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魔進戦隊キラメイジャーを子供の頃に観たかったという話。




セボンスターという商品をご存知ですか?

セボンスター | カバヤ食品株式会社

セボンスターとは、カバヤ食品株式会社のロングセラー商品で、キラキラとした宝石をあしらったアクセサリーをモチーフにした女児向けのおもちゃである。
わたしも子供の頃、何かあればコレを買っては眺めていた。箱を開ける時、いつもワクワクしていたのを覚えている。あれが欲しい、これが欲しい、と思っても結局なにがでたって嬉しかったのは、幼いわたしにとって、母親がつけている本物の宝石を使ったアクセサリーよりも魅力的な宝石に見えていたからだ。
本物の宝石のように、当時のわたしにはそれらはキラキラと輝くものだった。

さて、宝石をモチーフといえば
今年2021年2月に放送が終了した
スーパー戦隊シリーズ第44作目「魔進戦隊キラメイジャー」も同じ宝石と、そして「乗り物」をモチーフとしている。

魔進戦隊キラメイジャー|テレビ朝日


わたしはキラメイジャーを子供の頃に見たかった。

子供だったわたしにとってヒーローとは、子供の姿をした妖怪だとか機械だとか、怪獣とか、月に代わってお仕置をする女の子だった。
つまるところ、これはニチアサと呼ばれる特撮番組を子供の頃に観ないでわたしは大人になった、という話である。

子供の頃唯一好きだったニチアサヒーローは仮面ライダーブラックRXだったが、「仮面ライダーブラックRXとは南光太郎が変身した姿である。」ということを知ったのは成人してからである。わたしの知っている仮面ライダーブラックは何時だって、2頭身のヒーローだった。わたしが観ていたのはSD仮面ライダーのアニメや漫画だったからだ。
ウルトラマンに至っては、幼い頃から今に至るまで恐怖の対象ですらある。
わたしは怪獣が好きな子供だったと母からよく聞かされる。
リカちゃん人形よりも、モスラやベビーゴジラのソフビを好んで持ち歩き、振り回していたと聞く。
幼いわたしにとって怪獣は友達だった。
どこか遠くの海に浮かぶ無人島にみんな暮らしていて、いつか港までやってきて、わたしの住んでいる町をめちゃくちゃにしてくれると信じていた。
当時、東映と円谷の区別のついていなかったわたしは、兄の所持していたスーパーファミコンのウルトラマンのゲームでも自発的に怪獣を自分の分身として選んで、兄の操るウルトラマンに健気に立ち向かった。わたしの覚束無い指先で操られた怪獣は、ウルトラマンを1度も倒せることはなく、何度も敗れた。
そうして現実世界でも、ウルトラマンの真似をした兄に背負い投げをされ、泣いた。ギャン泣きである。わたしはさそり座の女だ。あの時の事は今も覚えているし、根に持っている。兄のことは好きだった。父親のような存在であったし、おそらく兄もそのつもりでわたしに接していた。するとどうだ、純粋にウルトラマンへの恐怖だけが残り、わたしはその影響かどうかは分からないが、そういうものをひっくるめて「大人が作り出した、男性の形をした正義のヒーロー」という存在を、素直に信じられない大人に育ってしまった。もう怪獣がみんなで暮らしている無人島なんて無いことはわかっているのに、やっぱり、いつか怪獣がわたしの住んでいる街をめちゃくちゃにしてくれたらいいのにと、今でも心のどこかで願っている。

正義と悪を主に取り扱った特撮というジャンルに手を出したのは、成人するかしないかの頃だったように記憶している。
敬愛する漫画家の島本和彦先生が、子供の頃に仮面ライダーを見た頃の体験を描き起こしたものを読んだのかまキッカケだった。
今まで1話完結で怪人を順調に倒していた仮面ライダーの元にサボテン怪人が現れるが、これがまた強い。初めて仮面ライダーが怪人を倒さないまま、その週の話は終わってしまう。果たして仮面ライダーは怪人を倒せるのか!?とハラハラとした、落ち着かない1週間を開けて、日曜日の朝、テレビにかじりついた。ドキドキの最骨頂、かくして仮面ライダーはどうやってサボテン怪人を倒すというのか!?ーーという内容の漫画であった。
そこにはオチまで描かれていたが、わたしはそれを観て素直に「面白そうだ」と感じて、早速初代仮面ライダーのDVDを借りてきて、再生した。直感通り、それは面白かった。今の今まで特撮という実写番組から随分と遠い所を歩いてきたわたしにとって、それは酷く新鮮に見えた。
初代を観て、V3も観た。それから少しして、島本和彦先生が、仮面ライダーゴーストの怪人のデザインをすることになり、リアルタイムで仮面ライダーゴーストを観始めた。産まれて初めてのニチアサデビューである。島本先生や、島本先生のファンがTwitterで実況するのに乗っかった。それはとても楽しい時間だった。けれどもわたしはなんやかんや生活や気持ちの変化で、日曜の朝のその時間の確保を諦めざるを得なくなり、途中で観ることをやめてしまった。(現在は配信されたものを全て観ました。面白かった。島本先生の怪人デザイン最高)
それからまた少しして、すっかりAmazonプライムの見放題サービスで映画を観ることを休みの日の恒例行事にしていたわたしは、さて次は何を見ようか、とSNSをウロウロとしていた。
そこで目に入ったのが、「仮面ライダーアマゾンズ」だった。よくTLで観る名前だ、仮面ライダーアマゾンなら、知っている。続編では無さそうだがモチーフとして使われているらしい。わたしは見てこそいないが、アマゾンを観ていた友人から「アマゾンはモグラ怪人と仲良くなる」と聞かされていて、やはりアマゾンズにもモグラをモチーフにした怪人が出るようだったので、気になって、これを見ることにした。シーズン1を見終えて、当時放送されていたシーズン2のフクさんが「圧裂弾を…出せ…」という話まで追いつき、最終回はリアルタイムで観ることができた。最終回を見終えたわたしは、放送が終わった1時間後まで泣き続け、鼻血を出した。鼻をかみすぎると鼻血が出るので、気をつけよう。
そこからだ。そこから一気に、わたしはあちこちの特撮番組を見漁り、仮面ライダービルドとキュウレンジャーの年からリアルタイムでリアルタイムで眺めるようになった。タイミングと勢いさえ噛み合えばそれらイベントにも出向くようになった。生まれて初めて「3次元の推し」という概念すらも手に入れた。この話についてはまた長くなるので、いつかの明日に話したい。

キラメイジャーを観始めたのは、この延長線上であり、前述のようなあげられるようなキッカケも特に無かった。
ひとつの物語が終わったから、始まったもうひとつの物語を観る。それだけだったから、わたしはキラメイジャーを最初の方真面目に観ていなかった。
見逃す日々の方が多く、後から配信を見たり、見てすらいない話すらある。
これは、出勤の為の準備時間と丸かぶりをしているから、という単純な理由である。けれどもある日腰を落ち着けてゆっくりキラメイジャーを見たところ、面白い、と感じた。それからは準備時間を他のところに当てて、日曜日の朝はキラメイジャーをメインに腰を落ち着けるようにした。
キラメイジャーはメインの脚本家がいるものの、話によって脚本家が代わる。代わるが、キャラクターが安定していて、まっすぐと変わらない点がある。「相手を肯定すること」そして「ちゃんと話し合う」事だ。
見ていて、「この後、相手を疑い喧嘩になって最終的に仲直りして絆が深まるのだな」と思っても、キラメイジャーはそうはならない。まず、相手を疑わない。「なにか理由があるはずだ」と。話し合い、救い合い、そうして絆を深めていく。
わたしにはそれが衝撃的だった。話し合っている!え!?仮面ライダーブレイドの皆さん、見てる!?
咄嗟にブレイドを引き合いに出してしまったが、わたしはブレイドが大好きである。仮面ライダーで好きな作品、わたしは龍騎、555が特に思い入れが強く。それからキバとカブトが好きで、ああ、アギトも好きで…、…全てに井上敏樹先生が多かれ少なかれ関わっている。恐らくわたしは、井上敏樹先生が好きなのだろう。なので、ブレイドのメンバーが話し合うよりも先に武器を構える姿が、わたしは好きである。
これはわたしが自分で優しくないな、と思う部分でもあるが、話し合うよりも、相手を疑う方が、早くて、楽なのだ。自分の気持ちを吐露することは、苦しくて、恐ろしいだろう。嘔吐物と一緒で、吐けば気分がスッキリするが、その後始末は大変だ。気分が良くなることもあれば、更に気分が悪くなることが起きることもある。
伝えたかったことを悪く取られ、喧嘩になるかもしれない。嫌われるかもしれない。必死だと、嗤われるかもしれない。吐き出したところで、今ちょうどわたしがしているけれども、どこまで相手にちゃんと伝わるか、分からない。そもそもわたしはわたしの感情をちゃんと文面化できているか自信がない。だからこうしてダラダラと長く言葉ばかりが続いていくのだろう。
それなら言葉にせず飲み込んだ方が、楽なことの方が多い。実際この文章も何日もかけて書いている。
相手を疑ったまま、自分の中にしまい込み、相手からの気持ちを受け入れる事無く、相手を悪役にする。その事の楽さをわたしは知っている。
けれどもキラメイジャーたちは、それをしなかった。
キラメイジャーは、みんな優しい。ただそれは絵本みたいな優しさとはまた違っていて、都合のいい優しさではないようにわたしには思えた。ちょうど良い温度の優しさだとわたしには感じられた。
トンチキな展開に見せて笑いをとってから、巧みなやり口で伏線を回収する。どんな些細なシーンにも意味があって、見ていて飽きることなんかなくて、楽しかった。
キラメイジャーを見ている間、わたしはやさしい気持ちになれた。

2021年、2/28、日曜日。キラメイジャーの最終回を見たその日、わたしはいつもより早く職場を出ると、昼食もとらないまま映画館に向かった。もう日は落ちかけ、夕方と呼ばれる時間帯に「スーパー戦隊MOVIXレンジャー2021」を上映している映画館は限られており、数年ぶりにカウンターでチケットを購入した時、映画が始まるちょうど10分前だった。
元々映画を観るつもりは無かった。
突発的な行動で、こんなにも時間ぴったりに間に合うことが、あるのか。
わたしは朝見たキラメイジャーの最終回に出てきた「素敵な偶然」という言葉を思い出しながら、指定した席に着いた。劇場はガランとしていて、わたしを含め、片手の指の本数ぐらいしか居なかった。とても静かな劇場で、わたしは独り「スーパー戦隊MOVIXレンジャー2021」を観た。
これから観に行く、あるいはこのご時世だから映画館は避け、配信されてから観る人もいるだろう。内容については伏せさせていただくが、キラメイジャーパートの最後、キラメイジャーのメンバーが手を振るシーンが映り出された。周りには人もいない、わたしを観る人なんていない。わたしは、手を振り返したいな、と思った。でも、しなかった。わたしは彼らに手を振ることはできなかった。

多くある仮面ライダーの映画の中に、「平成仮面ライダー20作記念仮面ライダー 平成ジェネレーションズ FOREVER」という作品がある。
仮面ライダー電王で主演を務めた佐藤健が出演し、話題になった。
わたしはこれを電王が一番好きだという相手を連れ、上映開始の1番朝の回に見に行った。
その時、まだ佐藤健が出演することは頑なに情報が隠されていて、わたしを含めその劇場に居る人間は全員知らなかった筈だ。
スクリーンに佐藤健が映し出された瞬間、ドッと劇場が沸いた。隣から、隣だけではない、あちこちから老若男女の声が上がり、 泣き声が響いていた。
その平ジェネForeverに、こんなシーンがある。敵に襲われている一般市民が、仮面ライダーの名前を叫ぶ、「助けて、仮面ライダー〇〇!」するとどうだ、目の前にそのヒーローが現れ、彼らを助けてくれる。
それは子供も大人も一緒で、大人は、自分が子供だった頃に憧れていたヒーローの名前を叫び、助けを求め、そうしてその夢が叶う瞬間を得られたのだ。
わたしは、誰を呼ぶだろうと考えた時、頭に浮かぶのは仮面ライダー龍騎…に登場する、仮面ライダー王蛇だった。
仮面ライダー王蛇は、萩野崇氏が演じる浅倉威という脱獄犯が変身した姿で、凶暴凶悪なライダーと公式からも紹介される、所謂ヒール役だ。
2002年の朝8時にライダー同士で殺し合いをするという衝撃的な内容で放送されていた龍騎という作品の中でも郡を抜いて残虐なキャラクターである。

とても人を助けるような性格ではない、だからこそわたしは、彼を呼ぶだろう。

正義のヒーローが助けるものは「良いもの」だ。
少なくともわたしはそう認識している。

わたしはそこに自分が含まれていないような疎外感をずっと持っていて、わたしが正義のヒーローを呼んだとして、頭に浮かぶのは、誰も来ないまま、暴力に押し潰される自分の姿だ。それなら、王蛇が良い。彼はきっとわたしを助けはしない、だが、目の前で戦いがあれば、倒していい相手がいれば、嬉々として戦うだろう。その間にわたしは逃げればいいし、あるいは「そこにいたお前が悪い」と盾にされるなり切り捨てられるなりするのではあれば、それはそれで少なくともわたしは「その場にいる恐怖」からは解消される。それは結果的に救われる、とも取れるかもしれない。「死は救済」と言われると同じように。
これは子供の頃に見た平成ガメラ3邪神イリス降臨でヒロインが「イリス!殺して!」と、正義のヒーローであるガメラを殺す怪獣、イリスに向かって叫ぶシーンに救われた時から、わたしのなかの救いを求める対象は怪獣であり、王蛇というキャラクターが、わたしの中でヒーローや人間というよりも、わたしが子供の頃にずっと救いに来て欲しかった怪獣に近いイメージを持っているからである。
だからわたしは、1人誰かの名前を叫んでそのライダーが来てくれるなら「仮面ライダー王蛇」と叫ぶだろう。

キラメイジャーを観たから、それが変わった、という訳ではない。
ただ、キラメイジャーを子供の頃に見て、「キラメイジャーだいすき〜!」と、心に焼き付けて、でもこどもだからそんなに内容とか覚えてなくて、朧気だけど大人になってからまたキラメイジャーを観たら「懐かしい!おもちゃ持ってた〜!」と記憶をだれかと共有するであろう、今の子供たちが、
助けを求めた時に本当に助けに来てくれるヒーローをひとり選ぶなら、という話題になった時に、キラメイジャーの誰かを選ぶこれからの大人たちが、
わたしはなんだか、無性に羨ましくなってしまった。

冒頭のセボンスターの話に戻ろう。
幼い頃、小さな手で集めたそれらは、今は無い。
わたしは高校生ぐらいの頃に、引越しを経験している。今無いと言うことは、その時に「要らないもの」の箱に入れたのだろう。
そしてこれから、セボンスターの一番くじが発売される。

そのニュースを見た時、わたしは懐かしいな、と思ったものの、それを欲しいとは願えなかった。
わたしと同年代でも欲しいと思える人も、実際に手に入れる人も居るだろう。わたしが欲しいと願えないのは、もうそのキラキラと輝くものを置いて飾るスペースがどこにもない。それだけだ。
ただ、少し思うのだ。わたしが子供の頃にキラメイジャーを観ていたら
今もセボンスターの一番くじをやりたい、欲しい、と無邪気に思えてたのではないだろうか、
映画館の中、手を振るスクリーン上の彼らに向かって、手を触れたのでは無いだろうか、
理不尽で突発的な暴力に襲われた時に、こころから「助けて欲しい」と、正義のヒーローの存在を信じることができたのでは無いだろうか。
そう、思う。

でもきっとそんなことはなくて、キラメイジャーを子供の頃に見て優しい大人になる子供もいれば、そうではない大人になる子供も、きっと出てくるだろう。
わたしのこのキラメイジャーに対する感情はなんなんだろう。
この文章を書き始めた時に、友人からLINEが来た。取り留めのない、日記のような内容で、わたしもやはり取り留めのない、日記のような内容を送り返した。「今日終わったニチアサ作品のクソデカ感情を文にしている。」と。
友達は「何があったんだ」と聞き返してくれた。
わたしは何もわからなくて、「何も無い」と答えたあと、 「この作品が好きだった」という感情が爆発してきた旨を伝えた。
友達はそれを見ると、こう返してきた。

「郷愁」と、

ああ、とわたしは納得した。
わたしはキラメイジャーに、子供の頃に寄り添ってくれた存在になって欲しかったのだ、と思った。
子供の頃の寂しかった頃に、寄り添って欲しかった。そう思うのは、大人になったいまのわたしがこの作品を見たからだろう。実際、子供の頃にキラメイジャーを見て、そういう感情が芽生えたか、本当に孤独が紛れたか、分からない。寄り添われても、きっと寂しかったと思う。それでも、期待をしてしまう。キラメイジャーに。


それぐらいに、彼らはやさしい物語だったから。


キラメイジャーはこれから、ファイナルツアーや映画の公開が制作決定されている。
願わくば少しでも長く、彼らの活躍が、多々の幸福が続きますように。


1年間、キラメキと優しさをありがとうございました。

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