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『国籍唯一の原則』という「目くらまし」


『国籍唯一の原則』という「目くらまし」                          LiuK(AMF2020会員)

 1月21日、国籍法11条違憲訴訟の地裁判決のニュースを読んだ際、
 「裁判所も、相変わらず戦前の「旧国籍法」の『国籍唯一の原則』という古い考え方に縛られているんだな」と・・私は当初そのように理解していました。ですが、この機に、あらためて二つの文献を読んでみて、とらえ方が全く変わりました。

※「そもそも『国籍唯一の原則』なんて戦前の旧国籍法時代にはなかった」
※「むしろ今より、旧国籍法時代の方が、国は当事者に親身だった」
・・そんな側面があるのではないかとすら思うようになったのです。

 まず、いまの国籍法から。
 国籍喪失(11条)と国籍離脱(13条)って、正直、どこがどう違うのか、なかなかわかりにくいですよね。

 11条は、日本国籍の人が、自分で望んで外国の国籍を取得すると、その人の日本国籍が当然喪失の扱いになるというもの。この場合、当人が日本の役所に何も手続きしていなくても日本国籍は「喪失」している扱いです。なので、そこから法上の重国籍という立場にはなれません。今回の11条違憲訴訟は、この扱いに対する訴えです。

 13条は、「既に重国籍になっている人」が届け出れば日本国籍を離脱できるというもの。この立場の人についてはさらに、14条~16条の方で選択手続きを義務とするような規定もあります。

 これだけ見ると、11条、にしても13条(&14条~16条)にしても、共に『国籍唯一の原則』なるものに則っているようにも思えます。

 では、この辺、戦前の国籍法ではどうなっていたのか? 成城大学法学部名誉教授、鳥居淳子先生の2002年の論説(文献1)125ページあたりの内容から整理してみます。

(明治32年(1899年)国籍法)
・自己志望による外国国籍取得の場合・・日本国籍当然喪失になる。
・重国籍者の日本国籍離脱の場合・・手続きできないので重国籍のまま。

ということです。今の11条につながる規定は当時からあります。でも今の13条にあたる規定は無かったわけです。重国籍は解消できない。両者は真逆の扱いでした。

 海外への移民一世は、現地に帰化すれば日本国籍当然喪失となるが、生地主義の現地国で生まれ、重国籍になった子は、適用できる規定が無く日本国籍を離脱しようがなかった。離脱できない以上、『国籍唯一の原則』も何もなかったわけです。

 つまり、今の11条は、経緯から見れば『国籍唯一の原則』を下敷きに生まれたものとは言えません。ここからは、あくまで個人的見解ですが、想像するに、
>「帝国臣民でありながら自由意思で外国国籍を取得したなどケシカラン。」
・・という発想からくる懲罰的な意味合いでの日本国籍『喪失』(あるいは『追放』)なのではないか。

 一方、重国籍者については
>「帝国臣民が日本国籍を抜けたいなどと言いだすのはケシカラン。」
・・という発想から「認めない」扱いだったのではないか。

 「当時」日本から米国などへの移民にとっては、「重国籍の立場」からくる不利益が深刻な問題で、どうにかして「日本国籍離脱したい」という希望が切実だったのでしょう。それでも、日本国の側は離脱させてくれない。隔世の感がありますね。

 そんな中、大正時代の内務官僚(当時は法務省が存在せず、国籍は内務省管轄)は、タテマエを維持したまま、できるだけ「当事者の希望」に寄り添えるよう制度改正を考えたと思われます。


(大正5年(1916年)の国籍法改正)・・(限定的な)離脱手続き登場!
>「外国で生まれたことによってその国の国籍を取得した日本人がその国に住所を有するときは、内務大臣の許可を得て日本の国籍を離脱することができることとなった」(文献1:125ページ)

(大正13年(1924年)の国籍法改正)・・国籍留保制度登場!
>「勅令で指定する外国で生まれ、その国の国籍を取得した日本人は、国籍留保の意思を表示しないと出生にさかのぼって日本国籍を喪失することが定められた。」
 (注:勅令で指定する外国「アメリカ、カナダ、ブラジル、アルゼンチン、チリ、ペルー」の出生地主義国六か国を「限定列挙」)
>「(留保した者が)其の国の国籍を有しかつその国に住所を有するときは、その志望により(内務大臣の許可不要で)日本の国籍を離脱することができることが定められた。」(文献1:126ページ)

 大正13年の国籍留保制度について鳥居先生は
>「たしかに、不留保は本人の選択であるといえるが、生来有していた国籍の当然喪失という重大な効果が、喪失への積極的な意思の表明ではなく、不留保という不作為によりもたらされるという点に着目すれば、この制度は、本人の意思の尊重であるとは必ずしもいえないであろう」(文献1:126ページ)

と書いていらっしゃいます。ですが、ここ、私はむしろ大正時代の内務官僚の深慮遠謀が隠れていると推測します。

 大正5年法で「内務大臣の許可を得て離脱することができる」と定められたとはいえ、上記のように
>「帝国臣民が日本国籍を抜けたいなどと言いだすのはケシカラン。」

という考え方の時代でしょう。「臣下の身で主君を見限るがごときふるまい」で「内務大臣の許可を得る」など恐れ多いし敷居が高すぎる、というのが実情だったのではないでしょうか。

 そんな中で、目立つ大げさな手続きをせずに「不留保という不作為」で、日本国籍離脱の「目的を達成」できるという大正13年法の国籍留保制度は日本国籍離脱希望の当事者のために提供された、素晴らしい『方便』だった。そういう仮説は立てられないでしょうか。

 とはいえ、なおも重国籍者の「日本国籍離脱」は非常に限定的なものでした。参議院事務局による、2009年の、文献2)の108ページにも
 「旧国籍法においては、国籍を離脱することができる場合を狭く限定し、かつ国籍の離脱について法務総裁(当時)の許可を必要とする場合があった」と書かれています。

 さて、そんな制度下ですから、少なくとも日本側では一般に「重国籍状態であるから」といって、法律上何か特別の義務を課されるようなことはなかっただろうと思われます。そもそも当人に日本国籍を離脱させないのですから、選択も何もありえません。「法は不可能を強いるものではない」というのは基本的な話ですから。

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 戦後、日本国憲法下の国籍法になると、「国籍離脱の自由」は憲法に規定されましたし(憲法22条)、国籍離脱規定(現国籍法13条)も新設されます。

 さて「国籍留保制度」が、実は「国籍離脱希望の重国籍者のための方便」だったという仮説が正しければ、国籍法13条の国籍離脱規定ができた以上、もはや「国籍留保制度」はその歴史的役目を終え、廃止されてもよかったはずです。しかし、逆に対象を、すべての外国に拡大して残されてしまいました(現国籍法12条)。

 また、戦前の国籍法では、日本側で問題にしていなかった「重国籍者」について、父母両系主義導入の昭和60年(1985年)国籍法改正では選択義務(現国籍法14~16条)など、それまで無かったあらたな義務規定を設けられてしまいました。これもあえてあらたにそんな義務制度を作る必要性があったのか、私は疑問です。

・国籍選択制度(国籍法14~16条)
・国籍留保制度(国籍法12条)

これらが残された意味は、重国籍状態を解消することで『国籍唯一の原則』に資するという「タテマエ」を守るためであったと思われます。ではそのタテマエで何を守るか。

 そう、外国籍志望取得の際の日本国籍喪失条項(11条)については、明治の国籍法から現在の国籍法まで一貫して変わらず存在しています。
 文献2)の106ページには、
>「また、法務省も国籍唯一の原則の考え方は国籍法においても採用されているとの見解を明らかにしている」
との記述があります。(平成16年6月2日 159回衆議院法務委員会)

既に考察したように戦前の国籍法では重国籍を解消させる国籍離脱手段すら用意していなかったのですから、いかにも「あとからとってつけたような理由付け」という印象です。

 率直に言って、これってただの「惰性」じゃないですか? 明治の国籍法から続いてきた「外国籍志望取得者の国籍喪失」という規定。この規定を根本から見直すだけの胆力はない。だけど残すからには、11条の存在の理由付けをしなければならない。

 『国籍唯一の原則』はそのためのもっともらしい目くらまし(ミスディレクション)と解釈できないでしょうか。

 そうなると、割を食ったのが「生まれながらの重国籍」者でしょう。『国籍唯一の原則』に基づくというタテマエからのバランス、つじつま合わせのために、

・限られた対象国で生まれた人の日本国籍離脱のための方便だった「国籍留保制度」が妙な形で全ての外国を対象に拡大されてしまい・・
・もともと存在しなかった「国籍選択義務」が作られ・・

 そうしてみると『国籍唯一の原則』がいかに時代遅れかを立証したところで、はなから見せかけの「タテマエ」を相手に戦いを挑んでいるという、なんとも虚しいことになりかねません。虚心坦懐、大胆に制度を見直す機運が生まれて欲しいものです。

 また原告弁護団は、是非控訴審がんばってください。応援しています。

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文献
1)成城大学法学部名誉教授、鳥居淳子先生の2002年の論説
「日本国籍の得喪における自由と平等(1) 」
https://www.seijo-law.jp/pdf_slr/SLR-069-111.pdf
2)参議院事務局の2009年の「立法と調査」から「重国籍と国籍唯一の原則」
https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2009pdf/20090801103.pdf

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以下の表は、上の文章の内容をわかりやすくまとめたものです。

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作成・LiuK


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