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吉本ばななが読めない

この秋から冬にかけて、狂ったように吉本ばななの小説を片っ端から読んでいた。
それこそ、近くの古本屋の吉本ばななの棚を全て買い占めてしまうくらいに。
本を読むことは昔から好きだった。それでも1人の作家に惚れ込んだのはこれが初めてだった。

沖縄の私の生活が豊かであることに気づいたのはここ3年。それまでは本をほとんど読めなかった。いつも何かに追われていて、誰かのジャッジを気にしていて、世の中や周りの人間の期待に応えることが生き甲斐だった。嫌われないように、愛され続けるように、そんな生き方だった気がする。

でも、”ありのままの私“が魅力的で「あなたはいつでも何をしても本当に素敵よ」と伝えてくれる人たちと出会い、世界の見え方が大きく変わった。

生きるために働くのではなく、生きる一部が働くことであり、1人で生きるすべての時間に豊かさを感じられる。
でも1人であり、孤独であり、それがあまりにも清々しいのだ。
誰も深いところの扉を開こうとはしないから、私の感じる豊かさを心の湖にゆっくりと沈めている。
それが私の今の沖縄生活。

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そこから離れて実家で過ごすここ最近の日々では、吉本ばななが読めない。
彼女の作品に登場する女たちの孤独を感じられないのだ。

本当の意味での孤独にはきっと一生なれない。
私の人生は根本的に愛されすぎてしまっている。

それはそれで随分幸せなのだが、想像力が乏しくなる一方なのは困る。
無条件の愛というのは、糧であり障壁でもある。

悪いとは1ミリも思っていないし、私は家族のことを心から愛している。
ただ、それだけではもう生きていけないのだ。

自分が家族を作る側になる時、これはとても大きな悩みの種になるだろう。

贅沢な悩みだ。

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