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何のために誰のために

たまたま目にしたツイートが考えるきっかけになりました。引用させていただきます。

何のためにそれをするのか、誰のためにするのか
ビジネスのために、の前に、そのビジネスをするのは何のためか?

何のために生きるのかまでは、まだ明確になってないんですが。
アクセサリーを作るのは何のためか?誰のためか?をちょっと考えてみました。

そりゃ〜楽しいから、か・・・?

楽しいから、好きだからやってるし、人に後押しされてここまで来てる。
最初に思いつくのはまぁそんな感じ。そりゃそうだよなぁ。

オーダーなら、その人のために作る。
その人が喜ぶように、満足するように、ワクワクしてくれるように、ときめいてくれるように。着けた時・着けて踊る時、より楽しく自信を持てるように。

レディメイドの商品にも、そういう着けて楽しんでほしいみたいな気持ちはある。
使いやすくて、可愛くておしゃれなやつ。
さらに他にないようなデザインにできたらいいと思ってる。

ダンス用なら、着脱が簡単とか動きの邪魔をしないとか。
なるべく軽くして、激しく動いても飛んだりピアスなら耳が痛くなったりしないようにとか。
(このへんは、わたし自身がジャラジャラを愛してるし、正直重くてもあんまり気にならない・・・アレルギーのせいで耳から血が出るのも慣れてしまっているので、最初から感覚がズレてしまってる感はある)

どうしても壊れて欲しくないという気持ちもある。
単純に壊れたらショックだから。ずっと使ってほしいから。
できる限り丈夫に作れるように向上していこうと思ってる。
三角カンの繋ぎ目はレジンで固めるとか。
9ピンはなるべくワイヤーのめがね留めに置き換えていこうとか。

かわいい、おしゃれは絶対押さえたい。言われたい。
センスいい、全部かわいいと思われたい。

ハンドメイドならではの繊細さと、既製品にはないちょっと変わったデザイン。
自分も踊るからわかるし作れる、使い心地の良さ。

アクセサリーはとても楽しいもの

好きに装うことは、すごく贅沢であり豊かな行い。

豊かってアクセサリーを買うお金が、という意味ではなく
日々、今日は何をつけたいか?何を着るから、誰に会うから、どこに行くから、何月だから・・・
そうやって、選んで身につけること、それを楽しむことが豊かさ。

似合うやん!かわいいやん!ってキャッキャしてほしい。

楽しみっちゅうか生活の潤いっちゅうか。
自分がアクセサリーが好きで、着飾ることが好きで、すごく楽しいと思ってるから、アクセサリーを見て「わ〜かわいい!」って楽しんでもらいたい。別に買わなくても。
「キラキラやね〜!細かいね、すごいね、かわいいね!」って、ちょっと心が動いたらいいなと思う。

「カワイイ」に魂を売る(売った)

わたしが「持ってるもの全部かわいい」と言ってもらえるのは、たぶんかわいいものへの執念がめちゃくちゃ強いから。

かわいいものを見ているだけで気力が回復する。
自分が身につけないものでも、買わなくても、刺繍とかニット小物とか、見てるだけで嬉しくなる。楽しい。

変とおしゃれのギリギリラインを攻めるのが大好き。
ギリギリおしゃれ。変わってるけど。オモシロデザインだけど。

目的に話を戻したい

ニキビできてんね

何のためってまぁ、表現手段の一つではある。
写真がアクセサリーに変わったというか。ベリーダンスを踊ることとも繋がってるし

占いで、わたしの場合は表現することが健康につながる・・・というか、表現さえしてれば万事OKと聞いて、えっおもしろ・・・と思ったから素直に実行しているというか。

写真をやっていたときに、身につけられないもんなぁ・・・とは思ってた。
雑貨にするにしても、限界がある。
アクセサリーっていいよなって思ってた。
まさか販売までするとは、その時は夢にも思っていなかったけども。

誰かに楽しんでもらいたいというのも目的ではある。
でも究極は自分のためだし、自分が楽しいから作ってる方がいいと思ってる。

これはベリーダンスを踊る上で(素人なりに)痛感したことと通じる話。
お金を払って来てくれるお客様のために!って思い詰めすぎるのは、実は結構な落とし穴じゃないかなと思っている。

もっと上手くならなきゃ、お金をもらえるレベルにならなきゃ。
綺麗にならなきゃ、体型を変えなきゃ、せめて綺麗にメイクしなきゃ・・・わたしのウリって何だっけ?

お客様のために、ってすごく正しい考えに見えるけど、おかしな方向に行きがちだと思う。

人の目を気にしすぎると、自分の表現ができなくなってくる。
その人ならではの良さとか、個性と呼ばれるものが見えにくくなっていく。
どれだけ向上したとしてもゴールはどこにもないわけで、どんどん自分を追い詰めてしんどくなってしまう。

そもそも、セミプロでもショーに出るレベルならお客様のためにすべきことはもうできてる。
練習を頑張ってるから出れるわけで、身なりだってちゃんとできてる。
だってそれは前提条件なんだし、クリアしてる。

自分が楽しく踊ること、自分の情熱を表現することに集中する。
楽しく踊れば、楽しい気持ちは伝わる。
お客さん目線で言うと、楽しそうに踊っているところを観ると、たとえテクニックがまだまだだとしても、すごく嬉しくなる。

そう思うと、アクセサリーもお金を出して買ってくれる人がいる時点で前提条件はクリアしているはず。
正直、適当なものを売っているつもりは全然ない。
その時々でベストを尽くしているし、改善も怠っていないつもり。

それなら、使う人の使い心地(観る人の見え方)を考慮しつつ、とことんマニアックに自分の趣向を突き詰めるのがいい。

誰のために、って自分のために。
何のために、って自分が楽しいと思うことをシェアするために。
楽しい気分を誰かと共有するツールということではないかな。

写真がね、そうなると何だっけ・・・となるけど
今のとこわたしが写真を撮るのは自分のアクセサリーを着けてる人を撮るためなんだよなぁ。

そのわりに着画お願いし忘れたり、アクセサリーあんまり映ってない写真ばっかり撮ってしまうけど・・・

私欲で撮ってるけど、一応ウィンウィンを狙ってはいる。
着けてくれてるお礼と言うとだいぶおこがましいけど、SNSとかで使えるかもと思って撮ってるやつが何言ってるのかって感じだけども。
でも、ショーの写真はみんな喜んでくれてると思うので、ウィンウィン・・・か・・・?

写真専攻で大学まで出してもらったのに、技術力に自信がなさすぎる。
なんかもう、センス一本槍人間なんだよな・・・センスとは。

センスとは、世界観があるとは?

センス、テイストレベル、趣味がいい。
良し悪しじゃなく、高低なんだよな、たぶん。
悪趣味の美というのもあるし。

センスがいいとよく言ってもらうけど、正直あんまりわかっていない・・・ことはないけど、頼り切ったらダメだと思っている。
もっとすごい人はいる。とか。
でも確かに、センスの心配より技術力向上に注力してる感じはある。

大学生の時、謎の強迫観念で「ダメだ!わたしには感覚しかない・・・」と思い詰めたことがあって、今思えばだいぶ陶酔しちゃってる痛〜い感じなんですが。

とにかく感覚を鋭くしておかねば・・・と頑張っていたのが今に繋がってるのかもしれない。

世界観があるね、もよく言われるけどあんまりわからない言葉だった。

ビジュアル系?ゴスっぽいってか?アリスとか吸血鬼が好きでしょって?でもそれ系って一定数いませんかね・・・?

迷走してる

V系とか言うわりにホラーもダメだしビスクドールの良さもイマイチわからないし、自分では浅すぎて恥ずかしいと思っていた。

今思えば、当時夢中になってたV系文化も自分の中に入れた要素のひとつに過ぎなくて、成長過程で拾ってきたいろんな要素と混ざってるのが面白かったのかもしれないが。

世界観って言われても、自分では見えない気がする。
国外で暮らして初めて自国の文化のありようが見えてくる的な。
「これがわたしの世界観!」って言える人ってすごいなぁと思う。

「世界観がある」と言われるってことは、似たようなものは他にたくさんあるとしても、そう言った人は相手に何か独自のものを感じたということ。
そして、その独自のものが輝いて見えたからそう言ってる。たぶん。知らんけど。

褒められてるのはわかるし、嬉しいんだけど、なんか「・・・???」ってピンとこない顔してしまうよね。

脱線名人

脱線せずに書けないなぁ、note。
無計画に考えながら書いてるのがモロに出てしまっている。

何のために、って見えたような見えないような。

表現するために生きてる、っていうのはわかっている。
それでカワイイものが大好きでしょ、かわいいものは作るのも見るのも身につけるのも楽しい。
かわいい、じゃなくても綺麗でもかっこいいでもいいんだけど。美しいでもいいし。

まぁでも、ベリーダンスの曲でもアクセサリーでも、ストレートでポップなものが好きだと思う。
西洋の改変をおおらかに逆輸入した、美しいオリエンタルダンス。
アクセサリーは、ちょっとだけおもちゃっぽいテイストを入れるのが好きっぽい。

感覚や感情なら、なんか楽しいってのが一番かなぁ
幸せ、喜び、愛しさ、類似するフィーリングはたくさんあると思うけど
そんなに尊い感じの感情ではなく(笑)楽しくて良いねってのが自分にはしっくりくる気がする。

んで、楽しい気分を何か美しい手段で表現したい、見た人や使う人にも楽しんで欲しい。が現状の答えかな〜

目的見えたかな?

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