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生きてていいよの貰い方

わたしは「生きてていい人間」と「そうでない人間」がいると思っていました。

幼いころのわたしは、自分の感情は出さないようにしよう、と努めていました。例えば、お菓子をねだらない、など。逆に困ることもあったかもしれませんが、概ね育てやすい子どもだったのではないかと思います。

少し成長したわたしは、ネットにだけ自分の感情を吐くことにしていました。リアルのわたしは明るくて大人びていて賢かった。若さに限りがあることも知っていました。見えている世界に限りがあることも。だからわたしは努力しなければいけないと思いました。ネットにいるわたしは「そうではない人間」だったのでしょう。

さらに成長したわたしは、男に媚びることを覚えました。彼氏を切らさないわたし。予備の男もいるわたし。自分より容姿が劣る男を無意識に選んでいた。カーストが低い男とか。そういう人間に、わたしが近寄れば生きる意味を与えてやれます、そうしてすぐにわたしのものにすることができました、実際は男がいないと生きられないのはわたしのほうだったのに。

部活や委員会をするなかで、先生をみるなかで、親をみるなかで、「生きてていい人間」と「そうでない人間」を、より強く選別するようになりました。わたしは「生きてていい人間」になれるよう一生懸命でした。わたしは認められるためにしなくていい仕事までします。そして周りの人間に媚びて媚びて、わたしは生きていました。なにか仕事をするのは得意だったので、頑張れば大体、評価は得られました。

どうしても評価を相手から評価を得られないとき、「死ぬべき人間」だと憎みました。

実は評価されるわけが、環境がよかったからだと分かりました。どんなに頑張ってもわたしは「生きてていい人間」になれない瞬間を経験しました。「そうではない人間」になったわたしは、「生きてていいかどうか」を考える意味のなさに気づき始めます。

塾講師になって接する生徒は、かつて「そうではない人間」に分類した人間ばかりでした。だれかに「そうではない人間」にされているあなたを救いたい、とわたしは思いました。その頃のわたしにはもう「生きてていい人間」に見えたからです。

わたしは一生懸命に働きました。あなたは生きてていいんだと伝え続けました。そのためには多少の過労も見過ごして。

あるとき、Twitterで昔お世話になっていた先輩が暗いツイートをしていたので「生きてていいよ」と送りました。

久しぶりに話した先輩は、わたしに「働いて偉い、でも」と言いました、それは予想外の言葉でした、「でも、働かなくても偉い」。わたしも、その先輩にとっては「生きてていい人間」でした、そこに意味はありませんでした。

わたしたちは、おたがいに「生きてていいよ」を貰いました。たった一言でふたりともなんとなく、いやしっかりと、元気になりました。

そんなころ、塾で、尊敬する上司と深夜に「おいしいさぬきうどん」のはなしをしました。「おいしいうどん」2食入り98円と、お得だ値!「さぬきうどん」5食入り358円はどちらがお得か、という話です。

どの項目を比較しても、明らかに「おいしいうどん」のほうが「お得」なのです。それなのに「さぬきうどん」のほうが売り出されている。上司はホワイトボードでうどんを比較し続けました。それを見ているうちに、なんだか人間にも同じようなことが言えるような気がしてきて赤を入れました。

わたしは「おいしいうどん」になろうと思いました。お得だからです。「さぬきうどん」の存在価値は、「おいしいうどん」の引き立て役だ、と。しかし「おいしいうどん先生」はホワイトボードを眺めているうちに、「さぬきうどん」のいいところを見つけて売り出すのが大事だと思いました。同じスーパーに存在しているのだから。

わたしは青で愛を書きました。

「さぬきうどん」が結構好き、いや、絶対好き。でもわたしは「おいしいうどん」になる。

わたしが努力するのは、「生きてていい」かどうかではなく、単にしたいからでいい。努力や能力が劣る人間がいたとしても、生きている時点で「生きてていい」。それに絶対、いいところは見つけられる。「生きてていいよ」をわたしは皆に言えるようになろうと思いました。

名札に「おいしい2食入り98円」という肩書を付けました。ちなみにこれの前は「理科で愛を語る女」でした。自由な塾ですね。

結局わたしは過労でこの塾を辞めるのだけど、「生きてていいよ」を生徒にたくさんあげられました。その証拠に、未だに手紙が来たりします。

こうしてわたしは、自分が、相手が、「生きてていい人間」かどうかを考えるのは辞めました。でも、人は「生きてていいよ」が必要です。だれかに「生きてていいよ」と言われないと生きていけない生き物です。

だから、やっと表題の「生きてていいよ」の貰い方の話をします。

①「生きてていいよ」を人にあげる

先輩が「生きてていいよ」をくれたのは、わたしが先にあげたからでした。生徒の手紙はわたしの「生きてていいよ」の素ですが、生徒に先に伝えていたのはわたしです。人に先にあげるのです。

具体的には、好きな人には好きな気持ちを、感謝を、どこが好きかを、伝えるようにすることです。

②「生きてていいよ」を貰える心を用意する

わたしは結局「生きてていいよ」と言われながらも自殺未遂しました。受け取る準備が足りないとそうなります。褒められて素直に受け止められるようにしておきましょう。

③「生きてていいよ」をください、と表明する

どんな手段でも構いませんが、なるべくたくさん言えるといいでしょう。褒めてほしいこと、感謝してほしいこと、好きだと言われたいこと、おはなししたいこと、自分が満たされるだろうことを少しずつ人に求めてみましょう。意外な人から、忘れたころに返ってきたりします。

④「生きてていいよ」のハードルを下げる

人間はどうせ生きていかなければいけませんので、多少何かができるだけで生きてていいものなのです。でも少し特別なことのほうが、実感が沸きますよね。

というわけで、この記事をここまで読んでくれたあなたは、生きてていいです。別に読まなくても生きてていいけど、読んでくれたぶん、少し多めに生きてていいです。ありがとう。

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