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酢味噌に塗れろ

「いったい何のつもりなのか」

 俺は大量の酢味噌を頭から掛けられてこの身の上も下も、余す所なく淡いイエローに覆われていた。


 ここはニューヨーク、マンハッタンにある新進気鋭の寿司レストランQuetta Sushiクエタ スシ。途方もない大きさを表すQuettaクエタを名に冠するこの店において――訪問する客たちの財布はさておき――兎にも角にも、提供される料理に使用される食器、勤務するスタッフたち、あらゆるスケールはやはり途方もなく大きかった。
 店長一人に対して店員は四百人いて、客一人に対して椅子は八脚割り当てられ、毎日の食品廃棄は一兆トンに達し、寿司桶の深さは三メートルをゆうに超え、盛り板の面積は少なくとも六平方メートルを下回らない。また店の総面積はコネチカット州に匹敵するらしい。醤油は日に七億リットル消費され、この店はカリフォルニア産の白米をアフリカの小国の一つや二つ軽く賄えるくらいの量を費やしている。
 この夥多というほかないスケールはアメリカ国民にウケにウケた。毎日ひっきりなしに客は入り、この店の人気は決定的なものとなり一躍有名店の仲間入りを達成した。なおミシュランの審査は今年三京回行われる予定になっている。


 そんな折、店は新たな催しとして色々な物に酢味噌をかけて食す「酢味噌ウィーク」を開くことにした。危険な水域に突入したアメリカ国民の健康志向はもはや普通に寿司を食うことを良しとしなくなっていた。今回の店の取り組みは、確かにこの機運に応えようとした狙いもあったものの、これにはより上の意思つまりは政策のなすところ、食品衛生に関する国の法令改正によって、毎週日曜に酢味噌を積極的に摂取することを国民に奨励したことにも影響を受けている。
 経営層による顧客と政府の両者を勘案した計画立案と裏腹に、要となる店の中は混沌とした様相を呈していた。
 かねてから懸念する声の少なくなかった古い寿司ネタの再利用に反対する店員たちの、複数セクションに渡るストライキ行為とそれに重なって予想をあまりに大きく上回った来客数は、低下していた店の処理能力を超えてしまい、とうとう開店以来類を見ない醜態に陥った。
 ストライキに参加しなかった店員の士気は軒並み低く、およそまともに寿司を作り提供することは不可能と見做されるような者すら集められた始末。  売りにしていた店のスケールの大きさも今は悪く作用し、顧客対応はロクな教育もされないままのスタッフたちによって行われていた。
 これら要因の絡み合った結果、一人の客は四斗の樽になみなみと入った酢味噌をひっかけられてしまう羽目になった。


 一切の責任はこの目の前のいけ好かない、見るからに軽薄そうな若い店員にある。酢味噌モンスターと化して睨み付ける俺を屁とも思わないといった面持ちの店員は、客の前というのに頭を掻いている上、視線はあらぬ方向に逸れている。そして事を起こしてから繰り返し言う――

「しぃーやせん」

 あまりにもやる気のない謝意の表明。こいつ本当に謝る気あるのか。
 
 そのうち店の奥の方から血相を変えてやって来た店長は俺に向かってひたすら頭を垂れるのみ。店長はこの失礼な若者の後ろ頭を掴み、無理矢理謝る体勢をとらせている。しかし若い店員はさっきから全く変わらない口のきき方を止めない――

「しぃやせん」

 この厚かましさにはもはや感心する。なんかちょっと不貞腐れてるし。

 怒りの矛先をいまいち見かねている俺は辛辣な口調を以て店長を非難する。社員教育や店内の統制、顧客体験の軽視、その他思いつくまま相手の失態や不足点をやかましく言い立てた。
 かなりのクレームを食らわせても、店長と若い店員はさっきから何ら変わらない。機械的に頭を揺らして謝っているフリをしてこちらの言うことを何も聞き入れないか、真っ当な方法をもってして謝らないことにより効果的に人を苛つかせるか。

 気に入らない。この憤懣の念はそう簡単には消えないと俺は直感した。

 こうなると何としてもこの二人の間抜けを――俺の受けたような目に――憐れな酢味噌塗れにしてやりたい。そんな悪心に囚われた俺は一つ仕返しにうってつけの方法を思いついた。
 ――こういう寿司店は大抵裏に調味料のタンクを備えている。それも人一人中に入っても余裕といったスケールのもの。俺はうまいことそれを利用してこいつらに酢味噌を食らわせてやりたいと思った。
 そうと決めたら隙を見計らって二人の脇を抜けた。静止する店員たちの手を振り切って店の奥へ向かって走る。月並みな「関係ない者立ち入り禁止」の警告も無視してキッチンに駆け込む。俺の走った後には酢味噌の足跡。
 キッチンの奥、重い鉄の戸を開き暗い廊下の中、微かに見えるエスカレーターに乗って下の階へ降りて行きそこからさらに少し歩いた所に、俺の思っていた通りにオートメーション化されたマンモス級の寿司生産ラインを見つけた。
 シャリを冷まして成形するマシンやネタを切るマシンのある区画を通り抜けて、ついに目当ての調味料を扱うエリアに着いた。そこにはついさっき目にしたような筐体の大きさに恃み繊細さを失った調理マシン達と一緒に、一クラスの水泳さえも可能と思わせるくらい大きな酢味噌の溜まった液体用タンクもあった。円筒の上の面を切り取って穴を開けた形のそれは高さおよそ八メートルはあろうかという威容を誇っていた。
 俺は近くにあった昇降装置を使って上へ、さらにキャットウォークを歩いて酢味噌タンクの縁に立った。あわやタンクの容積マックスというくらい貯められた大量の酢味噌は何の音も立てることなく黄色い静謐を湛えていた。タンクに着いたその時、タイムリーなことに俺の後をつけてきた店員たちを真下に見つけた。
 
 さぁ酢味噌を引っ掛けてやろう。

 何か液体を撒くために使えそうなものは無いか、俺はあちこち見渡しタンクの周りをうろうろ歩き回った。急に足元にぬるりとした感触。これは俺の身から滴り落ちた酢味噌。摩擦を失ったことにより、転倒して下半身は横を向く、その先にはタンクの口。腰から上もつられて俺の意思とは反する慣性を獲得する。危険を察して倒れた瞬間床に手を突くものの、その手も酢味噌に塗れていたため、この期待しないモーションの進行を止めるに能う摩擦を生むことはない。


 俺は酢味噌の海に落ちた。



出典:Midjourneyで生成した画像

https://www.midjourney.com/

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