくための選択のひとつ。

あなたの師は誰にします?

                           (おしまい)

          


アンビリーバーボーな薄給で働いているのでw他県の詩の勉強会に行く旅費の積立にさせていただきます。