モノ扱い

アカデミー賞のエマ・ストーンの映像、結構すごかった。あれは敬意がなさすぎだよね。ってことでいいんだよね?というくらい自然なのでこっちが何か誤解しているのか?と混乱してくる。こういうとき自分がされてきたモノ扱いや憎悪の対象になったことを思い出す。ため息と不機嫌で人をコントロールしながら身体だけ触る人気作家(というか人気が出た本を書いたことがある妻帯者)とか後ろから走ってきて私の目の前でマスクを外して「この犯罪者が!」と怒鳴りつけてきたなんかのプラカードを下げた女性とか。電車の中なんていつもまるで見えていないかのように肘鉄されてる、頭を。小さい人は見えない人らしい。今日は東日本大震災や能登半島地震に関するあれこれでもよく泣いたり暖かな気持ちとなんとも言えない気持ちになったりしたがモノ扱いの世界には力が抜ける感覚しかない。サンディエゴのマックでも私の声は完全に無視されるどころか店員は見えない場所に行ってしまった。海外では諦めなかったけど日本で、しかも信頼している相手にそうされたときには精神的にかなり参った。身体的にも傷つけられたときはなおさらだった。そういう人たちはどこか変なノリがいつもあるわけだけどそんなのされた方からしたらごまかしでしかない。人をモノ扱いしなくてはいけない理由はなんなんだろう。とても不思議だし本当に気力をなくすので普通にやめてほしい。