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「国籍はく奪条項裁判の意味と今後について」 講師:秋葉丈志氏

AMF2020主催 ZOOM講演会・講演録
2021年2月27日実施「国籍はく奪条項裁判の意味と今後について」
講師:秋葉丈志氏 (早稲田大学国際教養学部准教授) 
記録担当および文責: 渋谷次郎 (AMF2020)

講師プロフィール
1975年       米国メリーランド州生まれ。
                   現地校及びワシントン日本語補習校を経て小五で帰国。
1994年       早稲田大学進学
2000年       参議院の憲法調査会にて「重国籍の容認」を求める発言
2001年       カリフォルニア大学バークレー校に進学。Ph.D.取得
2007年       公立国際教養大学(講師、助教、准教授)
2017年      「国籍法違憲判決と日本の司法」(信山社)
2019年       早稲田大学国際教養学部(准教授)

■目次■
Part1. 訴訟の経緯と意義
1)この裁判の対象
2)原告の構成
3)弁護団の顔ぶれ
4)そもそも違憲訴訟とは?
5)今回の地裁判決の意味
6)判決に留まらない裁判の意味

Part2 原告と国の主張と判決
1)原告の主張1:憲法に違反
2)原告の主張2:国籍喪失規定は不合理
3)国の主張1:憲法には違反しない
4)国の主張2:国籍喪失規定は合理的
5)地裁判決1:結論
6)地裁判決2:判決理由はほぼ国の主張どおり

Part3 今後について
1)国の主張と地裁判決への対応
2)原告の主張の強化
3)越えなければならないハードルは高い
4)世論の喚起:政治・法・社会への働きかけ
5)具体的な法改正の交渉イメージを
6)まとめ

講演記録の正式版は、以下からPDFファイルをダウンロードしてください。note本文上と内容は同じです。

Part1 訴訟の経緯と意義

1)この裁判の対象

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外国の国籍を得ると日本国籍が自動的に消失する。 これを争う裁判
今回の訴訟で問題になっているのは、国籍法11条1項の「自己の志望によって外国の国籍を取得したとき」に、自動的に日本国籍を失うという規定です。
地裁で原告敗訴の判決が出たという、先日のメディアの報道を見て不安になっている方も多いのではないかと思います。けれども今回の地裁判決は、なにか二重国籍全般が認められなくなるのでないかとか、そういうことではなくて、国籍法の11条1項が憲法違反ではないという判断を示しているだけ。他の既存の制度には何も関係はありません。たとえば、14条の国籍選択制度は今までどおりです。

■ 二重国籍全般が認められなくなる?  いいえ、国籍選択制度は今までどおり。

とはいえ、国籍選択制度ですが、今までどおりというのが複雑なのです。
法律の建前としては22歳になったらどちらかを選ばなければならない。もし選ばなかったら法務大臣が選ぶように催告することもできる。かつ催告をしても日本国籍を選ばなかった場合は、日本国籍をはく奪することができる。そこまでの規定があります。

でも行われたことはないんですね。はく奪も催告も一度も行われたことはないと政府が答弁している。たとえ日本国籍を選択したとしても、外国籍が無くなるわけではありません。なので事実上は、選択しなければいけないといいながら、選択しなくてもそのままでいられる場合も多い。
たとえばアメリカと日本の重国籍者が日本国籍の選択宣言をしたとします。でもそれでアメリカ国籍がなくなるわけではないんです。アメリカ国籍を無くそうとすれば、アメリカ大使館に行って国籍から離脱する手続きを取らなければなりません。それもかなり手間のかかる手続きです。じっさいはそこまでやらない人が多いと思います。

■ 国籍選択後に米国籍を放棄したかどうか、日本政府も調べる方法なし

選択宣言をするとそれは戸籍に載ります。ただ、それでアメリカ国籍を放棄するかどうかというのは、その人次第だし、政府もそこまで厳しくは、少なくとも最近までは追求してこなかったということになります。

「日本国籍を選択した」と言っても、じゃあアメリカ国籍を放棄したのかどうか、じつのところは分からないんです。日本政府にとっても、放棄したかどうかを直接調べる方法はないと思います。

アメリカ側にとっては、そういう情報提供に応じる義務もないし、じっさいにしていないと思います。ということは自分から何かを示さない限りはアメリカ国籍を失ったかどうかは分からない。

■ 出生後の帰化は政府が調べられる、…ときもある

ただ、帰化した場合は分かるのかもしれません。アメリカに帰化した場合は分からないのですが、たとえば、日本に帰化した場合なら、政府が告示とかを発表する「官報」という文書がありますが、これに帰化した方の氏名が掲載されるんです。これを調べれば分かるんです。けれどもアメリカに帰化したからといって、日本政府が自動的にそれを知るような方法は私にはわかりません。

いずれにせよ、じっさいのところは、日本の国籍を選択したとしても重国籍のままでいる方が多いんじゃないかと思います。

今回の訴訟は、そういう国籍選択制度について特段に触れるようなものではなく、そこは今までどおりということになります。

2)原告の構成

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原告の方々は、主にスイス在住の国籍法11条第1項で日本国籍を喪失された方6名と、今日も聴いておられる方がたの中にもいらっしゃると思いますが、これから外国に帰化したいんだけれども日本国籍が無くなってしまうんだけどそれは嫌だということで加わっている方が2名。合計8名の原告団になっています。

■ 日本国籍を失うとは思わずにビジネス上の必要からスイス国籍を取得
 12年後に日本大使館がポスポート更新を拒否
※野川等さん意見陳述書 https://bit.ly/3eF0wkW

それぞれの原告の方々は積極的にご自身のパーソナルヒストリーを話しておられます。そのうちの野川さんは、2001年ぐらいにスイスで事業を行なう上で、入札をする際にないといけないからスイス国籍を取得した。まさかそれで日本国籍を失っているとは思っていなかった。しかもそれを初めて日本大使館から言われたのは2013年のことだそうです。

この手の話は2010年ぐらいから多く出てくるので、もしかしたらこの時期に政府の中で何か厳しくするような方針の変更があったのじゃないかと思うんです。野川さんは活躍されていた方ですので現地では知られた存在で、双方の国籍を持っていることは大使館もだいぶ早くから知ってたはずだというんです。

ところが2013年になって、スイス国籍を取得したんじゃないかと指摘されて釈明の資料を求められたりしたんですが、そのままにしておいたら、ある日更新をしようとしていた日本のパスポートが穴が開けられて返ってきた。野川さんはそれでしばらく茫然自失となって動けなかったという話です。

■ 「Yuki Shiraishi」 アルファベット表記だけが私の名前に
※白石由貴さん意見陳述書 https://bit.ly/3rXVa8t

私が印象を強くしたのは、白石由貴さんの話で、日本国籍を失ったことで、日本の中での私の名前の表記がアルファベットの「Yuki Shiraishi」になってしまったというくだりです。日本人の名前というのは、漢字をみると全然意味が違うわけで、苗字には出身や先祖に関することが、名前の方には親の思いが込められているわけです。

私の「丈志」という名前は祖父が付けてくれたわけですけれども、これは「丈夫な志」ですから強い意志を持ってということで、私はこれまでまさにこの名前の通りに生きて来られたな。だいたいやろうと思っていることは「絶対やってやる!」ということでやって来られたなと思っているんです。

そういう名前に込められた思いは、何かしら本人の生き方に影響を与えていることも多いと思うんですけれど、そういう思いも漢字の名前が失われることで、分からなくなってしまうんですね。家族のつながりであるとか、思いであるとかの喪失感が大きいと彼女は裁判の意見陳述で述べています。

■ コロナ過の渡航困難、意見陳述のための来日も断念
※岩村匡斗さん追加陳述書 https://bit.ly/3eF9dvA

これから外国の戸籍を取得したいという方の話では、原告の岩村さんの話ですが、
これも切実な話で、とくに新型コロナの流行でさらに深刻になった話です。奥様が台湾国籍で、自分は日本国籍で、二人ともスイス在住で、裁判の証言をするために日本に帰ってきた場合に、いまのコロナの情勢ではスイスに戻れなくなってしまうかもしれない。家族が引き裂かれてしまうかもしれない。追加の陳述書でそう述べています。ある意味すごいつらい選択ですよね。スイス国籍をとったら日本にこれなくなってしまうかもしれないし、日本国籍のままだとスイスに戻れなくなってしまうかもしれないということなんです。
これは家族のつながりにもかかわる家族としての幸せにもかかわります。これは憲法13条の幸福追求権の話にもつながってくるわけです。

それぞれの方の思いに触れてみると、11条1項というのが多くの方々を苦しめている現実というのが分かってくるのかなと思いました。

3)弁護団の顔ぶれ

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■ 最高裁違憲判決の経験者を含む大規模な弁護団

弁護団の弁護士の方々について私はそれほど詳しく知っているわけではないのですが、ただ、近藤博徳弁護士は大変有名な方です。

日本の最高裁はなかなか違憲判決を下しません。けれども、2008年に国籍法第三条1項の違憲判決を最高裁が下したことを覚えておられる方もいらっしゃるでしょう。ジャパニーズ-フィリピーノ・チルドレンが主な対象だったのですが、近藤弁護士は最高裁で違憲判決を勝ち取るところまで持っていったという貴重な経験をお持ちの弁護士です。

たまたま最近というわけではなくて、長年、10年や20年というスパンで外国人の権利であるとか日本の国籍法の問題に取り組まれてきた方です。中でも日本人の父親とフィリピン人の母親のあいだに生まれた子どもたちの問題に関心を持って深く取り組んでこられた方です。

じっさい最高裁で勝ったことのある人ですから、なかなか出ない違憲判決のために、もし勝てるとしたらどうやったら勝てるかということを分かっている方です。この方が弁護団に加わっているというのは、非常に大きな意義があるかと思います。

原告が8人いて、弁護団として5人の弁護士がいる。これは訴訟というものの中ではかなりのリソースを割いて力を持って行われている訴訟ということになります。支援ネットワークのホームページに行くと、これまでの裁判の流れや、弁護団がどんな文書を出したか詳しくわかります。

4)そもそも違憲訴訟とは?

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そもそも違憲訴訟とは何かということを短くご説明するのはとても難しいのですが、本日ご参加の皆様には、地裁判決の意味だけはぜひ理解していただきたいと思います。というのは、メディアの報道を見るとなにか二重国籍がこれで認められなくなったかのように誤解を与えかねない内容や見出しが多かったと思います。

今回の判決はあくまでも、外国の国籍を取ったら日本国籍を自動的に失ってしまうというそういう法律が争われていて、裁判所が言っているのは、これは憲法には違反しないということだけです。だから、二重国籍は良いとか悪いとか、二重国籍を認めるとか認められないかとか、そういうことは裁判所は一切判断していないのです。あくまでもこの11条1項は「合理的」つまり憲法には違反していないという判断なのです。

ですから、自動喪失の規定はこのまま維持されても良いし、べつに明日国会がその気になって法律を改正してこの規定を撤廃したって別にいいわけです。

キーワードは「国会の裁量」です。国会の裁量だから維持しても維持しなくてもいい。合憲というのはそういうことなんです。

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もし万が一違憲となった場合は話が変わってくるわけですね。もし裁判所によって違憲と判断された場合は、もう国会には裁量が無くなるんです。厳密にいうと、どういう風に変えるかというところで少し裁量は残るんですけれども、少なくともこの規定を変えなければいけなくなります。裁判所の違憲判断というのはそれだけの強みがあるのです。

■ 米国最高裁の違憲判決例 2015年 /「同性結婚を認めないのは憲法違反」

ここで別の例をご紹介すると、例えばアメリカで2015年に最高裁判所が「同性結婚を認めないのは憲法違反」だとする判断をしました。そうするとアメリカ中のすべての州が同性結婚を認めなければならなくなりました。ご存じでしょうか? いま日本でも同じ訴訟が起きています。全国各地で起こされていて、3年後ぐらいまでには最高裁に行くと思います。

もしそのときに違憲判決が出ると国会は同性結婚を認めなければならなくなっちゃうのですね。べつに違憲だと言わなかったとしても、合憲だと言ったとしても、国会が法律を変えて認めてくれたっていいわけですよ。裁判所に言われて変えるんじゃなくて、自分達でこれはおかしいじゃないかと変えてしまったっていいわけです。国会が自ら法律を変えるのが、いちばんいいような気もします。
編集者注)本講演の直後2021年3月に札幌地裁が違憲判決を下しました。

最高裁に行くにはまだ3~4年かかると思うので、できれば本当は国会の方でこれは変えようじゃないかとなってくれた方がより良いというか、いちばん良いんじゃないかと思います。それでも、最高裁の違憲判決は強力な力をもっています。2008年に近藤弁護士が勝ち取った国籍法違憲判決では、違憲判断が6月に出ましたが、同年9月には法律の改正案ができて、すぐに国会を通過し、翌2009年1月には施行というスピードでした。

ここまで「違憲訴訟」や「違憲訴訟」の意味をご説明してまいりました。そこで、次に今回の地裁判決の意味を考えてまいりたいと思います。

5) 今回の地裁判決の意味

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この裁判は、どのみち最高裁まで行くことが分かっている事件です。
今回は原告が負けたので、原告が控訴して東京高裁に行きますけれども、もし逆に地裁で原告が勝っていたらどうなるかというと、国はたぶん控訴していたのは、ほぼ確実です。この場合もやはり東京高裁にいくことになります。

そして東京高裁で原告がまた負けたとしても原告はさらに上告するでしょう。もし逆転勝訴をしたら今度は敗れた国が上告するでしょう。国があきらめるということはほとんどありません。つまり、この訴訟は次の東京高裁でどんな結果が出ようとも、きっと最高裁までいくことになります。

この訴訟では、弁護団は初めから最高裁まで行くことを当然に見越し、おそらく原告の方々にもそういうことを言っていると思います。地裁で片付く話ではないから、最高裁まで4年でも5年でも一緒に行ける人をお願いしますというように、要請しているでしょう。もちろん地裁で負けたというのはガッカリされるとは思いますけれども、初めから最高裁まで行くことは折り込み済みで、原告の方々もそれを分かっているんじゃないかと思います。

■ ハンセン氏病家族訴訟:国が途中であきらめた稀なケース

ごく稀(まれ)にですが、地裁や高裁で負けて、国が控訴や上告をしないことがあります。そう政府が判断することもできなくはありません。

最近の例としては、2019年にハンセン氏病家族裁判で、国が地裁で負けた時に安倍首相が控訴しなかったということがありました。もうこれ以上は裁判を長引かせず、直ちにハンセン氏病の家族を救済する必要があると政府が政治決断し、控訴せずに補償法案へと話が進みました。

そういうことも、たまにありますが、それは世論にもよると思うのです。ハンセン氏病の家族に被害が発生して何年経っているんだとか、どれだけ日本は遅れているんだとか…。何十年も隔離政策の結果としていじめや差別といった被害や権利侵害もあって、もうそろそろ政府も真っ向から向き合ったらいいんじゃないかということで、政府も地裁での判決を受けいれて救済策に進んだわけです。

とはいえ、国が高裁で負けて諦めます、受け入れますという可能性は、国籍に関する限りあんまりないと思うんです。政権にもよりますが、少なくとも保守寄りの政権が国籍に関することで、高裁で負けて上告断念ということはなかなか考え難い。そういうことを考えると、これはもう最高裁まで行く話だと思います。

6)判決に留まらない裁判の意義

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 だいぶ長く、今回の地裁で敗訴という結果になったことを考えてまいりましたけれども、「裁判の意義は勝つことだけではない」ということをひと言だけ、原告や原告に近しい方々に向けて言うのはどうかとも思いますが、付け加えさせていただきます。裁判を起こすことで違ってくることは、判決以外、ほかにもあるんです。

■ 引き出した国の見解やデータ: 反論の素材、議員説得の材料に

まず、国の考え方や資料やデータを、公式の文書として引き出すことです。国はかなり詳細に応じなければいけなくなるんですね。訴訟となれば原告も大変多くの文書を出すわけです。これに対して国もひとつひとつ返さなければならなくなる。

原告の主張のひとつひとつに対して、国はどう考えるのか、なんで11条1項みたいなことを未だに維持しているのかを詳細な理由説明が国から出されます。データも弁護団が求めることで出てきます。それが全部文書で出てくるんです。ですからこれからも高裁でも最高裁でもこれから2年でも3年でもかけて反論できるだけの素材ができるわけです。

なおかつそこで出てきたものは、裁判だけじゃなくて国会議員に働きかけるにしてもメディアに対して何か言うにしても、国がこう言っているとか実際こうなっていますと言うためのデータが出てくるということが、裁判をすることの大きな意味になってまいります。

■ 裁判所や裁判官への教育的効果: 判決の下書きをする若手判事に慣れていただく

それから、世論の喚起や裁判所の問題意識の喚起も大事だと思います。裁判官はなにか雲の上というか、なにか特別な人たちだと思っている方が多いかと思いますが、じつは全然特別な人たちじゃない。イメージとして持っていていただきたいのですが、あなたの横にいてロースクールに通う学生だと思ってくれればいいんです。

ロースクールに通っている学生が卒業して裁判官になるんです。なので、社会の価値観を身に付けながら法的な知識も身に着けていくのです。普通の人なんです。しかも、今回の裁判もそうだったと思うんですが、判決の下書きをするのは若い裁判官なんです。もしかしたら司法修習を終えて数年しか経っていないような裁判官かもしれない。

地裁段階なら、場合によっては20代後半の裁判官が判決文を書いているんです。なので裁判官に教育が必要なんです。最初は問題が何かも、原告がどういう人たちかも分かっていません。しかも違憲判断をいきなり下すというのはハードルがかなり高いんです。だから慣れていく必要があるんです。何度かこういう訴訟が起きてくるうちに、だんだんメディアにも取り上げられて世論にも影響を与え、それが裁判官にも跳ね返ってくる。

夫婦別姓の問題なんかも同じだと思います。何度も何度も訴訟が行われてきてだんだん裁判官の考え方が変わってきたんですね。なので裁判所に対する問題意識の喚起ということも、とても大切なんです。

もちろん今回裁判を起こした原告の方々は裁判に勝つつもりでやっていると思うんです。しかし一回で勝てるとも限らない。今私が研究に取り組んでいる、同性婚訴訟では、これまで日本では一件も訴訟が起きていない。いいかげん訴訟を起こさないと話が動きださないのではないかということでやっているわけなんです。

訴訟を起こすことで世論とかひとり一人の裁判官の意識をどう変えていくかというところに対しての意義もあると思います。とはいえ、徐々に変わっていくことが多いので、早めに訴える。何度でも訴える。あわせて政治や社会に働きかけを展開していく。それがいつか実ってくるというようなことだと考えています。

■ 夫婦別姓:最高裁の積極姿勢が法務省と政治を動かす

夫婦別姓訴訟の場合が本当にそうで、2015年にようやくかなり裁判所が変わって来たなという判決がでました。このときは最高裁の大法廷の15名の裁判官のうち10名の裁判官が合憲と言ったんです。じっさいには95%が男性の姓を選んでいるので女性に不利益を与えているという主張に対して、10名の裁判官は夫婦のどちらが姓を変えるかは自由に選択できるのだから女性に対する差別ではないと合憲判断だったんです。しかし残りの5名の裁判官はこの規定が女性に対し圧倒的な不利益を与えていて、法の下の平等に反すると違憲の判断を下しました。最高裁には女性裁判官が3名いるんですが、その3名全員が違憲と判断した5人の中にはいりました。

さらに言えば、今から2か月前の2020年12月に、夫婦別姓の裁判を今一度あらためて大法廷で審理すると決めたんですね。ほんの5年前にいったん判断を下しているのにもう一回取り上げるというのは、大きなシグナルです。もしかしたら今度は違憲判断に近いものを出すんじゃないかという可能性があります。

多分それを察して、最近国レベルでも夫婦別姓が大いに取り上げられているのだと思います。法務省が夫婦別姓を導入するような案を作ろうとしたところ、自民党の一部の反対で夫婦別姓の部分がその案から削られちゃったんです。でも、とにかく法務省が夫婦別姓を導入するという案を出すところまで、そこまでいったんです。

自民党の中でも夫婦別姓に賛成反対で割れているところです。もう一枚岩ではありません。来年か再来年には、裁判を通じてか国会を通じてかどちらになるかはわかりませんが、もしかしたら変わるんじゃないかなという期待が長年の運動の結果として出てきました。

さて、「国籍法3条についての裁判でも、1990年代半ばに最高裁で原告が負けています」とチャットに書いていただきました。

はいそうですね。3条1項に関係する訴訟は90年代だけでなく、2002年にも最高裁で負けているんです。そこで戦略を変えて、別の議論の立て方をして、もう一回訴訟を起こしたら、その6年後に覆ったんです。ですから、夫婦別姓の訴訟でも同じようになるのでないかということを考えさせられるのです。2015年に負けているのでちょうどこちらも今年が6年後ということになりますから。

もし、同じ結論を出すなら、大法廷という最高裁の全裁判官15人もの時間と労力を割いてもう一度審議するということは…、まったく同じになるかもしれませんけれども、大きな変化になるかもしれませんね。

Part 2 原告と国の主張と判決 

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次は本日のメインとなりますが、原告と国の主張と判決をいよいよ見ていきたいと思います。

事前に皆さんからいただいている質問の中でも、ここをお尋ねになる質問がやはりいちばん多かったのです。たとえば、「国から見た二重国籍者の問題はどこにあるか?」ですが、これはもちろん国側の主張に詳細に出てきます。あるいは「なぜ二重国籍が認められないのか?」ですとか…。「世界でも多くの国が認めているのになぜ日本では認められないのか?」というのも大切なポイントになります。

また、「なんで、生まれた時からの二重国籍が許されているのに、外国籍を取得すると日本国籍がはく奪されてしまうのか?」というご質問もいただいています。なんで外国籍を取得した場合だけこんなに厳しいのかということですが、これは裁判の大切なポイントというか今回の裁判の核心の一つでもあります。

1)原告の主張1:憲法に違反

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■ 幸福追求権の侵害(憲法13条):自分の幸福を自分で思い描いて追及する権利

人格権・幸福追求権は13条に根拠付けられるわけですが、それに違反すると主張されています。憲法13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」というのは、面白いものでアメリカの独立宣言の文言がそのまま使われています。英語でいうと “Life, liberty and pursuit of happiness” なんですが、これがそのまま使われています。

ただし、幸福追求権をどうとらえるかというのは、日本語としてはかなり不思議な響きの文言です。それはアメリカ独立宣言からそのまま直訳したものだからです。これは要するに個人主義の原理なんです。人は自分から幸せとは何かを定めて、自分の方針に従って幸せを追求することができるということです。

これをとらえるにはその対極を考えればいいわけです。個人主義の逆ですから、独裁主義国家、あるいは軍国主義。あるいは奴隷制度下の奴隷ですが、奴隷には自らの幸福を追求する権利というのは認められておらず、奴隷主の幸福のための手段でしかないわけです。

幸福追求権というのは、自分の幸福を自分で思い描いて追及する権利だと思っていいかと思います。個人に立脚した社会や政治の在り方を基本原理に据えるというのがこの憲法のバックボーンとして入れられていると思うのです。

原告の主張は、この国籍をある日自分の意思に関係なく奪うと、さきほどのパスポートに穴が開けられて返ってきて茫然自失したという野川さんや、自分の名前が全く変わってしまったという白石さん。それは根本的に憲法13条の精神に反しているのではないかというような主張をしていました。

■ 自由に国籍を離脱する権利の侵害:あくまで自分の意思でという権利

二番目の条文は22条2項です。22条2項は国籍離脱の自由を認めている項目なんですけれども、これは自分の意思で国籍の離脱をするという権利を保障しているというのが今の日本国憲法の趣旨であって、自分の意思とは関係なく強制的に国籍を喪失させるような規定は22条2項の趣旨にも反するのではないか。

■ 法の下の平等の原則違反;他の場合には二重国籍が事実上許容されている

それからさらに、生まれた時からの二重国籍とどう違うのかという話がありましたけれども、これが憲法14条の「法の下の平等」に違反するという主張になります。

前にも言いましたが、他の場合には二重国籍が事実上許容されているわけです。国籍選択宣言をしたとしても重国籍でいられるし、少なくとも事前に意思を表明する機会がある。22歳まで選択の機会が与えられている。だけど11条1項は、直ちに本人の自由意思に関係なく喪失をさせる。なんでこんなに厳しいのかと訴えています。

それを憲法用語に言替えると「法の下の平等」ということで、正当な理由もなく異なる取り扱いをすることは法の下の平等に反するという言い方で主張されているわけです。

■ 「法の下の平等に反する」は違憲裁判上の切り札

じつは、これは憲法裁判上の言い方としては最有力なのです。日本の裁判所は14条1項に違反するという判決を出したことは、これまでに何回かあるんです。前回の国籍法第三条のときもそうでした。あの時は、ジャパニーズ=フィリピーノ・チルドレンでしたけれども、親同士が結婚していれば国籍が得られたわけです。だけど、親同士が未婚の場合に、父親が日本人であるにも関わらず日本国籍が継承されないのはおかしいじゃないか。同じく父親が日本人で日本は血統主義なのだから子どもも日本人であるべきなのに、親が結婚をしていないというだけで異なる取り扱いをするのにはそこにどんな理由があるのか?

もちろん国はその理由をいろいろ主張したわけですけれども、もうそういう理由は時代に合わないと裁判所が認めて違憲だということになって、そういう子ども達にも日本国籍が継承されるという法改正が行われました。

さらに、社会的、ジェンダー的なバックグラウンドを言うと、なぜ親同士が未婚なのかといえば、多くの場合は日本人の父が、フィリピン人の母親が子どもを産んだとたんに、母親や子どもに対する責任を負わないで姿を消しそのまま音信不通になってしまい、そのために子どもは父親の認知を得られず日本の国籍を得られないということで、いわば社会正義にも反するという話でした。

長年にわたってアジアの女性の権利に取り組んでいるような団体がこの問題に取り組んできて、それでこういう法律はおかしいという判決に、2008年になってようやく至りました。そういうことが政治的・社会的なバックグラウンドとしてあります。

以上のような諸々の理由を押し込んで、結局これは、他と比べてあまりにも不均衡じゃないかという主張をするとしたら憲法14条の法の下の平等。これは端的に言えば国は差別をしてはいけないという規定なんですね。

2)原告の主張2:国籍喪失規定は不合理

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弁護団は、憲法に違反しているうえにさらに、11条1項の 国籍喪失の規定は合理的でないという主張も弁護団はしています。

多くの国がもうすでに重国籍は避けられずそれに対して現実的な対策をしてきている。外国籍を取ったからと言って日本国籍を喪失させなければならないような理由は見当たらないという主張もしています。

なので、合理的な理由もないのになおかつ憲法上の権利を侵害するような法律を制定することは違憲だというのが弁護側の主張になります。

3)国の主張1:憲法には違反しない

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これまで原告側の主張を見てきたわけですが、次にこれに対する国側の主張をこれから見ていくことにします。言ってしまえば、国側の主張は原告主張をことごとく拒否・リジェクトするものです。

■ アイデンティティは憲法上保護される権利とは言えない

まず憲法13条の幸福追求権についていえば、アイデンティティといったものはあいまいで憲法上保護される権利とまでは言えないといこと。

■ 「国籍離脱の自由」は、喪失しない権利を保障してない

22条の国籍離脱の自由については、条文の文言どおり、あくまで離脱の自由でしかなくて、日本国籍を喪失しない権利までは保証していない。離脱するのは実際自由であるが、それだけのことだというのが、国の立場です。

■ 国籍選択制度とは手段が違うだけ:「国籍唯一の原則」に基づき一貫している
いよいよ、みなさんこれがいちばん気になるところだと思いますが、法の下の平等を定めた14条についてです。なんで他に比べて、外国籍を取得した場合だけ厳しいのかという問いについての答えとなります。

この問いに対する国の立場は「国の方針は一貫している」というものです。国籍選択制度とは手段が違うだけで不平等な差別ではない。どちらの場合も「国籍唯一の原則」に基づいたもので、すべては重国籍の解消を前提に組まれている規定なのだというのです。国籍選択制度だって、重国籍を解消させるための制度だし、国籍喪失制度だって重国籍を解消させるための制度であり、一貫しているというわけです。

ただ、国籍選択制度の場合に選択の期間が与えられているのは、生まれもっての二重国籍の場合は、赤ちゃんの時期からになるので、まだ意思の表明ができません。だから意思が表明できる成人年齢まで待って、さらに2年の猶予を与えているのだという理屈です。

それに対し自分から帰化した人というのは、まさに条文どおりに自分から「自己の志望により」外国籍を取得しているじゃないかというのです。そこには、自分の意思に関係なく国籍を喪失したということではなくて、意思をもって外国籍を選んだのだから、ならば日本国籍は要らないよねというのが、国の論理なのです。

自分の意思表明の機会を与えることが必要になるのが国籍選択制度の場合で、11条1項の対象者については、もう自分の意思で国籍を選択しているのだから選択の機会は要らないじゃないかというわけです。

これは差別ではなくて合理的な区別なのだ。どちらも重国籍の解消という目的のために手段が違うだけだと主張しています。理由があるからこういう違う手段を取っているけれども、一貫性のある同じ方針の下に行われている。何の差別でもないというのが、国の主張です。

みなさん、どう思われますかねえ。こうして国側の主張をお話しすると、これが私の仕事なのでお話しするわけですが、私がさも味方しているように聞こえるとよく言われることがあるのですが…。国の主張は国の主張として十分みなさんに示しておきたいと思うわけです。

■ 権利・義務からのみ国籍をとらえるのは誤り

さらにいえば、原告は国籍を、アイデンティティであるとか差別だとか、自分たちの自由や権利という立て方をしているけれども、国籍というものそういったものではないと国は言っている。

国は国籍の付与はだれを国民とするかを国益を考えてするのであって、権利・義務ばかりの主張はおかしいということも言っています。原告の主張では、ことさら権利義務の観点からばかり国籍をとらえていてこれは誤りであると言っています。あくまでも国や国会が国益を考えて行うことなのだといわんばかりにも聞こえます。

国会だって国益ばかりでなく権利・義務を考えるべきだと私には思えるのですが、とにもかくにも国は権利・義務ばかりの主張はおかしいと言っているのです。

4)国の主張2: 国籍喪失規定は合理的

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■ 「国籍の抵触に関する条約」(1930年)が国際規範

「国籍唯一の原則」は国際法でも国内法でも一貫している。国際法では1930年に「国籍の抵触に関する条約」というのがあって、無国籍・重国籍をできるだけ防いでいくための国際条約なんですが、それが国際規範だという立場を国はとっています。

■ 国籍選択制度も同原則の具現であり適切

それから日本の国内法はずっと重国籍の解消を原則に発展してきたと言っています。
原告は1984年の国籍法改正とかを取り上げて、国籍の選択制度はおかしかったし、あのころには重国籍を容認すべきだったと主張するわけですが、国の主張は1984年の法改正で国籍選択制度を作ったのは、重国籍がこれからますます増えるから、それに対応する規定を設ける必要があるというものです。

国籍法唯一の原則が前提なものですから、それを貫くうえで父母両系主義を採れば重国籍はどんどん増えるから、それを防ぐ必要がどうしてもある。だから時代遅れでもなんでもない一貫性のあるいろいろな制度、留保制度とか国籍選択制度が作られたのだと捉えているのです。ですから、日本はずうっと重国籍の解消をいかに行うかということを前提に政策を組んできたのだという立場です。

■ 「重国籍の弊害」は重国籍の解消で避けるべき

これに対して原告は、重国籍でいたって国の指摘するような弊害は起こっていないし、もし起こったとしても国家間の協定のような対応の余地があるじゃないか、なにも外国籍を取った人から一律に国籍を奪うみたいな極端なことをやらなくたって、そんな問題は防げると言っています。

国は、仮にそういうことがあるとしても、そもそも問題の原因である重国籍を無くしてしまえばそれでいいじゃん。問題の根本を解消するんだからということ。そういう立場です。問題が起きてもいろいろな解決策があるから重国籍を認めればいいという原告に対して、重国籍があるから問題が起きるんだから、重国籍を無くせばいいじゃん。そういう主張になっています。

ここから先は判決文には出てこない国側の主張の仕方についてですが、あんまりこれを主張すると外交問題にならないのかなと思う部分もあります。

■ アジアでは重国籍者に関する外交保護権や徴兵制度を調整する条約を結べる情勢にない

国は弁論の中で、外交保護権についてたとえばヨーロッパでは、重国籍者の場合に相互に調整する条約を持っているのですが、アジアではそういう条約を結べるような情勢にはないということを言っています。具体的な国の名前まで挙げているわけではありません。

たとえば将来、中国やどっかと何か問題があった場合に日中の二重国籍がいて、たとえば日本にいる日中重国籍者の処遇に関して、中国が何かを言ってきたとします。この人たちは日本国籍を持っていますから、こういう風に対応したい。あるいは逆に中国に日中二重国籍の人たちがいて、中国が何か対応しようとした場合に、いや日本の国籍を持っているのだから日本が対応するという形で、日中間に紛争・コンフリクトがあった場合が、外交保護権の衝突ということになるわけです。

アジアでは、これが調整できるような状態ではないということを国は言っているわけです。私は、そんなことまで言って良いのかなと思うわけです。

外交保護権と同じようなことを徴兵に関しても言っています。相手国に徴兵されて、徴兵されて課された義務の中に日本に対する武力行使が含まれていたらどうなんだということを国は書いています。これもいったい何を想定しているのかなと考えてしまうわけです。

■ すべて遠い仮想ばかりで論じられる「弊害」
もしあったらどうするんだという想定で書かれているわけですが、日本に対する武力行使を想定する国があるんですかね。

もし日本国籍を持った人が相手国で徴兵されて、戦争の相手国が…、いや憲法9条がありますから戦争と言ってはいけないわけですけれども、武力行使の相手が日本の場合にその人は大変なことになる。日本への武力行使に加担したら日本の刑法ではそれは罪になるわけです。内乱外患の罪に該当する。他方で、日本に対する武力行使に加担しなければ、相手国で徴兵された者として不忠誠になってしまうわけです。軍人として、軍に背いて日本への武力行使に参加しないとは言えないわけです。

それが徴兵で起こり得る問題なのですが、すべて仮想。すごい遠い、そんなことあり得ないじゃないかというイマジネーションだけの世界だと思うんです。けれど、もしあったらどうするんだというのが国の主張なんです。

■ 出入国記録の管理上の「不都合」
他方で、出入国管理の問題ですが、これはもうすでに現実に起こっていることです。片方のパスポートで出国してもう片方のパスポートで入国した場合に、整合性のある記録が残らないという問題があります。これは国の入国管理の基礎である「誰が出国し誰が入国して国の中にいるか」が分からない状態になるという問題を引き起こします。

たとえば、その時々でアメリカのパスポートか日本のパスポートに出入国の判子が押してあるわけです。国からすると、誰がいつ入国していつ出国したのか正確に分からない。同じ人物かどうか同定できないということです。この面では二重国籍の弊害は起きうるし実際に起きているのだということで、国も主張しています。

そういう具体例を挙げて、国はだから二重国籍は防いで国籍唯一の原則を履行していくべきだし、11条1項は合理的だというのです。

5)地裁判決1: 結論

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さて、最後の部分になりますが、今回の地裁判決を見ていきましょう。
まず結論ですが、結論だけ見ると非常に冷酷に聞こえるものですね。

■ 外国籍取得前の原告の訴えは「却下」

ひとつは、今後帰化をしたいけれども、11条1項で日本国籍を失うことが不安と訴えた2名に対してなんですが、「そもそも訴訟の対象にならない」ということで「却下」です。

「却下」と「棄却」は意味が違います。却下というのはそもそも問題として取り上げないということです。この方達の法的な地位はまだ変わってない。現時点で外国籍も取得してないし日本国籍を失ったわけでもないし、訴える資格がないということです。

ある意味でとても冷たいです。じゃあ、じっさいに帰化して日本国籍を失ってから訴えろということか? そういうことになっちゃうわけです。それが原告のうち2名に対する却下の判決です。

他方、残り6名は日本国籍をすでに失っているわけですけれども、この方々の訴えは一応取り上げたことになりますが、ほとんど国の主張を受け入れて「棄却」ということになりました。
この方たちは日本国籍があることの確認を求めていたのですが、この人たちには日本国籍はありません。11条1項は憲法に違反しておらず合憲ということになります。

以上が判決の結論です。

6)地裁判決2: 判決理由はほぼ国の主張どおり

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そして判決文の内容をみるとほぼ国の主張のとおりになっているわけです。

先ほど言った、アジアではこういう情勢にないとか、相手国で徴兵されて日本への武力行使があったらどうなんだとかとか、そういう生々しい話は出てこない。原告もまた、先ほどのアイデンティティの喪失であるとか個人の具体的な話をたくさんしているわけですが、判決ということになると、このように双方が出してくる具体的な話は大体落とされてしまって、抽象化している場合が多いのです。比較的ドライな論理付けの文章になってしまいます。

憲法の各条文にも違反しないという判断です。
憲法は10条で国籍について国会に広い裁量権を認めているし、11条1項は重国籍の発生を防ぎつつ自由な国籍離脱を認めるための規定なんだと、国側の主張どおりなんですね。

原告の主張は、国籍離脱の自由に反するということを言っています。でも、国の主張や裁判所の判決は、いやこれは国籍離脱の自由を実現させるための規定なんだよと言っている。そしてその大前提は重国籍の防止なんです。国籍を離脱して重国籍を取得したときに、日本国籍が残らないようにする規定なんだから、これは国籍離脱の自由の一環だと。重国籍が悪だということが前提になってしまっています。

Part3 今後について

1)国の主張と地裁判決への対応

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では今回の地裁判決を受けて今後はどうしていけばいいかというところを考えたいと思います。

■ 国の主張や地裁判決の論旨に反論を

裁判の場では、国側が主張したことや裁判所が判決の中で指摘したことに反論をしていくことから、まずはじめなければなりません。弁護団が反論するうえで、さらにどんな情報をだせるか、皆さんの思いを弁護団になんらかの形で伝えていただくといいと思います。

「国籍唯一の原則」が大前提になっているがそれはどうか。その一環ではありますが、「重国籍の回避には合理性がある」というけれども果たしてそうなのか。憲法上の各権利には抵触しないというが本当なのか? これらのポイントについてどうかということになります。

■ 「二重国籍はズルイ」論への対応は?
もう一つ、今日はまだ紹介していなかったのですが、国側の主張で、そして判決の中にもあるのですが、「重国籍の人は二つの国でいろいろな権利を行使できることになるが、そのような権利を求める権利はないのではないか」というようなことが言われています。ありていに言えば、「ズルイじゃないか」ということですが、そういう(二つの国で国籍と権利を持つ)ことまでを憲法が保障しているわけではないということを言っている。これに対してどう対応するのかもあるでしょう。

2)原告の主張の強化

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■深刻な実害とはく奪の必要性の無さをもっと伝える

あらためてスライドのように書き出してみましたが、弁護団が地裁でこれまで行った主張というのは、「いろいろな実害があり、それはすべて憲法上の権利侵害とも言える」と言っていくということですけれども、やはりこれがいちばん王道ではないのか思います。

国は、アイデンティティの喪失は権利でもなんでもないということを言っています。けれどそれがいかに重要なものか。もっといえば、国籍を失うということはあらゆる権利を失うことになるわけです。選挙権もなくなるし、日本の社会保障に対する権利も、日本で教育を受ける権利もあらゆる権利です。あらゆる権利すべてを失ってしまうということをやはり理解してもらう必要があります。

重国籍解消のために11条1項のはく奪規定が必要だといいますが、じつはそんな規定は必要がないということを伝える必要があるんじゃないでしょうか。他の国の例を採りながら伝えても良いかもしれません。なにもはく奪までしなくてもいいし、そんな必要性のないことで、なんでこれだけ多くの人々を苦しめるのか。不合理な理由で恣意的に権利がはく奪されているということをもっと言っていく必要があると思いました。

3)越えなければならないハードルは高い

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■ 近年増えたとはいえまだ11例。滅多に出ない法令の違憲判決

これだけは認識しておく必要あると思うのですが、裁判自体のハードルはすごく高いわけです。そもそも日本の最高裁はめったに違憲判決を出しません。アメリカでは毎年のように何件も最高裁判所が違憲判決を下して、ニュースになりますけれども、日本はなんと日本国憲法制定以来、70年以上経っていますが、これまで法令を違憲とする判決は11件しか出ておりません。

ただしある意味でちょっとした希望なのですが、最高裁も最近変化してきています。11件の中でより多くのものが最近なんですね。この10年ぐらいで違憲判決が相次ぐようになったわけです。しかもその一つが国籍法です。


■ 政治の場で結論が出ないテーマに示された違憲判決

国の中にもいろいろな意見があって、政治家に委ねたら通らないような話もあると思います。2008年には国籍法の第3条1項が違憲であるという判決を下していますが、もし政治の場に出したら意見が二分してしまうような話題でも裁判所が積極的に踏み込んだ違憲判決でした。

その後も、2013年、2015年と法の下の平等という観点からの違憲判決が続いています。

■ 幸福追求権(13条)や国籍離脱の自由(22条2項)の違反を主張する意義

ハードルが高いことを表す情報をもうひとつ。13条の幸福追求権や、22条2項の国籍離脱の自由を根拠に法令違憲とした最高裁判決はこれまで一件もありません。

でもこれは言い続けなければいけないわけです。裁判官の意見が変わって、「やっぱりこれは何かおかしいよね」と考えるようになったときに、「でもどうやったらそれが憲法上おかしいと言えるの?」、そう考える裁判官が現れたときに、13条ということを出しておくことで、少なくとも何人かの裁判官はこの条文を議論に取り上げるかもしれないんですね。だからこれまでは一件も取り上げられた例がないとしても、言い続けておく必要があると思います。

アメリカの同性婚訴訟にしたって、昔は誰も同性婚の権利がプライバシー権とか法の下の平等で保障されるということが、真剣な議論になるとは思っていなかったんです。だけど2015年には、プライバシー権や平等権を理由に同性婚が認められるところに至ったわけです。なので言い続けるうちに変わる可能性もあるから言うべきことは言っておく。ということなんです。

編集者注:避妊や堕胎の可否、婚姻の自由や尊厳死をテーマとするアメリカの違憲訴訟では、憲法上の「プライバシー権」によって、私的領域における個人の自己決定権として保護されていると主張されます。

ただ先ほども申し上げましたが、最近の例を考えるといちばん展開の可能性のあるのは14条の法の下の平等で、「これは不当な差別だ」という主張なんです。14条は近年違憲判決が相次いでいるエリアなのです。

■ 憲法14条/法の下の平等を根拠に違憲判決を出す最高裁

スライドに並べたのは、日本の最高裁判所が最近出した違憲判決です。
2013年は婚外子に関して同じ兄弟姉妹でも婚外子の場合には相続分が半分になるというという規定は違憲だという判決が出ています。2015年、海外から見ると不思議かもしれませんが、日本の場合は男女が離婚した場合に女性にだけ再婚禁止期間があります。これが少なくとも100日を超える部分については違憲だという判決が出ました。なぜ女性だけということですね。

■ いちど合憲でも判断を変えるかもしれない:夫婦別姓訴訟の例

それと同じ年に夫婦同姓の訴訟で、これは合憲判決だったんですが、5人の裁判官が反対意見を付けて、それで治まらずに今年もう一回最高裁大法廷が取り上げることになりました。このために最近いろいろ政治があわただしくなり、この夫婦別姓の話がメディアを賑わせています。もしかしたら判断が変わるかもしれないし、まあ、どの程度変わりますでしょうか? 変わらないかもしれませんが、どうなんでしょう。取り上げるからには相当の期待が社会から向けられます。その中で最高裁が今年どういうことを言うかということになります。

■ ある日突然に「あなたは不法滞在の外国人」そのおかしさをどう伝えるか

国の姿勢や地裁判決は、11条1項の規定は他の場合と変わらず、ぜんぶ重国籍解消のための同じような方針のもとにある。生まれ持って重国籍であった場合には成人まで待ってから意思表明の機会を与えている。自分で帰化した場合には、自分で意思表明したんだから、これは差別でもなんでもない。という論理ですけれども、やっぱりそうじゃないというところをどうやって主張していくかということです。

どこで話を聞いていても、やはり自分たちは日本国籍を喪失したなんて思っていないわけです。これまで通りの生活をしていたら、ある日突然「キミは不法滞在の外国人」「もう日本国籍はない」と言われるわけです。やっぱりこれはおかしい。そう自然に思える話なんです。それをどうやって裁判に合わせて論理化していくか。

4)世論の喚起:政治・法・社会への働きかけ

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ここまでは裁判の話でした。しかしそれで終わって欲しくないのが、本日のような場で話す意義だと思っています。
やはり、政治や法や社会への働きかけが同時に必要で、ほとんどの場合、合憲とされていたものが違憲に変わるには、裁判所や弁護士だけで変えたという話ではなく、政治と社会が同時に動いているんです。

■ 州レベルからの長年の積み上げで違憲判決:アメリカ同性婚訴訟

アメリカの同性婚訴訟も、いきなり裁判所が同性婚を認めたというわけではないんです。アメリカにお住いになられている方は分かると思いますが、この10年あるいは20年、州レベルで議会も巻き込んで州の裁判所も巻き込んで、大統領も議員も、そして市民もみんな喧々諤々(けんけんがくがく)の議論が長年展開されてきて、だんだん同性婚を認める州が増えてきて、もうそろそろ最高裁が違憲判断を出すんじゃないかと、ある意味で想像の範囲内になって来たんですね。その中でついに最高裁が違憲判断を出したんです。想像の範囲内に持っていくにはやはり政治と社会の取り組みが必要なんだと思います。

■ 夫婦別姓訴訟も社会や政治とともに変化している

夫婦別姓もそうです。裁判所が今これだけ動いてきたというのは、やはり日本社会全体として、女性も当然キャリアを持つし、別個の人格であるし、自分の人生設計が必要であるし、その一環として名前も大事という考え方がかなり、少なくとも女性の間ではもう広まって、男性も今や若い世代の多くはたぶんそう思っています。野党はとっくにもう夫婦別姓を容認なんですけれども、ついに与党の中でもそういう動きがでてきた。その中で裁判所もより違憲判断が出しやすい環境になっているということが言えるんです。

■ 日本の政治と社会なら権利論よりも情? 自分の子どもが…。

政治と社会への働きかけが重要ですが、このエリアは法律論とはちがいます。あるいは議論となるところかもしれませんが、アメリカと違って日本の場合は権利論というのはなかなか人の心に響かないところがあります。

アメリカでは "It's my rights!" と言うのは当然で、ライツと言われれば「ああそうか」ということで悪かったということになることがあるわけです。けれども日本の場合は「これは自分の権利だ」というと「何言ってるんだ」と言われてしまうところがありますね。むしろ情とか心に訴えた方が通り易い。そういうところがちょっとあります。

戦略になるのかもしれませんが、日本にとっていかに損であるか。自分の子どもや孫だったらどうなのか。自分の子どもが、大学を出て外国で活躍している。外国で活躍しているけれども日本を大事にしている。でも外国で活躍するためには外国で結婚をして国籍を取得した方がいいかもしれない。それが幸せかもしれないとなったときに、だからといって日本の国籍を奪っちゃう。もしそれが自分の子どもだったらそう思えるのかというところですよね。与党の重鎮とかだって、自分の子や孫がそうなれば分かるのかもしれません。

■ 元アメリカ副大統領(共和党)も我が娘をみてLGBT擁護に転身

これはアメリカの同性婚の問題での話ですけれども、ブッシュ政権で副大統領だったチェイニー氏が、保守派の重鎮みたいな方ですが、2004年の大統領選の最中でしたが急にLGBTの擁護に転じたことがあるんですね。そのとき彼が説明したのは「自分の娘がね…」という話なんです。自分の娘のこととして考えたら、それまで抽象的に思っていたLGBTどうこうということではなくなったと言うのです。だから、そういうイメージを今反対している人たちにどう伝えていくかってことかと思うのです。

■ 「ノーベル賞受賞者が…」 ナショナリズムを逆手にとる

これも異論があるかもしれませんが、国籍唯一の原則の裏には、結局日本人なのか外国人なのかを迫るナショナリズムみたいなものがあるのかもしれません。そのナショナリズムを逆手にとった訴え方もあると思います。たとえばノーベル賞をとった南部陽一郎さんのような方。

誰しもが認めるノーベル賞を取って、メディアも政治家も「日本人として誇りに思っている」みたいなことを言っているわけです。しかし、彼はアメリカに帰化したことで、日本国籍を喪失したことになります。「こういう人たちに日本国籍を持たせたまま大いに日本人として活躍してもらった方がいいじゃないか」とか、ある意味でナショナリズムを逆手に取ったような議論の仕方もあるかもしれません。

■ 政治や社会の環境の変化に裁判所が乗る、…という構図

いろいろなやり方があって、そこは価値観の違いがあるかもしれませんので、調整が難しいところかもしれませんけれども、とにかく政治とか社会とかの支持をバックにする。それがあって初めて弁護士が権利論を裁判所で展開したときに裁判官がそれに乗っかることができる。そういう構図なのかなと私は思います。裁判官の気持ちが変わってきたとき、そこに乗っかれる権利論があれば、自分たちはそんな判断はしていないと言うかもしれませんが、じっさいに裁判所が出した大きな変化をもたらしたような判決を見ていくと、まず環境が醸成された上での、その上での裁判官のひと押しがある。そういう傾向を感じます。

なので、ここにいらっしゃる方々で自分たちに何ができるかって考えている方は、もちろん法廷の場でいろいろな議論を展開していくような立場の方々も居るかもしれませんが、それ以上に政治や社会にどう働きかけるかを考えれば良いのです。夫婦別姓や同性婚をやってきた方々はみなさんそうされてきたのです。

2019年に日本で同性婚訴訟を始めた人たちも、裁判所だけで話が済むなんて全然思っていない。政治に対しても社会に対しても働きかけていく。そこと、法の世界との協働が必要なのかと私は思いました。

5)具体的な法改正の交渉イメージを

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■ 国会・国会議員に働きかけるのに必要な法改正のイメージ

それにもう一つ。国会に働きかける場合には、法改正のイメージをぜひ持っていただきたいというか、持ちたいのです。11条1項はいけない。じゃあどうするんだというところですね。具体的にどういう法改正をすべきかというところがないと、国会議員には働きかけができないのです。

もちろん理想は、重国籍が容認されることです。本日参加されている方の中では多くがそうだと思います。国籍選択制度もおかしいし、喪失制度もおかしいし、留保しなければ国籍が無くなる制度もおかしい。全部おかしい。11条についていえば、シンプルに11条1項を撤廃する。外国籍を取得した場合には日本国籍を失くすという規定を失くせば、もうそのまま日本国籍を持っていられるわけですから。

■ 無制限に重国籍を容認するという理想は反対論を招きハードルを上げる

ただ、これには簡単に反対論が起きることが予想できますよね。外国籍に帰化しても誰もかれもが二重国籍でいられることになる。重国籍を無制限に容認することになる。もちろんそれは理想的にはそう思っている方も多いと思いますが、ハードルとしてはいちばん高くなってしまいます。重国籍を無制限に容認することになるので。
それでもその原則で運動していくかという判断が、運動する人たちには求められることになります。法改正が通らなくてもそこでやっていくのかということですね。

■ 一定の猶予期間と離脱の手続きを設けて「知らずに喪失」を防ぐ/妥協例A

じゃあ、法改正のイメージとして妥協案はあるのか? この辺から意見は割れると思いますが、自動的に、知らないうちに喪失するということがおかしいのだ。喪失することが分かっていたら帰化しなかったと言っている人たちもいるんですね。ならば、たとえば、11条1項も自動的に喪失するのではなくて、一定の猶予期間であるとかを設けてみたらどうでしょう。

国籍選択制度についてはあれだけ詳細な手続きが用意されているわけです。国籍選択宣言、選択しなかったら選択の催告、催告しても宣言しなかった場合にははく奪できる。そういう手続きが用意されている。だけど11条1項にはなんの手続きもないわけです。だから自動的に喪失しないようにする。いろいろ手続き規定を整備する。そうすればある程度、たとえば喪失することが分かっていたのであれば帰化しなかったと言っている人たちの被害は防げる。これは一種の妥協ですね。

こういう考え方でいきますと、自動的に喪失するのではなくて、外国籍の取得から2年以内に喪失届を出さなければいけないとする案になるかもしれません。今は喪失届を出さなくても日本国籍は失くなっているんです。そうではなくて、喪失届を出すまでは日本国籍を生きている状態にする。そして2年たっても喪失届を出さなかったらその時点で日本国籍を喪失するみたいな形で、2年の猶予期間を与える。その間に、今の選択宣言と同じで、選択が必要でしなければこうなりますと周知徹底をする。そうすることで知らないうちに失くなってしまうことは防げるわけです。

■ 未成年が外国籍を取得しても「自己の志望による」とは見做さない/妥協例B

また、親が帰化したことで、子どもも帰化したことになって日本国籍を失ってしまうというような場合があります。それなら、子どもの国籍については大人になるまで日本国籍を保持したまま待つことにしたらどうでしょう。

成人前の子どもが、親が帰化したり、何らかの理由で外国籍を取得した場合には、それは「自己の志望による外国籍の取得」とは見做さないで、国籍選択宣言と同じ扱いをする。成人後まで待つみたいなことにする。

これらはあくまでも私の思い付きにすぎないのですが、こういうようなイメージを持つことだってできるのではないでしょうか。

■ 猶予期間内の「外国籍不行使宣言」で日本国籍を保持

さらに、これだとごくわずかな人しか救済されないと思う場合には、重国籍が増えるのでハードルは上がりますが、たとえば「期限が来ても外国籍不行使宣言をすれば日本国籍を喪失しない」という規定を入れさせる。先ほどの案で、外国籍の取得より2年経って、日本国籍喪失届を出す期限が来たけれども、それまでに外国籍不行使宣言を行なえば、外国籍は残るけれども、日本国籍も残る。たとえばそういう規定を作らせる。

■ 喪失国籍の再取得の簡易化

あるいは喪失をしたとしても、容易に再取得できる再取得の規定を入れる。そこに何らかの条件を付けることになりそうで、その加減がミソになるので、なんだか揉めそうだと思います。たとえば、日本で生活する場合、外国で帰化してから日本に帰国して、これから日本に住んでいくという場合に、再取得を容易に、現在の簡易帰化よりも容易にするような、そういうような規定をいれるとか。

■ 裁判所には違憲を訴え国会には具体案で

国会に対して法改正を陳情するのであれば、今までのとおりに、とにかく重国籍を認めてくださいという原則論を通す方法ももちろんありますが、他方では、より呑(の)みやすい、喪失規定は失くさないけれども、2年間の時間を与えてほしいみたいに、これくらいならいいでしょうと、そういう妥協ができるかどうか。いずれにしても何らかのイメージが必要かなと思います。

裁判所に対しては、11条1項は違憲であると訴える。社会に対しては、これだけ多くの日本人が外国で働いていて国籍の問題で苦しんでいるけれども、日本としてもっと前向きな対応をできるんじゃないかと、議論を広めていく。そして政治や国会への働きかけとしては、じゃあ具体的にどう改正したらいいのかというところでいくつかの案を出してみる。そういうことが考えられると思います。

■ 法改正がどれくらい難しいのかは、政治環境によりけり。チャンスを逃がさない

法改正がどのくらい難しいのかということについては、国会議員の半分が良いと言えば、法律は改正できるので、これは簡単なのか難しいのかわかりません。たとえば、政権が交代した場合には、あっさり通るかもしれないし、政権が交代しなくても何らかの理由でという可能性がないわけではない。

夫婦別姓の話はどうなりますかねぇ。
自民党の一部議員が賛成で一部議員が反対という状況ですけれども、もしかしたら今の国会で通せるところまで来ている話なのかもしれません。法改正が難しいかどうかはわかりません。なのであるチャンスをとらえて改正できるように、案は用意しておいて、タイミングがあったときに改正案が通るようなものがあるといいような気がします。

■ 政治的・社会的な優先順位の高くなさが結構なハードル

優先順位的には高くないというのがひとつの大きな問題かもしれませんね。夫婦別姓のように、女性の反発が強まれば次の選挙で与党も危ないかもしれないみたいな、そんな危機感があるようなテーマではありません。そもそも国籍法の11条1項は、国民のほとんどが知らない規定で選挙の争点になるような話ではない。これに対して夫婦別姓の話は、もしかしたら選挙の争点にすれば、それで票が変わるかもしれないような話です。国籍はく奪規定は、政治の優先順位が高くないという点で、国会に変えさせるハードルが今のところ高いということかもしれません。

■ 「違憲の疑い」や「違憲状態」だってあり得る判決

もうひとつ判決についてですが、じつは裁判所は、違憲とは言わないけれども、違憲の疑いがあるという判決を出すことがときどきあるんです。一票の格差の問題について裁判所は多くの場合に「違憲状態」という判決を下して、国会に法改正を促してきているんですね。なので今回の話も、違憲ではなくても違憲状態だと言わせて、違憲状態だから国会は何とかしなければいけないという判決の下し方があるんです。

そうした場合に、長年こうした案を出しておけば、それならこの案に乗れるよねというような、それまででいちばん有力な案が国会に出てくると思うんです。いざ、この11条1項を改正しなければいけないということになったときの有力な案が何になるのか。その案の勝負をしておく必要があると思うんです。その有力案を事前に法務省とかが知っていれば、この案で出そうということになるかもしれない。

国籍法3条1項の違憲判決のときも、違憲判断が下った後にどういうふうに法律を改正するかを考えたのは法務省の役人なんです。その人たちがどういう案を手元に持っているかは大事なので、こういう案が望ましいですという案を出しておくことは、何かあったとき、タイミングが合ったときに、もしかしたら有利に作用するかもしれません。

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