誕生日の概念が変わる三十路
今日、ついに30歳になりました。
グッバイ20代、若かった私よ。
だった1日違うだけで、なんだか大きく老け込んでしまったような昨日の私とは別物のような、でも変わってないような、不思議な気持ちだ。
漠然と、私もついに30代の仲間入りかーと、どこか客観的に、そしてそんなにポジティブな気持ちになれないでいる。
かと言って悲観したりしているつもりはない。
毎年から今日という日が、また巡って来ただけという事実だけが確認される日。
いつからだろう、自分の誕生日が待ち遠しくならなくなったのは。
元々春休み生まれであんまり人に知られることもなく、SNSもない時代(あったのかもしれないけど知らなかった)。
誰かに祝われる感覚が備わってなかった。
幸いにも両親や親族は盛大にお祝いしてくれて、子供の頃は必ず大きなケーキや各種プレゼントがあったものだけど。
だからこそ、一応子供の頃は誕生日が近づくのが楽しみで、たぶんなんなら2月あたりからわくわくしていたと思う。
覚えがあるのは、たぶん大学生の頃、3月に入ってしばらくして、
「そう言えば、今月は誕生日だなぁ」
と思ったのがきっかけだった。
(数は多くないけれどそれなりにお付き合いしていた人もいたから、きっとその年はフリーだったのかもしれない)
その時に
あぁ、もう誕生日を指折り数えて待つような自分は死んでしまったのだなぁ
となんとなく思ったのだ。
なんだかひどく無味乾燥な気持ちだった。
何年か付き合ってた彼氏とは結婚して割とすぐにお互いの誕生日に贈り物をしなくなった。
夫からは誕生日おめでとうの言葉すらない年もあった(これはちょっと根にもっている)。
元々誕生日に期待を抱かなくなってしまったが故、子供がいる今は尚更蔑ろになって来た。
そして今日。
今日は旧友とランチをする予定だったので前もって子供を母に預かってもらう予定だったのだがその時に日程を伝えたら
「お誕生日お祝いしてもらうの?」
と言われ、その時初めて
あっ、私の誕生日だったんだ
と気付いた次第である。
まぁ別の機会に友人から言われて(この話は別の機会に)思い出したりはしてたんだけど、こうやって誰かから言われないと忘れてしまう日になってしまった。
ちなみに今日の予定はコロナ騒ぎでおじゃんになってしまったので完全にフリーである。
とにかく。
誕生日を忘れてしまう歳になった。
楽しみではなくなってしまった。
かと言って憂鬱というほど気にもしていない。
366日の中の、1日。
でも
私にとっては特別な日じゃなくても、誰かにとっては特別な日。
例えば母。
子供がいる今ならわかる。
きっと自分の誕生日より大事な日。
だから、今日は両親に、特に母に、花を買って行こう。
産んでくれて、育ててくれてありがとうの気持ちを込めて。
本当は20歳の誕生日でやりたかったんだけど、なんだか照れ臭くてできなかったやつ。
そう思ったら、今日がなんだかいい日にも思えて来た。
花は何色がいいかな、私の結婚式の時のような、鮮やかな緑と白の花束にしようかな。
誕生日おめでとう私、ありがとう、家族。
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